堕ちた騎士と聖剣の魔女
不知火 詠人
0章 裏切りと呪い
「大魔女アイネよ。年貢の納め時だ」
若草のように碧く染まった鎧を纏った騎士は、剣を魔女の喉元へと突きつけた。
そこは魔獣達が住まう【魔界域】にある古い砦。
打ち捨てられた古城の最上階にある大きな広間だった。
「しかし驚きだな。聖剣を開発し、人類に貢献し続けてきた人物が、影でこのような悪事を働いていようとは……」
ガルムは、城塞都市ディアマンテが誇る騎士団員。
その中でも七人しかいない聖剣の担い手であり、人類を魔獣の脅威から守護する最強の騎士だ。
彼と相棒の二人がここを訪れたのは、巷を騒がせる人さらいを追ってのことだ。
ディアマンテ近郊の町で起きている子供だけを狙った人さらい。
神出鬼没で尻尾を掴ませないその手口に、騎士団は手を焼いていた。
公式に届出が出ているだけでも、その被害は百に及ぶという。
「悪事? たわけたことを。これは【魔界域】に接するディアマンテに生きる多くの民のため。そのためならばこの程度の犠牲など物の数ではないわ」
対する大魔女アイネは、ディアマンテに知らぬ者のいない人類の功労者だ。
齢百近くともいわれている彼女。その言葉遣いに反して見た目は若々しい。
魔獣に蹂躙されるだけだった人類に聖剣を、戦う希望を与えた貢献者。
その日を精一杯生きる人々に魔導機関を与え、生活を豊かにした天才。
人類にとってなくてはならない存在。
だが、そんな事実も犯した罪には関係がない。
「ふざけるな! どのような理由があれ、子供の命を弄んでいい道理はない!!」
ガルムが辿り着いた時に、生き残っていたのは二人だけだった。
その内一人も、ガルムの手の中で石となって崩れて消えた。
百名近い子供が攫われたというのに、生き残ったのはただ一人の少女だけだった。
「言え! お前はここで何をしていた! 子供たちに何をしたんだ!」
もとは大広間だったのであろうこの部屋。
四方の壁を全て覆いつくすように、円柱型の巨大な水槽が並んでいる。
水槽には青白く輝く液体がなみなみと満たされ、水槽の底には、さまざまな色に輝く結晶体が沈んでいた。
古城に水槽。明らかに異様だ。
子供を使って何らかの実験をしていたとしか思えない。
「何が欲しいんじゃ? 金か? 地位か? 名誉か?」
「ふざけるな! お前の罪は必ず、俺が白日のもとにさらしてやるからな!」
ガルムは、倒れ伏す大魔女を無理矢理に立たせて連行しようとする。だが……、
「勝手な行動をされては困るのだよ、ベーオウルブズよ」
「――――ッ!?」
この場にいないはずの声が耳元から聞こえた。
意識に生じた、一瞬の空白。その虚を突かれた。
下腹部を冷たいものが通過していく衝撃。
ズルリ、と自分の視界がずれた。
否。真っ二つにされた自身の下半身が力をなくし崩れ落ち、上半身がボトリと音を立てて大地に転がった。
「あ―――、が――――――!?」
声にならない悲鳴が漏れる。
「遅かったのう、クレールスよ。いや、騎士団長殿?」
「困った人だ。勝手に動かれるから、このような小物にしてやられるのです」
騎士団長クレールスは、ガルムから剣を奪うと、明後日の方向へ放り棄てた。
カチャカチャと周囲を甲冑を纏った騎士たちが闊歩する音が聞こえる。
クレールスの直属の配下だろうか?
7人もの騎士が切り伏せられたガルムを見下ろしていた。
「なぜ……?」
なぜ、騎士団長がここにいるのか?
なぜ、自分を切ったのか?
なぜ、魔女の所業を許しているのか?
疑問符ばかりが浮かんでは消える。
「数々の発明をもって我々に貢献してきた大魔女を。城塞都市ディアマンテ防衛の要といっても過言でもない彼女を。私怨で襲撃し、殺害せんとした。それだけで、万死に値する」
「ふざ……、けるな!!」
失血と痛みに意識が飛びかけるが、あまりにもな言葉にガルムの意識が賦活する。
クレールスの言葉は、より多くの人間に貢献さえすれば、その人間がどのようなことをしても問題ないと言っているのと同義だ。
人々を守るべき立場の騎士団長が言っていい言葉ではない。
「逆賊の言葉は聞くに値しない、貴様はここで死ね!」
いつの間に抜き放ったか、クレールスの掲げる剣が、月光を反射しギラリと輝く。
その輝きは最強と名高き剣。光の聖剣【ユースティア】の輝き。
その刃を振り落とせば、動くことも適わないガルムの体は一瞬で消え去るだろう。
「殺してもらっては困るの、クレールス。聖剣の担い手を二人も実験台にできるなど、そんな機会二度とない!」
「……イリアスを連れてこい!」
イリアス。
共にここに来た相棒の名に、朦朧としかけていたガルムの意識が賦活する。
ガルムの隣へ、蒼穹の如き蒼く輝く甲冑を纏った騎士が放り棄てられた。
その四肢は綺麗に切断されており、断面からは焦げたようなにおいが漂っていた。
「ガルム……、すまない」
「謝るのは……、俺の方だ」
自分が自分の不手際で死ぬのは別にいい。
よくはないがまだ納得できる。
だが、イリアスを巻き込んだのはガルムだった。
自分の不手際で友を巻き込むことは耐えがたい苦痛だった。
「では、聖剣に選ばれた二人の騎士に、我が研究の成果たる【祝福の結晶】の実験台になってもらおうか!」
そう言い放つと、大魔女アイネは何処からかこぶし大の結晶を取り出した。
結晶は夜の闇よりも暗く、それでいてテラテラとした有機的な輝き放っていた。
本能が、アレはまずいと警鐘を鳴らす。
だが、二人はどうすることもできない。
大魔女は、動くこともできない二人の体の中心に、それ押し付けた。
何の抵抗もなく、トプンと結晶は二人の体に沈み込んだ。
「がっ!?」
「ぐぅっ!?」
異変はすぐに始まった。
埋め込まれた【祝福の結晶】を中心に全身に衝撃が走った。
気が狂いそうになる痛みと衝撃。
だが、その波に耐えることしかできない。
ガルムは気を紛らわすように横を、イリアスの方を見る。
そこでは異様な光景が広がっていた。
イリアスの切り落とされた四肢の断面から、緑いろに輝く結晶体が飛び出した。
その結晶体は、見る見るうちに大きくなると、骨を形作っていった。
「な……」
その異変は当然のようにガルムの体にも降りかかった。
ガルムの腰の断面からも結晶の骨が体を突き破るように伸びる。
伸びた結晶は近くに転がっていた下半身に突き刺さると、上半身へと引き寄せた。
そして、ぴったりと合わさった上半身と下半身は、一瞬にして接合された。
だが、ことはそれで終わらない。
胸の黒い【祝福の結晶】を中心に、全身が緑色に輝く結晶体へと変貌していく。
その影響はゆっくりと、しかし確実に二人の体を蝕んでいった。
「大魔女よ! これは!?」
「慌てるでない、クレールスよ。死の直前に見せる一瞬の輝きじゃ。ほれ、あちらの騎士を見ろ」
「が、がぁああああああああああ!?」
イリアスの口から苦悶の声が漏れる。
ガルムよりも早く、イリアスの体は結晶の浸食にのまれていく。
失った四肢は、人のそれとは思えぬものに変貌していった。
以前よりも大きく、以前よりも力強く。
浸食は四肢を、全身を包み込み、残された頭部すらも覆いつくさんとしている。
今にも、人ではない異形へと変貌してしまいそうだった。
だというのに、イリアスの瞳はまだ死んでいなかった。
「ガルム……! あとは任せた!」
「イリアス、何を!?」
「風の聖剣よ! 今こそ、私に最後の力を!」
その言葉に、その意志に応えたか、音をも超える速さで飛来するものがあった。
四肢を切り飛ばされ、いずこかへ奪い去られていたイリアスの剣。
彼を担い手として選んだ風の聖剣【ティフォン】である。
その剣は、何を思ったかイリアスの胸へと、突き刺さった。
「ぐっあああああああ!」
痛みゆえか、はたまた闘志ゆえか、イリアスは咆哮した。
イリアスを、彼がもつ風の聖剣を中心として、周囲に立っていられないほどの突風が吹き荒れ始める。
「これは……!?」
「ははは、はははははは!! 素晴らしい、素晴らしいぞ。イリアス・トニトゥルスよ!」
「アイネ、あなたは相変わらず戯れが過ぎる! 総員、構えろ!」
クレールスに付き従い遠巻きにしていた騎士達が抜刀する。
このままではイリアスがやられる。
そんなことをさせるわけにはいかない。
聖剣がなくともできることはある。やるべきことがある
ガルムの瞳に再び闘志が灯った。
それを待っていた、とばかりにガルムの剣、生命の聖剣【オムニス】が飛来する。
そして、今も全身をむしばむ【祝福の結晶】を貫いた。
全身を蝕む結晶の勢いがいくばくか弱まっていく。
これならまだ戦える!
「イリアス、大丈夫か! イリアス!」
「ガルム……ッ! ク、来ルナ!」
イリアスは異形と化した左腕で、駆け寄ったガルムを突き飛ばした。
「――――ガっ?!」
イリアスのどこにそのような力が眠っていたのか?
ガルムの体は吹き飛ばされ、ぼろ雑巾のように転がった。
「ガルムは放っておけ! イリアスから片付けろ!」
イリアスへとトドメを刺すべく駆け寄りながら、クレールスは檄を飛ばす。
突風に吹き飛ばされた騎士達も、クレールスの後に続き、イリアスへ斬りかかろうとする。
「やめろぉおおおおおおおおっ!」
ガルムから洩れた悲痛な声は、その直後に発生した竜巻に全てかき消された。
少し先をも見通すことのできない、濃密な空気の断層。
瓦礫を巻き上げ、狭い屋内をめちゃくちゃにかき回していく暴力的な流れ。
その奔流は、天井に風穴を開けた。
ガルムは飛ばされないように耐えることしかできない。
イリアスの近くで空気の圧に耐えきれなかった騎士たちが、なす術もなく上空へと巻き上げられていく。
そして、いつまでも続くかと思われたソレは唐突に終わった。
「……イリアス?」
竜巻が晴れた先。
そこに、イリアスの姿はなかった。
翼を持ち、四足で大地を踏みしめるその威容。
イリアスがいた場所に佇んでいたのは一体の巨大な魔獣。
その中でも最強の名をほしいままにする存在。竜だった。
「ははははは、素晴らしい! さすがは聖剣に選ばれしもの! その剣の名前を冠し暴風竜【ティフォン】とでも呼ぼうか!」
「――――総力戦だ! 城塞都市に伝令を出せ、【始原の七聖剣】の担い手を全員駆り出せ!」
クレールスが何かを叫んでいるが、ガルムには意味のある言葉として聞こえない。
それは相棒と呼んだ存在が、自分達の敵である魔獣になり果てた衝撃からか。
それとも、自分も魔獣になり果てるのではないかという恐怖からか。
「うそだろ、イリアス……っ! イリアスッ!」
ガルムにはそう叫ぶことしかできない。
「――――俺ハモウ駄目ダ。ガルム、オマエハ逃ゲテ……、アイツニ、りおニ……」
イリアスだった竜は、ガルムを庇うようにクレールス達の前に立ちはだかる。
「GU、GAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」
そして、ついに理性がなくなってしまったのか、その竜は咆哮した。
それが最後のきっかけだった。
風が吹き荒れ、にわかに雷雲が立ち込め始める。
先程の竜巻の何倍もの規模。
街を飲み込んでなお余りある大自然の暴力が具現する。
ガルムも、クレールスも、騎士達も、全て、全て関係なく、竜巻に飲み込まれていく。
力尽き、成すがままで吹き飛ばされるしかなかったガルムの意識は消し飛んだ。
この日、イリアスと呼ばれた騎士は死んだ。
そして、暴風竜ティフォンと呼ばれる、災厄が生まれた。
***
「――イリアスッ!?」
ガバリと跳ね起きる。
あの日の夢。
何度見ても慣れることなどない、相棒を、親友を失う夢。
そして、この身の果てを見せつけられる夢。
ドクンと激しくガルムの心臓が跳ねる。
蝕まれた右半身が、胸に埋め込まれたどす黒い結晶を中心に軋み始める。
神経が削れるような痛みと、ごっそりと何かが抜けていく喪失感に襲われる。
「クソ……っ、今日もか……っ」
寝台から立ち上がることもままならず、這うようにして移動する。
耳障りなまでに心臓の音は激しく、切羽詰まってガルムの脳内に響き渡る。
必死に手を伸ばし、中身もわずかになった薬瓶を手に取る。
震える手で、その中身を無理矢理口内に流し込み、嚥下した。
「――ぐッ!?」
全身が裏返りそうな苦痛。
ガルムの体内で暴れまわっていた何かが、最後に勢いよく暴れたかと思うと、次の瞬間にピタリと制止した。
「っ、はぁ、はぁ……」
アレから5年。
いまだ、魔女の呪いも解けず、仇も撃てず。
ただ、その意思だけが燻り続けている。
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