第5話

「はぁ……」


ため息を一つ吐いて、私は休憩室の椅子を雑に引いて座った。


『明日はお弁当サボって出勤ね。』


昨日、陽子に言われた言葉が、脳裏に木霊する。


その言葉の通り、私は弁当を作らずに出勤した。


だから今は、食べ物を何一つ持っていない。


あるのは、いつも持っているカバンだけだ。


その中身は、ハンカチとティッシュ、スマートフォンと財布、ペットボトル飲料。


“お腹が空いてるのに、陽子はどういうつもりなんだろう?”


空腹のせいか、私は不機嫌になりつつあった。


腹の中で陽子に悪態づくと、更にイライラしてきた。


ムスッとした顔でカバンからペットボトル飲料を取り出し、蓋を開けてクイッと飲む。


渇いていた喉は満たされた。


だが、空腹は満たされない。


今頃は、自分で作った弁当を食べているはずなのに…


『カチャ』


「お待たせ!」


休憩室のドアが開き、大きめの弁当箱を持った陽子が入ってきた。


それは、私の好きなミントグリーンで、蓋は半透明に白や黄色の水玉が描かれていた。


「お腹空いたでしょ?」


「……………」


静かに頷いて、私は答えた。


そうだよね、と言いながら陽子は、私の前に持っていた弁当箱を置いた。


「はい、どうぞ。召し上がれ!」


「………えっ?」


ワケが分からず、陽子と弁当箱を交互に見る。


これは何?


弁当だということは分かる。


だけど、なぜ陽子が私に弁当を?


弁当を作らずに出勤の理由って…


「陽子、これは?」


「お父さんが自慢する、私の手作り弁当だよ! 麻里の好きな野菜コロッケは、特に気合を入れて作ったんだ。」


野菜コロッケ、確かに私の好物だ。


まろやかで優しく、親しみやすい食べ物という事もあり、子供の頃から大好きだった。


だけど、それを陽子に話した覚えはない。


それなのに、どうして陽子は知ってるのか?


「何で私の好きな食べ物を知ってるの?」


「いいからいいから! 冷めちゃうよ?」


陽子に弁当箱の蓋を開けるよう促され、私はその蓋に手をかけた。


「……………」


蓋を開けると、色鮮やかな食材が映し出された。


黄色と緑の粒、細かい海苔がふりかけられた白飯、鮮やかな緑色をしたほうれん草のおひたし、夕日のようなオレンジ色のナポリタン、そして、私の大好きな野菜コロッケ。


作ったばかりらしい、まだ湯気が立っている。


ソッと弁当箱に触れてみると、案の定温かかった。


「これ、私に?」


「そうだよ。さぁ、食べて食べて!」


「……いただきます。」


箸箱から箸を取り出し、私は好物の野菜コロッケから食べ始めた。


口に運び、一口かじる。


「……………」


ホクホクしたジャガイモ、その中に入っているグリーンピースと人参、コーンが織り成す、甘く優しい味わい。


それが口内に広がるのと、涙腺が刺激されたのは、ほぼ同時だった。


「……………」


私は無言で野菜コロッケを味わいながら、涙をボロボロ流していた。


「えっ、どうしたの? 麻里、どうして泣くの? もしかして、泣くほどまずかった?」


私の涙を見た陽子が、ショックを受けたような顔になった。


“違うよ…”


すごく、すごく美味しいよ。


どうして、この味が分かったの、って思うほど…


食べれば食べるほど、涙が止まらない。


泣けてくる。


この味こそが…


「懐かしくて、優しい味。」


「………えっ?」


野菜コロッケを食べ終えたタイミングで、私は陽子に告げた。


「そ、それじゃあ…」


「すごく、美味しいよ。美味し過ぎて、涙が止まらないの…」


良かった~、と陽子が満面の笑みを浮かべた。


そんな陽子の傍を通って静かに席を立つと、私は休憩室を出て行った。


「えっ、麻里? ちょっ、どこ行くの?」


私の行動に、陽子が驚いている。


だが、それも無視して、私はフラフラと休憩室を出た。


バックヤードから売場に出る。


店内には、接客中の店長と、数人のお客がいる。


その間をすり抜け、私は自動ドアから店外へ出た。


そして、そのまま店の裏に来ると、しゃがみ込んでむせび泣いた。


懐かしい味を口にした瞬間、私の中の何かが崩壊した。


巨大なダムが決壊したように、涙が止まらない。


何が崩壊した?


この涙は何?


何で私は、泣いているの?

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