第4話 森を広げるモノ

 北門付近は逃げ惑う人々で混沌としていた。

 既に城門を突破されたのか、門のそばには三体の魔獣がいる。

 自警団員や騎士達は、魔獣をその場に押しとどめることに専念している。

 非戦闘員が逃げる時間を稼ぐことを最優先としているらしい。


「こっちです! 早く、逃げてください!」


 逃げまどう群衆の中。ラティアは声を張り上げ、傘のような長物を振り回していた。

 住民達は、彼女の声に従って町の中心部へ向かっていく。

 ガルムは、住居の屋根の上から押し寄せる人波を飛び越すと、ラティアの傍へと着地した。


「何やってんだ! 避難誘導は自警団の仕事だ! テメェもとっとと逃げろ!」

「今はまだ駄目です!」

「いつになったら逃げる気だ!」

「このあたりの人が逃げ終えたらです! 邪魔しないで下さい!」


 逃げるつもりはあるらしい。

 だが、あの調子ではいつになるか分かったものじゃない。

 いっそ、問答無用で連れ去ろうか?

 ガルムがそう考え始めたとき、絹を裂くような悲鳴があたりに響いた。


「しまった、一匹抜けた!」


 一体の魔獣が、包囲を突き破って町中へ向かって来る。

 魔獣が向かう先には、逃げ遅れた女性と、彼女に手を引かれた子供がいる。

 巨大な牙を生やしたイノシシに似た姿の魔獣は、一直線に親子のもとへと向かう。

 

「お願い! 誰か助けて!」


 母親が、子供を必死に抱き上げながら、叫んだ。


 反射的に動こうとしたガルム。

 だが、鎧で覆い隠した呪いが軋み、呪いが蝕んだ心がざわめく。

 助けなければならない。

 だが、力を使えばこの身を蝕む呪いが進行して……。

 

 ほんの一瞬の逡巡。

 だが、大きな一瞬。

 その一瞬の間に、ガルムの脇をすり抜けて親子の元へ向かう影があった。


「なっ!?」


 ラティアだった。

 彼女は迷うことなく、親子のもとへ向かって走った。


「あの馬鹿!」


 どんな思惑があるのか知らないが、ただの少女がどうこうできる状況ではない。

 このままでは間違いなく犬死だろう。

 今死なれるのは困る!

 ガルムも駆けだしていた。


 親子の元へ先にたどり着いたのはラティアだった。

 彼女は親子と魔獣の間に滑り込むと、携えていた長物を構える。

 一見して傘のような長物。

 その先端を魔獣へと向けるとラティアは叫んだ。


「聖剣【ダンバイス】起動!」

 

 唱えるように、宣言するように、少女の口から放たれた言葉。

 それに、その長物が、彼女の聖剣が応えた。

 

 ゴウ、と勢いよく吹き出す、極彩色の光の奔流。

 ありえない、とガルムは驚愕する。

 

 彼女が聖剣を持っていた。

 その事実は受け入れざるを得ない。

 魔女に追われるような少女だ、何らかの手を使って聖剣を入手したのだろう。


 問題は、【ダンバイス】と呼ばれた、聖剣の放つ輝きだった。

 聖剣は属性を持つが、基本的に単一の属性しか有さない。

 ゆえに、複数の属性を有する聖剣をガルムは知らない。


 だというのに、あの輝きは何だ?

 極彩色に輝くあの輝きは、一体いくつの属性を内包している?


「盾よ!」


 言葉に応えて、極彩色の輝きが収束していく。

 より合わさった輝きは、聖剣の先端を起点として巨大な円を描いた。

 盾の様に。

 防壁の様に。

 光の壁がラティアたちを覆うように展開された。


 魔獣はそんなものは関係ないと、全速力で突進する。

 そして、光の盾と激突した。

 ガラスが割れるような轟音が響き渡る。

 

 だが、光の盾はいまだに健在だった。

 突き進む魔獣の勢いを止めながら、無数の光の盾が生成され続けている。


 拮抗した状況に焦れた【森林魔猪】が咆哮する。

 ゴウと魔獣から新緑の輝きが噴き出す。

 石畳の道が、隙間から伸びた蔦草に覆われていく。

 街路樹が爆発的に成長したかと思えば、急激に伸びた枝が槍衾のようにラティアの元へ迫った。

 先程までに倍する勢いで、光の盾が割られる破砕音が響き渡る。


「時間稼ぎにしかならないから、早く!」


 少女は当然のようにガルムへ向けて叫ぶ。


「あのガキ……! 最初から人をあてにしやがって!」


 こんな赤の他人のために聖剣の力は使えない。

 ガルムにはなすべきことがある。

 この命はそのために使うと誓った。


 だが、無辜の民を助けずに放置できるほど腐ってもいない。

 復讐を成し遂げたとしても、そのために誰かを見殺しにしてしまえば、大事のために小事と犠牲を許容した魔女と変わらない。


 ただの一撃で魔獣を倒しきる。

 それしかないと、ガルムは決断する。


 魔獣の弱点は、その身に宿す【魔結晶】。

 【森林魔猪】の場合は、異常に肥大化した二本の牙の付け根。鼻の上部が弱点だ。

 普段ならば、牙を武器として振るいながら突進してくるため、その部位を突くことが難しい。


 だが、盾に突進を阻まれた今は、その足が止まっている。

 間違いなくチャンスだった。


 ガルムは腰から剣を抜き放つと、強く足に力を籠める。

 今この時も、この場は森にのまれようとしている。

 鬱蒼と茂る草木は進路を遮り、石畳を割って突如現れる根は槍のようだ。


 ガルムは手近な街路樹の幹を一息に駆けあがる。

 そして、そのまま驚異的なバランス感覚で細い枝を伝い魔獣の元へ駆けていく。

 彼我の距離が最短になる場所までたどり着くと、ガルムは枝のしなりをも活用し、高く飛び上がった。

 

 魔獣がガルムに気づいたのは、その瞬間だった。

 ラティアへとむけていた攻撃の全てを、ガルムへの迎撃に回す。

 うねり伸びる枝が、しなる蔦が、鋭き根がガルムへ向けて殺到する。

 落下するしかないガルムにはよけるすべはないかに思われた。

 

 だが、ガルムは止まらない。

 大きく剣を振った反動で枝をかわすと、迫る蔦を返す刀で切り落とす。

 自身を突きささんと迫る根に着地すると、再跳躍。

 剣を大きく振りかぶると、落下の勢いをも乗せて、魔獣の弱点である鼻の付け根めがけ、その剣を振り下ろした。

 硬い表皮を抜け、肉を断ち芯に至る感触。

 一拍後、パキンという【魔結晶】が砕ける小気味よい音が響き渡った。

 

【森林魔猪】は、断末魔の声すら上げることなく、その場に崩れ落ちた。

 

「まったく、割に合わねぇ……」


 ガルムは、剣を鞘に納める。


「やりましたね! ガルムさん、すごかったですよ!」


 魔獣が完全に沈黙したとわかるや、ラティアがこちらへ駆けてきた。


「なにが、やりましたね、だ。騎士でもないのに大型魔獣の前に飛び出すやつがいるか! この大馬鹿野郎!」

「馬鹿とは何ですか! 私が行かなかったらあの親子がやられてました!」

「それでお前がやられちゃ世話ないだろうが!」

「私はやられてません!」

「時間稼ぎにしかならないって言ったのはテメェだろうが、このアホ!」

「ガルムさんが助けてくれたじゃないですか!」

「俺が見殺しにしたらどうする気だった!」

「え、見殺しにするんですか?」


 その発想はなかったという瞳でこちらを見つめてくる少女。


「……自分から死にに行くやつを助けてやるほど俺は甘くない」

「でも、助けてくれたじゃないですか。ありがとうございました」

「あ、あの! 私からもお礼をさせてください」


 見れば、ガルム達が助けた親子がそこに居た。


「本当にありがとうございました! あなた達がいなかったら、私達は間違いなく死んでいました」

「おじちゃん、ありがとう。凄くかっこよかったよ!」

「――――――」


 命を救われたことに対する当然の感謝。

 だが、そんなあたりまえの言葉すら、本当に久しぶりのことだった。

 それこそ、呪われたこの体になってからは初めてかもしれない。

 

「お、おう……」


 ガルムは、しどろもどろに返すことしかできなかった。

 たった数年で、人からの好意にどうこたえていいか分からなくなっていた。


「あ、ガルムさん照れてますか?」

「うるせぇ、行くぞ!」

「あ、ちょっと! 待ってください!」


 急に居た堪れなくなってガルムはその場を後にする。

 自身の目的を考えれば無駄でしかない行為。

 だが、久方ぶりに満たされるような感情を得た。


******

 

 そんな二人の様子を北門の上からじっと見つめる影があった。

 

「あの動き、あの剣捌き、どこかで……」

「協力者がいるようですね。ガシュー様、いかがなさいますか?」


 部下に声を掛けられ、ガシューは思索を中断し顔を上げる。 


「さぁ、狩りの時間です。今度は私自ら出向くとしましょう」

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