4部

 時は少しだけ巻き戻り数分前。

 何を買っていいのか分からなかったナスターシャは辛うじて覚えていた牛の乳、つまりは牛乳を買うために西門に向かっていた。


「モモおそいな〜」


 等と、モモの文句を言いながら。

 実際のところはチサトに拘束されて武の神であるノーサスに謁見していたのだがそんな事はナスターシャの知った事ではない。

 ナスターシャは牧場でよくやっている乗馬体験が好きだった。

 よくナトスと一緒に牧場に行っては馬に乗せてもらう。

 牧場で育てられる馬は城に務める騎士のための馬であり、元騎士団の老夫婦が営んでいて、スライムをより着く事ない。

 だからこそ街の外で広々と馬や牛、その他家畜を育てることができている。

 だが今はスライムの繁殖期。スライムに繁殖があるのか、と聞かれればどちらかと言うと細胞分裂に近い物だがとにかく数が激増することには違いない。

 流石に数には勝てないのか老夫婦も自身の土地に張り巡らされた魔除けの結界へと閉じこもってしまう。

 さて、門へと向かう曲がり角。スキップを踏みながら曲がろうとした直後だった。


「!」


 後ろから誰かに口を塞がれて路地へと引きづられて行く。

 ナスターシャが声を上げようとしても声は出ない。何度も身体を動かすが解放されることも誰かが気づいてくれることもない。


「無駄だ無駄。認識阻害の魔法を使ってるからよぉ〜」


 下卑た男の声と息がナスターシャの耳と頬を撫でる。嫌な寒気が起こって背筋に鳥肌が立つ。


「駄目じゃないか〜。君みたいな子供が一人で………。オジサンみたいな悪〜い人に捕まっちゃうぜぇ〜」


 男がナスターシャの口から手を離す。

 すぐにナスターシャが声を上げようとするが喉元にナイフが突きつけられる。


「駄目だよ喋っちゃ。オジサンが君の神様からお金を貰うまで大人しくしててね」


 男はナスターシャを用意していたロープで縛り付けてその場に置く。

 ここは行き止まりではあるものの、ナスターシャも出来るだけ男から離れようとまるでイモムシの様に地面を引き摺りながら移動する。


「………ねぇねぇ、君はどうお手紙を書く?やっぱりここは『お前のシスターは預かった。命が惜しくば』的な感じがいいのか?」


 まだ幼いナスターシャにはどう言う意味かは分からなかったが、少なくとも良い意味ではないと言うのは分かる。


「今までの娘は親と一緒で中々狙えなかったし相手は神様だし多少はふっかけられるか?」


 怖い。

 どれだけの金額が貰えるのかと楽しそうに笑う男を見た時のナスターシャの感想はこれだった。


 これからターシャどうなるの?

 ナトス様に会いたい。

 ナトス様助けて………。


 五歳の少女が背負うには重過ぎる不安と恐怖。

 彼女が目に大粒の涙を溜めて声を上げて泣くのは何ら不思議な事ではなかった。


「うわぁぁぁぁぁぁん!ナトス様ぁぁぁぁぉぁぁぁ!」

「ちょ、落ちつけ!別に傷付けるつもりはないんだってば!うわぁ!」


 男がナスターシャを宥めに入る。

 しかしそれは一人の乱入者のパンチよって妨げられた。


「今度こそ現行犯ッス!」


 それは褐色の指貫グローブ少女、ソラカゼ・チサトだった。


「力の神子!?」


 男は目を丸くしながらチサトを見る。

 力の神子。それはモンスターを何匹も純粋に力で倒して来たチサトに与えられた二つ名だ。


「な、なんだよ!俺はアンタんところにゃ何もしてねーだろ!?」

「神子として悪事は見過ごせないッス!」

「ちくしょー!」


 男がナイフを抜いてチサトに襲いかかる。

 しかしそのナイフをチサトは身体を捻って涼しい顔で躱すと、男の懐へと潜り込み袖と胸ぐらを掴む。


「な!放せ!」


 男が叫んで暴れたところで力の神子とも称されるチサトに力で勝つのも、ましてやチサトが男を話すこともない。

 チサトはそのまま男を壁に勢いよく放り投げ、壁に頭を強く打った男はそのまま気を失った。


「大丈夫スか?」


 男が動かなくなったことを確認して、チサトはナスターシャを縛る縄を解く。


「ナスターシャ!」


 そこにちょうど駆けつけたモモにチサトは解いたロープを投げる。


「それでそこの男を縛って欲しいッス」

「お、おう!」


 モモがロープを拾うと倒れた男に駆け寄って腕にロープを括り付ける。


「ん………」

「!目ェ覚ましやがった!」


 モモが慌てて男から離れるとチサトが前に出る。


「な、なんだこれ?クソ!解きやがれ!おい!聞こえてんのか!」


 縛られていることに気付いて暴れる男は次第に気力を無くしていき大人しくなるとポタポタと男の足元に水滴がこぼれ落ちる。


「チクショ………なんで俺ばっかりがこんな目に………」

「………なんか可哀想になって来たんだけど」

「絆されちゃダメッスよ!コイツはこの娘に酷いことをしたんッス!」

「いや、そりゃあそうなんだけどさ………」


 モモは泣き疲れたのか、目をこすりながら寄りかかってくるナスターシャを見る。

 服は少し汚れているものの別に怪我という怪我はしていない。


「………なんでこんなことしたか聞くくらいはしても良いんじゃないかな」


 コイツマジで言ってんの?と言いたそうな目でモモを見るチサト。

 だが、何を言っても無駄だと諦めて男に向き直る。


「なんでこんな事したんスか?」


 チサトの問いに男は未だに泣いて返事をしようとはしない。


「やっぱり無理ッスよ!コイツ答える気が無いッス」


 モモは男を見下ろしながら前へと進み男の前で胡座をかく。

 そのまま頭を前へと倒して地面に頭を擦り付けた。


「!?何やってるんスか!」

「お、おい………」


 流石の男もこの奇妙な光景に目を引いたのか涙を引っ込めて困惑の顔色を見せる。


「ありがとう。ナスターシャに手をあげないでくれて」


 男は訳が分からなかった。自分は金欲しさに年端もいかない幼女を攫ったのだ。

 責められたって仕方のないことをした。こうなった以上蹴りでも殴りでも甘んじて受け入れる覚悟もある。

 だというのにどうだ。目の前の青年は感情に身を任せて暴力を振るう何処ろか頭を地面に擦り付けて感謝の言葉を口にしている。


「あ、頭かどっか可笑しいんじゃねぇのか………?俺はそこのお嬢ちゃんを使って金を奪い取ろうと………」

「それでも、アンタはナイフを使ってナスターシャを無理矢理泣き止ませる事もできたはずだ。優しい人とまでは思わないけど、少なくともアンタは小さい女の子に平気で傷つけるような人でも無いと思う」


 もう男は訳が分からなかった。

 しかし、ふと、男が語り始める。


「………俺よ、ちょっと前までこの街で別の街から物資を運び入れる仕事してたんだ。でもこの時期になるとスライムが増えまくって仕事が無くなって………。それなら毎年の事だしその分の損失分はいつも補填できる様に金も積まれてる。でも今年は予想よりに繁殖期間が長くて一向にスライム達の数が減りもしねぇ。補填する金もそこを尽きちまったらしくって俺ァお払い箱よ。おかげで女房とガキにも逃げられて………。再就職しようにも今は何処も閑散期で雇って貰えなくて………。俺ァ、俺ァ………」


 再び涙を流し始める男にチサトが憐れんだような目を向ける。


「………確かに、ウチの教会の先輩も今年はスライムが増えまくって大変だって言ってたッス」


 モモは頭を地面に擦り付けたまま何も喋らない。

 スライムのせいで仕事も家族も失った男に同情する事はしてもその状態を何とかする事は今の彼にできることではない。


「自分達の力不足で貴方を苦しめたことについてはごめんなさいッス。でも、それでもこれはダメッスよ………。何があっても犯罪は悪いことッス」

「………あぁ。何でこんな事しちまったのかな、俺」


 空を仰ぎ見る男にようやく頭を上げたモモがナスターシャの手を握る。


「モモ………?」

「チサト、後は任せても良いか?」

「はい。ご協力感謝するッス」


 頭を下げるチサトにモモも頭を下げて路地の出口へとナスターシャを連れて歩き出した。


◇◆◇◆


 牛乳以外のお使いを全て終わらせた俺とナスターシャは教会へと帰宅してそれぞれのやるべき事へと戻る。

 ナスターシャはシスター修行のためにシスター・マリアンヌの元で祈りを捧げている。

 一方その頃、俺は再び街の外へと出て剣を片手にスライムと対峙していた。

 その時に門番に一度止められはしたがナトス様の神子だと伝えると何やら騒ぎ出してしばらくして街を出る許可をいただけた。


「………………………」


 剣を強く握りしめてスライムに向かって走り出す。

 剣の間合いに入った瞬間俺は剣をスライムに真上から振るう。

 朝の時は横薙ぎで斬ることが出来なかった。だから今度は縦に当てて力を流されない様にする。

 予想通りスライムは力を受け流す事なくそのままコアを真っ二つにされて力尽きる。

 これで俺はようやくスライムへの再戦と雪辱を果たした。


 でもまだだ。これじゃあダメなんだ。


 俺は再び走り出してスライムを探す。倒し方は把握した。後はいかに一対一の状況を作り出すことだ。

 流石に今の作戦では複数体を相手取るには隙があり過ぎる。


「!?」


 気付けば俺はスライムに囲まれていた。もはや逃げ場も無ければ一体一体を相手取る体力もない。

 地面に膝を突きながらジリジリと近寄ってくる。

 キッとスライムを睨むが所詮はスライム。ビビる事もなければ怯む事もない。


 あぁ………、今から俺コイツ等に溶かされるのか………。まぁ、エロ同人みたいな誰得展開にならないだけましか………。あ、指に引っ付いてきた………。


 次の瞬間、俺の指に鋭い痛みと共に熱が籠ってくる。


 イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ!!!

 アツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイ!!!


「アガ、アガァァァァァァァァァァ!!!」


 ダメだ………。マジで死にそう。やっぱ雑魚の定番スライムでもリアルで対峙するならこうなるか………。


 ナトス様の恩恵があるのなら本当に死にはしないのだろう。既に脚も溶かされて歩けもしない。

 このまま誰かが助けに来てくれるまで痛みに延々と耐えなければならない。生き地獄だ。


「お、ここに居たのか」


 不意に聞き覚えのある声がして目が覚める。

 そこに居たのは俺の主人とも言える痴女の様な格好をしている神様、ナトス様だ。

 次に俺は辺りを見渡す為に身体は動かないので目をギョロつかせる。

 どれだけ時間が経ったのだろうか。日は沈んでないしまだ夕方では無いのだろう。

 俺は声を出して返事をしようとするが出てくるのは不快な掠れ声と血だけだ。


「あぁ、喋んな喋んな。スライムが口に入ってて喉も爛れてる」


 なるほど。確かにそれは喋れない。

 でもスライムが喉まで入ってきたと言うことは外見的にもお見せできないものになったのではなかろうか?


「そうだな。両脚は無くなって身体の皮膚も殆ど溶けてる。側から見れば既に死んだ認定だ。オレ様の恩恵があって良かったな」


 この人ニコッと笑えば普通に綺麗なんだけどなぁ………。絶対この後ゲラゲラ笑うしなぁ………。


「ったく、いくら死なないからって無茶しやがって………」


 ………あれ?反応が違うな。


「回復ヒール」


 ナトス様が両手を俺の方に向けるて彼女の手が光り出して俺に光が降り注ぐ。

 次第に痛みが和らいでいき次第に無くなっていた脚の感覚も戻って来る。


「立てるか?」

「………はい」


 俺は立ち上がって街へと何も言わずに向かうナトス様の後を追う。


 何故ナトス様が俺を見つけることができたのか聞いてみたらナトス様は「門番が見ててオレ様に伝えに来たんだよ」と言っていた。


 なるほど、これは門番の人に感謝せねばならない。


 ようやく門に到着して俺は門番にナトス様の助けを呼んでくれた礼をする。


 そのまま門番と別れて教会に戻って来た俺は自室のベッドへと沈み込む。


「……………」


 しかし目を瞑っても浮かんでくるのは朝の男の顔ばかり。


 ………………………後味が悪い。後味が悪い後味が悪い後味が悪い!


 あの男を助けるのはもう無理だろう。だけどもあの男の様な人間を出さない事は今からでもできる。


「やっぱり………」

「何がやっぱりなんだ?」


 俺が今一度ベッドを飛び降りて剣をベルトに差して部屋を飛び出そうと扉に手をかけようとすると扉が一人でに動いて外からナトス様が入ってくる。


「ついさっき痛い目にあったばっかでもうスライム退治に出かけるたぁ………。いや〜、使命感が強い神子になってくれてオレ様嬉しいぜぇ」


 俺はナトス様の横を通り過ぎて俺が外に出ようとするとナトス様はスライムに溶かられてボロボロになった俺の服の襟を掴んで俺をベッドへと投げ入れる。


「何するんですか!?」

「うるさい。夕餉まで寝とけ」

「無理ですよ!あんなもの見せられて………!」


 俺が言い切る前にナトス様は俺に近づいて来て拳に握り右ストレートを頬に叩き込む。

 俺は壁に激突して肺の空気が一気に全て外に出る。

 息苦しさを紛らわせる為に精一杯呼吸をしながらナトス様を睨む。


「死なないだけで戦う力もないパンピーが、粋がってんじゃねーぞ」


 今まで聞いた中で一番ドスの効いた声だろう。血の気が引いていくのが分かる。


「話は全部ノーサスんとこの神子から聞いた。聞いたからこそ、今オメーにできる事は何一つ無いと断言してやる」


 もはやナトス様に掴み掛かる力もない。

 俺は黙って息を整えながら無様にナトス様を睨み付けるだけだ。


「いいか?オメーが今いるこの世界は日本のように困ってる人間を助けるのが美徳なんてそんな甘っちょろい世界じゃあねぇ。甘さを見せた奴はバカと罵られるような世界だ」


「………じゃあ、なんでそんなバカがやるような事を教会はやってるんですか」


 そんな言葉が俺の口から自然とこぼれ落ちた。

 それは無意識だったのかもしれない。現に俺も今自分が言ったのかどうかさえ曖昧だ。

 ただ、俺がそれを疑問に思ったのも事実だ。

 バカと罵られる人助けを仕事の一環にしている教会は明らかにおかしいことになる。


「バカの集まりだからに決まってんだろうが」


 ………言った。言いやがった!


 俺は拳を握って立ち上がる。

 仮にもテメーの信者をバカ呼ばわりしたこの痴女の神に俺は怒りを覚えた。

 敵わなくても良いから一発殴ろう。

 そう思って俺は雄叫びを上げてナトス様に殴りかかる。


「でも違う。オメーはバカじゃなくてただのマヌケだ」


 涼しい顔で俺の拳を避けるとナトスは俺の鳩尾に蹴りを入れる。

 床に膝を突き胃酸を吐き出す俺を見下ろしながらナトス様はこう言い放つ。


「勝ち目のない戦いに挑もうとするのも、実力に見合わない事をしようとするのも辞めろ。そんなのはマヌケがする事だ。オレ様はオメーにそんなことさせるために転生させた訳じゃあない」


 ナトス様はフン、と鼻を鳴らしてドアを強く閉めながら部屋を後にする。

 俺はゆっくりと立ち上がって口の胃酸を腕で拭いベッドに腰掛ける。


 ナトス様の言う事はもっともだ。力の無い俺が足掻いたところで戦車にハンドガンだけで向かっていく一兵卒と同じ様に潰されて終わりだろう。


「どうすれば良いんだよ………」


 俺はそのどうしようもないやりきれなさを胸にベッドに潜り込んで再び目を閉じたのだった。

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