第23話 暴風竜ティフォン

 どうしてこうなった。

 リデル・モナーフェスはそう自問する。


「また来るぞ!」

「クッ、風神結界!」


 風の魔剣〈テンペスター〉から力を引き出すと、風の防壁を展開する。

 暴風竜から放たれた吐息ブレスは、凝縮された嵐そのものだ。

 幾千、幾万もの風が断続的に襲い掛かるそれは、防ぐことすらままならない。

 鎧を着込んでいたとしても、一瞬でミンチにされるだろう。

 リデルの展開する防壁も例外ではなく、風の層は一枚一枚剥がれ落ちていく。


 暴風竜ティフォン。

 五年前にジルバリオ近郊の街を滅ぼし、騎士団ですら完全討伐ができず逃げられたという厄災の竜。

 

 だが、当時は風の聖剣の担い手が暴風竜へと変貌した結果、暴風竜と最も相性の良い剣の担い手がなかった。

 だからこそ、風の魔剣を担う自分ならば行けるとリデルは考えていた。

 だというのに実際は、防戦一方で攻める余裕なんてありはしない。


「アルシェ、ブルヘリア、攻撃はどうした! 全然ダメージが入ってないぞ!」

「奴の周りに風の結界があってまともに矢が通らねぇ!」

「魔術もだ。結界がある限りまともに攻撃が通らん!」

「クッ……。アルシェ、一瞬でいいから隙を作れ。私が結界を何とかする」

「了解!」


 アルシェは矢筒から矢を数本取り出すと、間髪入れずその全てを暴風竜の頭部へ向けて放つ。

 流星の如く空を駆けた矢は、一瞬で暴風竜との距離を詰める。だが、風の断層こそ抜けはしたが、普段ならば岩すらも突き破るその矢に勢いはなく、暴風竜の表皮の守りを貫くことすらできない。

 だが、顔の周りにたかる矢が鬱陶しかったようで、暴風竜の意識がアルシェ一人に向かう。


「GRRRRRRR」

「――――出力最大!」


 意識がそれた一瞬の隙を突き、リデルは風の魔剣の力を解放する。

 生み出した突風の後押しを受けて、疾風のごとく暴風竜に肉薄する。


「うおぉおおおおおおおおおおお!」


 暴風竜の纏う風の結界。

 それは言葉にするならば無数に重ねられた空気の層だ。

 リデルは、風の魔剣の力を借り、幾重にも重なる風の地層ともいうべきそれを、一層づつ引きはがしていく。

 無限にも感じられる数秒の間の後、バリンと音を立てて結界が割れた。

 リデルは結界を突き破った勢いで、暴風竜の胴に剣を突き刺すと、転がるようにしてその場を離れる。


「いまだッ! やれッ!」


 その合図にこたえて、大地から無数に火柱が上がった。

 吹き上がった地獄の業火は、糸がより合わさるよう収束して一筋の強大な炎の塊となると、そのまま暴風竜を包み込んた。


「GYAAAAAAAAAAAA」

「これでとどめだ! 劫炎旋風!」


 暴風竜に突き刺さったままの風の魔剣がうなりを上げる。

 周囲の空気が一点に収束し、炎がより勢いを増して激しく燃え盛っていく。

 やがて集まった空気が臨界を超え、爆発という形で周囲に破壊を振りまいた。

 ブルヘリア得意の炎の魔術と、それに相性のいいリデルの風の魔剣。

 今までも数多くの魔獣を葬り去ってきた彼らの必殺の一撃だった。


「……やったか!?」


 濛々と立ち込める煙と、肉が焼ける臭いにリデルは勝利を確信する。

 だがその直後、黒煙の奥から表れた暴風竜の尾が周囲を薙ぎ払った。


「がっ!?」


 全力の魔術を放った後の隙を突かれたリデルは、直撃を受けて吹き飛ばされ、血を吐いて倒れる。


「リデルッ!」


 ズン、と響き渡る轟音。地響きを伴い、煙を割って暴風竜が再び姿を現した。


「無傷、だと……っ!?」

「いや……、傷は負ってる!」


 黒煙を纏って現れた暴風竜の表皮は、全身が消し炭になっていた。

 だが、炭化しボトリと崩れ落ちた表皮の奥からは、肉の赤色がのぞいている。

 彼らの必殺の一撃は、外皮にこそダメージを与えられたが、それだけだった。


「畜生、こんなことになったのはテメェのせいだ、リデル! 俺は逃げるぜ!」

「あッ! おい! アルシェ!」


 弓使いのアルシェは真っ先にその場から逃げ出した。

 暴風竜は先程の攻撃のダメージがあるのか、この場を離れていくアルシェのことを目では追っているが、動かないでいる。

 あの怪物がいつ回復して自分たちに襲い掛かってくるか分からない。

 

「――――クソッ! すまない、リデル。命あっての物種だ」

「ま、ってくれ……」


 ブルヘリアまでもが逃げ出した。

 リデルも必死に逃げ出そうとするが、体を貫く痛みが動きを阻害する。

 先程の全力の攻撃によって魔剣の出力が目に見えて落ちており、身体能力を強化することも難しく、傷をいやすこともできない。


 どうしてこうなったのか?

 リデルは自問自答する。


 だが、彼が答えを出す前に、暴風竜は手近な獲物に狙いを定め、吐息を放った。

 満身創痍のリデルは吹き荒れる風の奔流を、避けることも、防ぐこともできない。

 幾千幾万もの風の刃がリデルの体を粉微塵にした。


「GRRRRRRRRR」


 だが、暴風竜は止まらない。

 その瞳に燃える憎悪の炎が、じっと二人が逃げた先を見つめていた。


******


 いかに暴風竜のねぐらを見つけだし、打倒するか?

 その準備にジルバリオの街を見回っていたラティアは、いつの間にか冒険者ギルドのある街の中央に戻っていた。

 丘の上にあるジルバリオの街は、中心に行くほど標高が高い。

 建物も基本的に山肌に沿うように建造されており、道の片側が崖になっていることも多い。 


「ラティアちゃんやん。こんなところで何してんの?」


 傾き始めた日を背に受けて町の北側を眺めていたラティアは、聞こえてきた声に思わず顔をしかめる。


「ルナール……、あなたがジルバリオに行けって言ったんでしょ?」

「せやっけ? まぁ、ちょうどええわ。ラティアちゃんちょっと手伝ってほしいことあるねんけど?」


 ルナールはそんなことを言いながら、ラティアの進む先に回り込んでくる。


「いやよ。今忙しいの」

「ふぅん。聞かんでええのかなー。騎士団が暴風竜の討伐をすることになったから、手伝ってほしいって話なんやけど」

「なっ!? なんで今更!」

「さぁ、ボクが一番知りたいわ?」


 ルナールは、やれやれと芝居がかったポーズをする。


「で、どうする? このままだと手柄も素材も、全部騎士団がもってくけど?」

「それは……」


 ラティアが暴風竜を討伐したいのは、その素材が必要だからだ。

 それを全部取られてしまっては、非常に困る。

 

 ラティアは騎士団を信用しきれていない。

 大魔女の所業を見て見ぬふりするばかりか、率先して加担していたのだ。

 だが、ルナールは魔女の所業を糺そうとしていたように感じる。

 そして、戦力が欲し語っただけかもしれないが、話す義理などないのにわざわざこの話を持ってきてくれたのだ。

 

「もし、私が協力したら……」

「魔結晶やったね? ちゃんと働いてくれはったら融通するで?」

「わかった。騎士団に協力――――」

「ルナール副団長!」


 ラティアが返答しようとした瞬間、ルナールを呼ぶ声が響く。

 何事か、と声がした方を見ればひとりの騎士が全力で駆けてきた。


「ラティアちゃん、ちょっと待ってて。――――何があったん?」

「ハッ! リデル・モナーフェス含め3名の隊員が先走りました!」


 ギリリ、と奥歯が鳴るような音が聞こえた。


「――――あんのクソボケ共が! ジルバリオ近郊の全騎士を緊急招集! 最悪の事態に備え防衛戦の準備を! 以後の詳細な指揮は各分隊長に委任します!」

「はっ! 副団長は!」

「ボクは間に合えばバカ共の回収と、暴風竜の足止めに動きます」

「――――ッ!! 承知しました、御武運を!」


 騎士は全速力でこの場を去っていった。


「何があったのルナール!?」

「馬鹿が先走って暴風竜の討伐に勝手に動いた。このままだと怒り狂った竜が何をするか分からへんから、私が足止めに行く」

「そんな無茶な……」


 獄炎竜グラナティスは5名の聖剣の担い手を持って打倒したという。

 怒り狂う最強の魔獣に、ルナールは一人で立ち向かおうとしている。

 これを無謀と言わず、何を無謀というのだろうか?


「そんなんボクが一番わかっとる。でもな、どんな状況でも人々の盾になるのが騎士の仕事や。じゃあ、ラティアちゃん。さっきの話はなかったことに」

「――――私、行くわ」


 反射的にそんな言葉がラティアの口をついて出た。


「ラティアちゃん。さっきまでの話とは訳が違うんやで?」

「違わないわ。私、必要なら一人でも暴風竜と戦うつもりだったもの」


 覚悟はすでに決まっている。

 自分に出来ることをやる。それだけだ


「今自分が何て言ったか覚えてる?」

「それはそれよ」

「ったく、この子は……。わかった、じゃあ協力してもらうわ。まずはベオ先輩に応援を……!」

「大丈夫。ガルムさんなら事態を知れば絶対に来てくれます。だから今は少しでも早く時間を稼ぎにいきましょう」

「……はぁ、了解。まずは騎士団の詰め所まで行くで。そこでベオ先輩に言伝を頼むから」


 そう宣言すると、ルナールはラティアを肩に担ぎ上げると、聖剣の力を解き放つ。


「え、ちょっ!?」

「今は少しでも早くやろ? ショートカットするから我慢しいや!」


 ルナールは道の端にある柵を乗り越え、ラティアを抱えたまま崖下へ飛び込んだ。

 ラティアの悲鳴が赤く染まりゆく空にに響き渡った。

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