第3話 魔獣来襲

「おじゃましまーす」


 ガルムの部屋は、フェルマの町のはずれ、北側の防壁にほど近い区画にある。

 防壁に近い町の外周付近の区画は、魔獣の襲撃を受けた際に最も危険な区画だ。

 あえて住みたがる人も少ないが、地価も中心部と比べて安く、その日暮らしの人間には需要があった。

 一月単位で家を空けることの多いガルムにとっては、ちょうどいい場所だった。


 部屋は集合住宅の一角で、屋根と壁と扉で囲われただけの簡素な造りだ。

 家具らしい家具もなく、寝台が置いてあるだけの狭い部屋だった。


「いいか、朝になったら出て行けよ?」


 ガルムは少女を部屋に入れるなりそう口に出す。


「わかってますって、お兄さん」

「お兄さんはやめろ、お嬢ちゃん」

「お嬢ちゃんって……。そういえば、名乗ってませんでしたね。私はラティアです! お兄さんは?」

「……ガルムだ」

「じゃあ、ガルムさん! 一晩ですがよろしくお願いします」


 そういって少女は、ガルムの方へと手を差し伸べてくる。


「明日の朝には他人だ、勝手に過ごせばいい」


 ガルムはラティアの差し出した手を無視すると、壁にもたれかかる。

 

「つれないですね。友達出来ませんよ? ところで、ガルムさんの腰のソレ。聖剣ですよね?」

「……なんのことだ?」

「もう、とぼけないでくださいよ! 私、これでも聖剣に詳しいんですから」


 指差されたガルムは、腰の剣を少女の視線から隠すように体の角度を変える。

 だが、ラティアはちょこまかと移動して、腰の剣に顔を近づけてくる。


「量産品にしてはデザインが洗練されてますね。もしかして……オリジナルですか!」

「こんな田舎町の冒険者がもってるわけないだろ」


 いい加減にしろ、と凄んで見せると少女は大人しく引き下がった。

 

 聖剣の製法は騎士団が完全に独占しており、量産型の聖剣が市場に出回り始めたのもここ数年の話だ。

 故に、市場に出回っている聖剣は、全て【始原の七聖剣】を参考に作られた量産品か、量産品にも劣る性能の中古品だ。

 だが、ガルムの持つそれは、【始原の七聖剣】が一振り。本物だ。

 ガルムが世間一般にはお尋ね者である以上、自分の正体につながる聖剣を見せてやるわけには行かない。

 それが聖剣に詳しいと自称する輩なら尚更だ。


「で、ラティア。なんで魔女協会なんかに追われてる?」

「それは……」


 ラティアは、口をつぐむ。

 正直、こんな厄介ごとにかまっている余裕はガルムにはない。だが……、


「ごまかしたいならそれでもかまわんが、相手が魔女協会なら力になってやらんでもないぞ」

「……」


 魔女協会。

 その始まりは、大魔女アイネが数十年以上前に創設した魔女達の互助組織だと言われている。

 今でこそ魔術師の育成理論も整えられ、魔術を使える男も増えてきたが、それもここ十年のこと。

 魔術とは、先天的に魔術を使うことのできる魔女だけのものだった。

 故に魔女協会。

 協会の目的は、魔術の研究、応用、発展、普及だ。

 世間一般には、便利なものを発明してくれる良い組織ぐらいの認識だ。

 だが、そのトップである大魔女アイネが、過去に何をしでかしたかをガルムは誰よりも知っている。


「あの……、大魔女アイネってご存じですか?」

「――――あぁ、よく知ってる。五年前に死んだんだろう?」


 ガルムは努めて平静を装った。

 だが実際には、その名前を聞いただけで、怒りが渦を巻き、それに呼応して鎧の下で蠢く呪いで全身が軋み始める。 


「実は、大魔女が私に追っ手を向けてる、って言ったら信じてくれますか?」

「どういうことだ?」


 ガルムが仔細を聞き返そうとした瞬間、カンカンと甲高い鐘の音が鳴り響いた。


「これは……?」


 困惑した様子のラティアの疑問に答えるように、部屋の外から大声が響き渡る。


「魔獣だ! 魔獣が出たぞッ!」

「北門の方だ!」

「いったい、自警団は何をしていた!」

「女子供は街の中央の魔女協会へ逃げろ! 戦えるものは武器をとれ!」


 切羽詰まった声が連鎖し、にわかに周囲が騒がしくなる。


「警報だと? 面倒な……」


 魔獣は北方の【魔界域】から、人類圏へ絶えず侵攻してくる。

 だがこの町の北には、人類圏の壁として築かれた城塞都市ディアマンテが存在する。

 いくらこの地域が【魔界域】の近くとは言え、城塞都市を素通りして、この町に魔獣が現れるのは珍しいことだった。


「厄介だな、これじゃあ襲撃が落ち着くまで町から出られない」


 前線に近いこの地域の町は、規模の差こそあれ城壁で囲まれている。

 魔獣の進行を防ぐための当然の措置である。

 町を出入りするには、町の四方にある門を通るしかないが、魔獣の襲撃を受けている間は、当然門が閉ざされてしまう。

 追手から逃げなければならないラティアにとっては、最悪のタイミングである。


「……まさか!」


 ラティアは、はたと何かに気づいたようにサッと顔を青ざめさせる。


「おい、大丈夫か? とりあえずオマエは避難した方がいい」

「いいえ……。私、用事を思い出しました。行ってきます!」


 部屋の出入り口に向かって駆けだそうとした少女を、壁のような体躯でふさぐガルム。


「行くって、どこにだ?」

「魔獣の襲撃があった区画です」

「あ、おい!」 


 小柄な体を生かして、ガルムのブロックをかいくぐったラティアは、一直線に駆けだした。


「チッ、何考えてやがる……」


 いつものガルムならば、勝手にしろと放置するような無鉄砲さだった。

 だが彼女は『大魔女が私に追っ手を向けてる』と言った。

 その言葉の真意を問いたださねばならない。


 彼女を追ってガルムは急ぎ表に出たが、少女の姿は周囲に見当たらない。


「あぁ、面倒くさい……」


 ガルムは、その巨躯からは考えられないほどの敏捷さで、裏路地を駆け抜ける。

 警報を伝える鐘の音は、絶えることなく鳴り響いている。

 音のする先を見やると、そこには周囲の建物よりも背の高い建造物がある。

 魔女協会の支部だ。

 魔術を駆使して建造されたその尖塔は、見上げるほどに高い。


 ガルムは、走る速度を上げていく。

 そして、垂直に近いその壁面を、勢い任せに一息に駆け上った。


「――――見つけた」


 尖塔の頂上から周囲を見渡すと、少女は北門付近にいた。

 よりによって魔獣が出たという戦闘の渦中にある場所だ。

 どうやら逃げ遅れた人々の救助に徹しているらしい。


 そして、ガルムは城壁のそば、魔獣を押しとどめている最前線に目を向ける。

 そこには【森】が顕現していた。

 フェルマの町は、穀倉地帯に囲まれてこそいるが、木が生い茂る町ではない。

 だというのに、北門周辺には鬱蒼と生い茂る森林が出現している。

 

「あの規模の【領域】を展開できるのは、大型魔獣か!」


 魔獣の中には、自身にとって都合の良い【領域】を周囲に展開できるものがいる。

 人外魔境と呼ばれる【魔界圏】は、力の強い魔獣によって元の世界が塗りつぶされた場所だ。

 ゆえに、そこには自然な生態系は存在しない。


 溶岩地帯の隣に、豪雪地帯が隣接する。

 豪雨にさらされる大森林の傍に、不毛の大地が広がっている。

 暴風渦巻く荒野に、穏やかな花畑が広がっている。


 その荒唐無稽な世界を成立させているのが大型以上の魔獣が展開する【領域】だ。

 町の一部を森に呑みこむレベルで領域による世界の侵食を可能とするのはかなり高位の魔獣だ。

 そんな強い魔獣が、ディアマンテの防衛線を抜けてられるはずがない。

 よしんば超えたとしても、この町の見張りに気づかれないわけがない。


「まずはあのお嬢ちゃんだ」


 思えば魔獣の襲撃を聞いた時のラティアの反応はおかしかった。

 何かを知っているに違いない。

 ガルムは少女の元へ最短で駆け抜けるべく、腰に帯びた聖剣に手をかける。

 だが、ギシリと甲冑の下で蠢いた、呪いの痛みに逡巡する。


「わざわざ力を使うほどでもないか……」


 そう呟くと、尖塔から飛び降りたガルムは、屋根伝いに現場へと向かった。

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