第162話 戦え! 負けるなドラゴンガール!

 強大な魔力の波動と、辺りを覆う冷気。


 リュウコは即座にそれが二つの異常事態であると理解した。


(……この魔力は、レイちゃんじゃない)


 クローマ全体に広がる比類なき高純度の魔力。

 リュウコは、それを即座に「自分では対処出来ない物」にカテゴライズした。


 あくまで自分が対応するべきは、この冷気のみ。

 魔力は知らずとも、この凍てついた世界がいったい何なのかは知っている。


「……トアちゃん、恋バナ終了。こっからはたぶん、殺し合いだ」

「え?」


 ゲートからゲートへと移動を続けていたバルティウスが動きを止める。

 そして、大通りへと降り立った。


「ど、どうしてここに降りたの? 見つかったら――」

「見つかってる」

「……え」

「もう、私達は見つかってるよ」


 温度の変化による相手の位置の把握はレイがよく行う手法だ。


 同じSランクだからこそ理解できる。

 これは既に、逃亡劇ではなく戦争へと変わったのだと。


龍位継承アブゾーブ――レッドドラゴン」


 バルティウスがその姿を大衆の思い浮かべる龍へと変える。


 迷彩が解除され、トアとリュウコは広場に姿を現した。


「レイちゃんを守ってて」

「う、うん」


 眠ったままのレイを抱きかかえたトアが頷く。

 そんな彼女を見て、リュウコはパッと笑顔を作って言った。


「大丈夫、私って結構強いから」

「――程度が知れた強さだろう、それは」


 辺りの温度がさらに低下する。

 吐きだす息が白くなり、指先から感覚が消えていく。


 吹雪で白んでいく視界の中、それは軍勢を伴って現れた。


「お前が黒幕か」


 リュウコは目の前の女性を睨みつける。

 が、それは大した脅しにはならなかったようだ。


「無粋だな、黒幕とは。呼びたまえよ、学者と。いずれ世界を統べる者の名だ」


 黒と赤が混じり合う髪をわざとらしく払い、学者は指を鳴らした。

 すると、彼女の背後にいた人々が、リュウコ達を囲うように移動する。


 僅か数秒、包囲網は完成した。

 

「学者……なーんか昔理事長に注意しろって言われたような言われていないような」

「……驕りを見せたな、理事会は」


 学者は不快そうに眉をひそめると、グローブを嵌めた腕を振り上げる。

 そして、指を鳴らした。


 瞬間、触れたものを凍らせる絶対零度の暴風が生み出される。


 地面を凍らせながら進む白い死の風を見て、リュウコは軽く指をさした。


「バルティウス」


 簡潔な命令だった。

 バルティウスが吐き出した焔が、完璧に学者の攻撃を相殺する。

 否、それどころか全てを飲み込み進む業火は、そのまま学者の目前へと迫っていた。


「ぬるい焔だ、ままごとか?」


 学者が再び指を鳴らす。

 

 焔はそのままの形で凍り付き、学者のまさに目の前で止まり粉々に砕け散った。


 短い攻撃の応酬。

 しかし、そのどれもが死を齎すに相応しい一撃である。


「これは警告だよ。大人しく捕まってくれれば、まあ痛くはしない。バルティウスもこわーい姿にならないし、死ぬこともない。どうかな?」


 リュウコは形式的な文言を念のため吐き出す。

 が、返ってきたのは氷の剣であった。


 空中に生み出されたいくつもの剣の照準がリュウコへと定まる。

 そして、一気に放たれた。


「バルティウス、よろ」


 短く吠えたバルティウスが一歩踏み出す。

 そしてその太い尻尾を器用に振るい、剣を撃ち落とした。


「これが答えってことでいいのかな? マジで、今なら大丈夫だよ? 私、結構優しいよ?」

「下らんな、その問いは。逆だろう、立場と言うものが」


 学者はそう言ってレイを指さす。


「貴様らの道はただ一つ。置いていけ、そのクローンを。逆らうな、私に」

「やっぱりこの子が狙いか。渡すと思う?」

「渡すとも、貴様らは。それしか助かる方法はないのだから!」


 洗脳された人々が、リュウコ達へと一歩ずつ近づいてくる。

 それは、リュウコが最も嫌う手段であった。


「これじゃバルティウスが……!」

「動かせないだろう、そのデカブツは。大人しく渡せ、まだ交渉の段階であるうちに」


 見下すようにそう吐き捨てる学者を見て、トアは怯えた声を出してレイを抱きしめる。

 腕の中のレイは、未だに眠ったまま目覚めない。


「リュウコちゃん、どうしよう……」

「うーん、どうしようもないね」

「えっ」


 リュウコは、さらりとそう言ってのけた。

 その顔は、あまりも清々しい笑顔でいっぱいである。


「どっ、どうしようもないの!?」

「うん。今のままじゃおしまいだね」

「理解したか、立場を」


 学者は、満足げに頷く。

 そんな彼女に対してリュウコは。


「うっせえババア! 喧嘩なら買ってやるよバーカ! てかその話し方鬱陶しいんだよ! いい歳してキャラ付けに必死かぁ!?」


 中指を突き立てて、満面の笑みを浮かべていた。


「りゅっ、リュウコちゃん!?」

「愚弄するのか、私を」


 学者は、今までで一番の大声で叫んだ。


「……余程死にたいようだな、青二才がァ!」

「はっはっは、ここでレイちゃんを置いて逃げたら悪い人でしょ。私は、最後まで良い人でいたいの」

「でもどうするの? こんな沢山の人」


 目下最大の敵は、学者ではない。

 彼女の操る民衆こそが、対処するべき敵であった。


 これこそが、バルティウスの最大の弱点。

 彼女の力は守りには向いていない。


 故に。


「こういう時の策、用意してないわけないでしょ」


 リュウコは、バルティウスを見る。

 そして、渾身のキメ顔と共に言った。


「龍位継承――バジリスク」


 バルティウスの赤い鱗が剥がれ、体が変形していく。

 四肢は無くなり、翼は閉じられ、やがてそこに現れたのは白い大蛇であった。


「ドラゴンを操る、なんて巷じゃ言われてるけどね。それは私の能力の本質じゃないってわけだ」


 バルティウスがゆっくりと鎌首をもたげる。

 神話に語られる怪物は、主の合図をただ静かに待っていた。


「いけ、バルティウス」


 リュウコの言葉に、バルティウスが吠える。

 それは、ただの雄たけびであった。


 が、その声が人間の中にあった根源的恐怖を呼び起こし、人々の足を竦ませる。

 動きが止まった人々を見て、リュウコは追い打ちを掛けるように人々を指さしてぐるりと回った。


「こっからここまで、ぜーんぶ、よろしく!」


 その瞬間、バルティウスの目が妖しく輝きを放つ。

 それは、過去にこの世界に存在したとされる魔眼の輝き。

 

 即ち、石化の魔眼である。


「やっぱこれ楽だわー。ゲートの時は洗脳されてない子もいたから使えなかったけど、こんだけ分かりやすく敵ばっかりなら、遠慮しなくていいもんね! 報告書も楽だし!」


 無関係の人々を盾にする方法は、勿論リュウコとバルティウスには有効である。

 だからこそ、彼女がその弱点をそのまま放っておく訳が無い。


「神話に語られた龍、あるいはを龍の器に押し込める。これこそ私の異能の本質。さ、どうするおばさん。今から貴女が戦うのは」


 リュウコが不敵に笑い、学者を指さす。

 その背後には――怪物。


「人々が積み上げてきた最恐の具現だ」

「……っ侮るなよ、私を」


 そう言いながらも、学者は表情を硬くしている。

 対するリュウコは勝ち誇った笑みを浮かべつつ――。


(やっべー、こっからどうしよ。てか詰んでね? ねえ、これって私詰んでね?)


 内心で焦りまくっていた。


 石化により見事に民衆からの攻撃を防いだリュウコ。

 しかし、問題は解決していない。


(下手に暴れたら石化した人たち壊れちゃうもんねー。あっちはお構いなしだろうけど。これでビビって逃げてくれないかなぁ? だって、バジリスクだよ? マジ怖くない? 私蛇だけは駄目だから早くバルティウスを別の形に変えたいんだけどー!)


 バルティウスは主たるリュウコの事が大好きなので、今も大蛇の姿のままリュウコに擦り寄っている。

 時折出される舌が視界に映るたびに、リュウコは鳥肌を立てていた。


(なんで蛇の形にした! もっとフワフワモコモコで想像しろよ昔の人! そっちの方がいいだろバーカ!)


 完全にとばっちりの怒りを胸に秘め、リュウコはあくまで姿勢だけは強気に出る。


「さあ、どうするのかな。そろそろ降参した方がいいと思うけど。こっちには、まだバハムートとか八岐大蛇とか、ラグナロクとかもあるよ? 怖いよ? 痛いよ?」


(ぜーんぶ被害大きすぎて使えなーい! 相手を狙撃するドラゴンとかいないの!? 暗殺特化ドラゴンとかは!? ねえなんでドラゴンとか神話って毎回スケールおっきいの!?)


 リュウコは自分の弱点を克服した。

 かに見えた。

 

 が、この場合の事は全く想定していなかった。

 なぜなら、基本的に彼女はこういう場合は、石化させて逃走するからである。


「どうしたの? 降参しなって、ねえ」

「……リュウコちゃん、凄い汗かいてるけど大丈夫?」

「大丈夫、うん。大丈夫だから」


 トアがこっそり聞いてきた事に対し、リュウコは瞬きを何度もしながら返事をした。その間、一度もトアとは目を合わせていない。


(これで降参してくれれば本当に嬉しいんだけど……)


 リュウコは学者を見る。 

 彼女は此方を睨みつけ、憤怒の表情を浮かべている。


 明らかに、やる気満々であった。


(なんでこんなにキレてんだこの人。あれが更年期ってやつなのかな?)


 内心で首を傾げるリュウコを前に、学者は息を吐きだす。

 そして、冷静に言った。


「いいだろう。見せてやろう、本気を。果たしてやろう、人類の頂点に立ったという証明を!」


 学者は、怒りを覚えつつもその思考は冷静だった。


(ここで奴を殺しても意味はない。無駄に長引けば来る、奴がっ……!)


 あくまで目的はクローンの回収。

 で、あるならばわざわざSランクと真正面から戦う必要はない。


「見せてやる、奥義を。もはや氷凰堂レイだけのものではないのだ、絶対停止の力は!」


 学者は、そう叫び再び構える。


(マズイッ、あれをするつもりだ!)


 レイと相対した時と同じ殺気を感じ取った、リュウコは迷わず叫んだ。


「龍位継承! 燭龍しょくりゅう!」

「無駄だァ!」

 

 指が鳴らされ、辺りに静寂が訪れる。

 吹雪の音も、遠くに聞えていた警報も、何もかもが停止した世界。


 時が凍り付いた、ただ一人の支配者の為の世界だ。

 しかし、その眼はリュウコを見ている。


「……動けるのか、貴様も」

「その為の燭龍だから。……あ、ごめんバルティウス。今こっちあんまし見ないで。怖い」


 今のバルティウスは、蛇の胴体に女性の頭部が付いた異形であった。

 燭台を器用に咥えているバルティウスは、リュウコを守るように周りを這いずりまわっている。


「時止めに対応できてようやくSランク、みたいなところあるしね。みーんな、対応できるよ」

「やはり化物か、Sランクは」


(お? ビビったか?)


「だが至ったのだ、私も! 手にしたのだSランクの力を! あの教授でさえ手を焼いた氷凰堂レイの力を!」


 学者は血走った目でリュウコを見る。

 その目に、恐怖などある訳がなかった。


「さっさと返して貰うぞ、それを」


 リュウコの背後、停止したトアと腕の中のレイを庇うようにリュウコは立つ。


 時が止まった世界で、Sランク同士による戦争が始まろうとしていた。

 

「あーあ、どうなっても知らないよ? ファヴニールとか、九頭竜とか、色々といるよ?」

「過去の産物だろう、所詮。時代遅れだ、その怪物どもは」

「ははは、どうだろうね」


 リュウコはニヒルに微笑む。

 その胃はキリキリと痛みを訴えていた。


「いいだろう、わからせてやろう格の違いを!」


(も、もうこの際ブチギレ六波羅さんでもユキヒラさんでもいいから助けに来てぇ!)


 なんとも情けない願い。

 が、しかしそれは彼女の俗物的な優しさ故であった。


 決して一般人は巻き込まないという意思は、この瞬間でも崩れることはない。


 だからこそ。

 そんな彼女の願いだからこそ、星が瞬いたのだろうか。


「――煩いわね」


 聞き覚えのない第三者の声が響く。

 そして同時に感知された強大な魔力の渦。


「「ッ!?」」


 リュウコと学者は、互いの存在をこの瞬間に忘れて魔力の根源へと目をやった。


「そんな金切り声があったら、星の歌が聞こえないわ」


 蒼銀の髪に、黒を基調としたドレス。

 整った顔立ちに、白い肌と蒼い眼。


 それは、間違いなく。


「……ソルシエラ」


 それは果たしてどちらの声だったか。


 名を呼ばれた少女は、二人を一瞥することすらせずティーカップを手に取った。


 彼女の前には白いテーブル。

 そして、色とりどりの菓子と、明らかにこの場に合っていない品々ばかりだ。

 まるで茶会の途中とでも言わんばかりに、彼女だけが椅子に腰を下ろし優雅に紅茶を楽しんでいる。


 この争いすらまるで戯曲の一つなのだと、そう思わされるだけの格が存在していた。


「やはり来たか、ソルシエラ。会いたくはなかったが、やむを得まい」

「はぁ、めんどーなのが増えたね。ま、いいけど」


 学者はソルシエラを睨みつけ、いつでも動き出せるように構える。


 対して、リュウコは軽く息を吐いてバルティウスを撫でただけだった。

 その姿からは、Sランクとしていくつもの死線を潜り抜けてきた彼女の余裕が見て取れる。


 が、当然。


(ぎゃあああああ! なんか厄介なの増えたあああああああ!)


 彼女の心の中はもう滅茶苦茶であった。

 



 

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