第26話 再会と再開

 幾重にもめぐらされた防衛線を飛び越えて、数多の攻撃を弾き飛ばし、暴風竜は一直線にジルバリオへと突っ込んでくる。


「イリアス! イリアスなんだろッ!」


 リオはかつて自分の恋人だった魔獣へ問いかける。

 暴風竜の頭がリオの方へとゆっくり動いた。

 じっとリオを見つめる金色の双眸。

 その瞳は人だったころのイリアスのそれと同じだった。

 だが、五年ぶりの邂逅は長くは続かなかった。


「姐さん、アブねぇ!」

「えぇい! 暴風竜がなんぼのもんじゃ! 野郎どもやっちまえ!」


 最強の魔獣来襲を受け、奮い立つ冒険者たち。

 四方八方から、矢が、槍が、魔術が、斬撃が、暴風竜へと殺到する。


「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」


 そのことごとくが、暴風竜の纏う風の結界に弾かれ届かない。

 暴風竜は自身の周囲にたかってきた有象無象を、新たな獲物と認識した。

 そして、無造作にその長大な体躯を振り回して周囲の建造物を薙ぎ払った。


「来るよ、アンタ達!」


 昔取った杵柄。リオはとっさの判断で身体能力を強化する。

 そして、鞭のように振るわれた暴風竜の尾を軽やかに躱す。

 だが、全員がその攻撃を躱せたわけではなかった。


「ぐあぁああああ!?」


 この街の見張り塔よりも太いその尾が、剣の一撃並みの速度で振るわれたのだ。

 その威力はいかほどのものか?

 よけそこなった冒険者たちは全身の骨をへし折られ、四方八方へと吹き飛ばされ、叩きつけられた。


 物理的な暴力と化した暴風竜は、周辺に破壊をまき散らす。

 全てが粉みじんの瓦礫になって崩れ落ち、粉塵があたりに立ち込めた。

 周囲からはうめき声しか聞こえてこない。

 その静寂に満足したのか、暴風竜はその場から離れようとする。


「みんな……っ! 大丈夫かい!」

「姐さん……。済まねぇ、俺たちは何もできなかった……」

「いいから休んでな! あの人は……、暴風竜は私が殺る!」


 リオは腰から聖剣だったものを抜き放ち、構える。


 もうこれ以上、あの人に――――イリアスに人を害させるわけには行かない。


(あの人は、誰かを守るために騎士になった、アタシが愛した男だから……)


 今もなお脳裏に鮮やかに浮かび上がる男の笑顔が、リオの決意を後押しした。

 折れた刃を補完するように水をまとわせ、リオは駆ける。

 

 多くの人間は、聖剣があればそれだけで強くなれると勘違いしている。

 たが、実際はそれだけではない。

 自身を振るうに足る、と聖剣が認めるほどの強さを担い手は身に着けている。

 それゆえに聖剣の担い手は強いのだ。

 

 リオもかつては【始原の七聖剣】が一振り、水の聖剣の担い手と呼ばれた女。

 人類最強の使い手の一人。

 たとえ、〈カタラクティス〉から聖剣としての力が失われようとも、リオが戦えない理由にはならない。


「――――【水閃迅】!」


 リオはその身を引き絞ると、纏った水の刃を超高速で暴風竜へと突き出す。

 打ち出された水の槍は、進路上にあった建造物の残骸を円形に貫く。

 その勢いと威力はそがれることなく暴風竜に到達する。


「GRRRRRRR」

 

 結界に防がれ威力こそ弱かった。

 だが、結界を穿ったことで気を引くのには成功したようだ。

 暴風竜の瞳孔が細められる。

 完全にリオを敵だと認識してくれたらしい。


「こっちだよ、暴風竜!」


 アレを街中で暴れさせるわけにはいかない。

 リオはそう叫ぶと、暴風竜の気をひきつけながら街の外縁部へ向かって駆ける。


 瓦礫を踏みつぶす音が、大地を踏みしめる音が、一歩一歩リオへと近づいてくる。

 距離を詰めた暴風竜は、人が害虫を踏みつぶすように、凶悪な鈎爪のついたその脚を振り下ろす。


 だが、リオはそれを軽やかにかわした。

 暴風竜は執拗に攻撃を繰り返す。


 尾で薙ぎ払い、爪で切り裂き、顎で食らいつこうとする。

 だが、リオはそれらの攻撃全てを見切り、かわしていく。


 やがて、北側の城壁にまでたどり着いたリオは、背後を振り返った。

 暴風竜は痺れを切らしたのか、バサリとその翼を振るう。

 一振りで周囲に突風がまき散らされるが、それは暴風竜にとっては攻撃でも何でもない、ただの予備動作だった。

 フワリ、と暴風竜の巨体が浮き上がったかと思うと、嚆矢のごとき勢いでその巨体をリオへ向けて解き放った。


「――――それを待っていたよ!」


 リオは間一髪のタイミングで竜の突進を躱す。

 そして、そのまま城壁から荒野へと飛び降りた。

 

 宙へ舞ったリオの体は落下までの何秒かの間、何もできない。

 突進を躱された竜は急速旋回すると、無防備になったリオを追う。

 そして、その猛々しい牙でリオをかみ砕こうとする。


 リオはこの時を待っていた。

 上空から地面へ向けて突っ込んでくる暴風竜に対し、リオはすでに構えている。


「これが、今の私にできる最強の技! 喰らえ! ――――【水龍天翔】!」


 最初の一撃から、リオは一度も攻撃せずに逃げに徹した。

 そうすることで温存していた力を全力で開放する。


 竜の顎を模した水の奔流が、リオの鋭い突きに伴って放たれる。

 もはや眼前にまで迫っていた暴風竜に避けるすべもなく、その一撃は風の結界を突き抜け、肉体へと直撃した。


「GYAAAAAAAA」


 顎を貫き、喉から胴体までをも一直線に貫いた一撃。

 たまらず暴風竜は悲鳴を上げると、リオを追い抜いて墜落していった。

 

 リオもまた、当然のように受け身をとることもできず大地にたたきつけられた。


「――――ぐッ!?」


 あまりの衝撃に血が混じった空気があふれ出す。

 最早、身体強化も、治癒も使えない。


 手ごたえはあった、だが倒しきれたかは怪しい。

 かの獄炎竜との戦いですら、聖剣の担い手五人で挑んだのだ。

 竜は聖剣もない、騎士を辞めた女には身に余る相手だ。


「GAAAAAAAAA‼‼」


 リオの懸念は当たり、暴風竜は立ち上がった。

 その体表からは血が流れ出、リオの一撃によって貫かれた跡こそある。

 だが、致命傷には至らなかったようだ。


 標的を見る目が、怨敵を見るそれに代わる。

 これは死んだな、とリオは朦朧とする頭で思う。

 立ち上がることすらできず、五体投地するリオはもはやただの的だった。


(あの人だった魔獣に殺されるなら、本望かもね……)


 リオは、普段なら絶対に考えもしないことが頭に浮かぶ。

 だが、どうせ死ぬのならばいっしょに死にたかったと思う。

 あぁ、もっと早くこの人のところに行って一緒に死ねばよかった。


「バイバイ、イリアス」


 結局、あの人に自分を殺させることになってしまった。

 自分の無力が情けない。


 瞬間――――

 吹き抜けた一陣の風が、暴風竜の翼を切り落とした。


「イリアス! テメェ、このくそドアホが! 誰を殺そうとしてるか分かってんのかッ!」

「ガルム……」

「リオ、オマエをこんなボロボロにしたアレは、オマエを殺そうとしたアレは、断じてイリアスじゃない!」


 ガルムの言うとおりだった。

 あの人は優しかった。

 自分が戦うことすら嫌がっていた。

 獄炎竜との戦いで水の聖剣を失ったアタシにあいつは言ったのだ。

 君は怒るかもしれないけれど、君がこれ以上戦わないで済むのはうれしい、と。


「後は任せろ、オレが……、ケジメをつけてやる!」


 ガルムは、生命の聖剣を暴風竜ティフォンへと突きつけた。

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