第一章 騎士と少女

第1話 燻った日々

 男は身の丈が二mを超える巨体だった。

 全身を隠すようにくたびれたマントを纏い、フルフェイスの兜をかぶっていた。

 右半身に、闇よりも深い黒の金属鎧を纏い、腰には一振りの剣をさげている。

 目立つことを嫌っているのか、大きな体を縮こまらせ、こそこそと隠れるように路地裏を歩いていく。

 巨体の男ガルムは、人気のない薄暗い店内に入ると、カウンターに大きく膨らんだずた袋を載せる。


「査定を頼む」


 彼は屋内だというのに兜を取らず、くぐもった声でそういった。


「少しお待ちを」


 昼飯時で店員が出払っているのか、手が回っていないらしい。

 手持ち無沙汰になったガルムはぼんやりと店の壁を見る。

 壁には何枚も依頼書が張られていた。

 近くの森で薬草を摘んで来て納品する仕事。

 隊商が町から町へ移動する際の護衛の仕事。

 果ては賞金首の討伐依頼など内容は様々だ。


 そんな中に、二枚の色あせた依頼書がある。


『【不死身】ベーオウルブズ。大魔女アイネ殺害の罪。生死問わず。時価』

『暴風竜ティフォン。町二つと城塞を壊滅させた災厄。生死問わず。時価』


 両者ともに当初設定された賞金額が、後から値上げされている。

 だが、依頼を達成できた者はいまだいない。

 このビラは取り下げられることないまま数年前から張られ続けている。


「お待たせしました。魔結晶の買取りですね。拝見します」


 店主らしき小太りの男がやって来て、ズタ袋から中身を取り出す。

 転がり出たのは、大量の硬貨程度の大きさの結晶体だった。

 色とりどりに輝くそれは、宝石と言っても通用するだろう。


「これは、すごい量だ! 最近、魔女協会がまた便利な魔道具を発明したとかで、需要が増えてきているので助かります」


 魔結晶は元々、魔術師以外に必要とする者もいないクズ石でしかなかった。

 だが、ここ十年は魔結晶を燃料や媒体にした便利な機器が出回り始めた。

 その結果、急速に需要が高まっている。


「しかも、どれもほぼ傷がなく質がいい! お兄さん、いい腕してますねぇ!」


 現実的な魔結晶の入手方法は魔獣の討伐だ。

 魔獣という生き物を構成するコア、それが魔結晶だといわれている。

 ゆえに、弱点である魔結晶を壊すことが魔獣を倒す最も簡易な方法だった。


 魔獣討伐は、民を守る役目を負った騎士団以外は、誰もやろうともしなかった。

 だが、最近は一攫千金を求めて魔獣を退治する者が現れている。

 こうした者は、周囲からは冒険者などと呼ばれている。

 ガルムも、その需要に乗る形で魔獣を討伐しては日銭を稼いでいた。

 

「いやぁ、五年前に大魔女アイネが死んだと聞いたときは、ウチも稼ぎが減るんじゃないかと思いましたが、杞憂でした。世の中どんどん便利になる。魔女さまさまだ」


 魔女という存在が礼賛されている状況に、自然とガルムの体が反応する。

 だが、この程度でいちいち反応していてはこの社会ではやっていけない。


「……そうか、それでいくらだ?」

「この感じですと、一万というところでしょうか?」

「……さすがにボリ過ぎだろう。この量と質、よそなら二万は出すぞ」

「では、ウチではなく正規のルートで売却したらいかがですかな?」


 舌打ちが出そうになるのを、ガルムはこらえる。


「……わかった。今日はそれでいい」

「まいど。今後ともごひいきに、お兄さん。魔女に栄光あれ」


 ニチャリと脂ぎった笑いを浮かべる店主。

 ガルムはカウンターに出された硬貨をひったくるように受け取ると店を後にした。


***


「なにが、魔女さまさまだッ!」


 ガルムは舌打ちと共に酒を飲み干し、ジョッキを机にたたきつける。

 自分が無実の罪を着せられたのも、無二の友を失ったのも、全ては魔女のせいだ。

 だというのに、この世界は魔女を中心に回っている。

 その事実が忌々しい。憎らしい。

 いらだちをごまかすように、真っ赤に染まった食事を口に放り込む。

 口内を刺激する痛みに近い辛味と旨味に、少しだけ落ち着きを取り戻す。

 チリーン、と酒場のドアベルが鳴る。ようやく待ち人が来たようだった。


「こっちだ、ドク」


 区切られたテーブル席から顔を出してガルムはその男を呼ぶ。


「悪いな、待たせたか? それと、いい加減ドクはやめろ」


 ドクと呼ばれた白衣の男が、ガルムの対面に座る。


「それなりにな。同じものでいいか?」

「飲み物だけな。オマエの食の趣味は俺にはあわない」

「ストレス解消にはいいぞ。とりあえず酒を追加で三杯くれ!」


 給仕に酒の追加を依頼するガルムを逆目に、疑うような目でガルムの食べかけの料理を口に含んだドクは、激しくむせ始めた。


「おまえ……。コレが本当においしいと思っているのか? この感じだと悪化してるだろう? 顔だけでいいから、兜を脱いで患部を診せろ」

「……今、ここでか?」

「ここでだ」


 溜息を吐いたガルムは、周囲を見回し人目がないことを確認すると、兜を脱いだ。

 そこから現れたのは、誰もが目をそむけたくなるような醜い顔だった。


 顔面の右半分は緑がかった結晶状の物体に覆いつくされている。

 結晶に覆い隠された右の瞳は、結晶体越しに赤く輝いている。

 髪の色は白く褪せ、まだ無事な左の目元は落ちくぼんでいる。


「想定よりも進行が速いな……」


 もういいだろ、とガルムは逃げるように兜をかぶり直す。

 素顔を見ただけで子供が泣きだしたこともあり、人前では甲冑と兜も手放せない。


 この呪いじみた病は大魔女アイネから受けたものだ。

 【祝福の結晶】と大魔女が呼ぶ結晶体は、今もガルムの胸の中心に鎮座している。

 謎の結晶の浸食範囲は、当初は胸部だけだった。

 だが、今では右半身を全てが結晶体に覆い尽くされている。

 日々じわじわと全身を浸食してくる様は、呪いとしか形容しようがない。


 放置すれば、この呪いは全身を食いつくすだろう。

 呪われて、地位も、名誉も、相棒も、全てを失った。

 それもこれも、あの魔女のせいだと、ガルムは毎朝自分の顔を見るたびに怒りがこみあげてくる。


「それよりも薬をくれ。今朝も発作が起きた」

「……最近の頻度は?」

「だんだん短くなってきてるな。最短だと一日おきだ」


 これが一体どのような現象なのか。

 呪いじみたこの病を解く方法はあるのか。

 ガルムはその答えを自分なりに数年間探し続けたが、その成果は芳しくなかった。


 経験則的に分かったのは、聖剣を使用すると、呪いの進行が速いということ。

 何もしなくても、徐々に呪いは体を蝕んでいくということだけだった。


「……力不足ですまない」

「アンタのせいじゃないし、俺が無実と信じて診てくれるだけで助かってるよ」

「お前が意味もなく罪を犯すわけがない。それに私にとって患者は平等だ」


 ドクはカバンから、紙袋を取り出す。


「一日に一回以上は使うなよ? 副作用に体が耐え切れんぞ?」

「その場で死ぬか、後で死ぬかの違いだろ」

「いや、実際はそうかもしれんが……」


 ドクはそう言いながら苦虫をかみつぶしたかのような顔をする。

 あと少しでも呪いが進行すれば死ぬ。

 ガルムは感覚的にそれが分かっている。

 いや、死ぬだけならまだいい。そうじゃなかった場合は……


「お待たせしました!」


 テーブルにジョッキが三つおかれる。


「なんで三つだ?」

「もうすぐあいつの命日だろ」


 ドクの問いかけにガルムはそう返すと、ジョッキを掲げる。


「亡き友、イリアスに」

「イリアスに乾杯」


 二人はジョッキを打ち鳴らし、ガルムは一気に酒を飲み干した。


「あれから五年か、もうそんなになるのか……」

「そうだな。うちの子も最近五歳になったんだ」

「子供か……。俺には縁遠い話だ」

「うちの子は成長が早くてな、また背が伸びたんだ。最近じゃだいぶヤンチャになって、放っておいたらすぐにどこかに冒険に行こうとするから大変だ」


 また始まった、とガルムは子供の自慢を始めたドクに苦笑する。

 ドクは騎士団時代からの昔馴染みの医者で、結婚を機に騎士団を退団している。

 他の医者が残らずさじを投げたガルムの呪いを今も診てくれている。

 ガルムは彼に恩義を感じているが、診察の度に同じような聞かされれていれば、さすがに辟易してくる。

 それでも適当に相槌をうちながらガルムが料理を口に運んでいると、数少ない友との和やかなひと時を台無しにするような単語が聞こえてくる。


「おい、フィーア魔女工房の新作見たか!」

「あぁ! あの【浮遊機体】だろ? かっこいいよな。いつか俺も欲しいよ」

「見た目しか気にしてないとか、これだから素人は。アレは馬力と積載量もすげぇんだよ。普及すればもっと都市間の移動が楽になるし、物資の輸送も早く安く済むんだよ」

「つまり、どういうことだ?」

「酒がもっと安く飲めるようになるってことさ!」

「マジかよ。魔女に乾杯!」「乾杯!」


 響き渡るジョッキを打ち鳴らす音。

 ガルムにはその些細な日常会話も、雑音もひどく耳障りに聞こえる。

 知らず、ギリリと奥歯がきしんだ。

 どいつもこいつも、魔女、魔女、魔女。

 魔女の作り出す様々な道具は、間違いなく人々の生活を良い方向に変えている。

 今ガルムが飲んでいる冷えた酒も、魔女の作った道具によりもたらされたものだ。

 そして、酒を飲む金を用立てるのに換金した魔結晶も、魔女がいなければただのクズ石だった。

 どこに行っても魔女という存在から逃げることはできない。

 その事実がガルムの苛立ちに拍車をかけていく。

 ギシリ、と鎧の下で何かが蠢く。


「――――悪いが急用ができた。代金は置いておくから、払っておいてくれ」

「おい、ガルム!」


 これ以上ここにいるのはマズイと思い、ガルムは席を立つ。

 魔女は悪だ、と一人で叫んでも狂人のたわごとでしかない。

 かたや手配犯、かたや社会に貢献する魔女だ。

 どちらの話を信じるかと問われれば、何も知らない人間は魔女を信じるだろう。

 現在ガルムは、魔女達の頭領――大魔女アイネ殺害の罪で手配されている。

 世間から見れば、殺された魔女は被害者であり、自分は罪人でしかない。

 この手で救った命も、大魔女に散らされた命も、子細を語られることはなく、真実は呪われた。この体と共に。

 魔女を礼賛する社会にガルムの居場所はなかった。

 

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