未来を描く画家


 フリーマーケットの一角。

 人通りが少ない場所にも露店があった。絵画……? 似顔絵を描いてくれるわけではないようだ。フードを被った素顔が分からない画家の周りには、多くの絵が飾られている……その画家が描いた作品、とも限らないわけか。

 津波によって崩壊する町、崩れた山、雲を突き破り降り注いでいる隕石群……などなど。嫌な迫力があった。まるでそれを見て描いたようなリアルさがあって……まるで写真だ、とまでは言わないけれど、圧倒される画力である。


「気になりますか?」

「え? ……まあ、はい……お上手ですね」

「ふふ、腐っても画家ですからね」


 声は女性だった。まだ若いように思えたけど……彼女が自分の手で描いているのだとすれば、有名になってしかるべき画家なのではないか……? こんなところで露店を開いて売るよりも、ちゃんと専門の人に見てもらって……。

 と思ったけど、それでも才能が認められないから、こうして露店でアピールしているのかもしれない。素人の俺が言ったところで、「そんな当たり前のことは既に試していますよ」と言われるのがオチだろう。素人が分かるなら専門家は当然のように思いついている初歩的なことだ。


 ブルーシートの上の絵を見ていく。

 商品のはずだけど、値札が書いていなかった……一律いくらってわけでもないのか。これは……もしかして値段は自己申告? こちらが提示した値段がその作品の評価になるとか……。


「……買いづらいな」

「お手頃価格でお譲りしますよ。最低価格は800円です」

「……」


 払えないわけではない。いや、全然払える値段ではあるけど、これまで絵にお金を払ったことがないので、相場が分からないし、これに「800円……?」と考えてしまう自分もいる。

 絵を描いた画家の労力を考えれば、それくらいは払って当然なのだけど……気に入った絵ならまだしも、せっかくお店に寄ったなら一枚くらいは……な感覚で買うには少々高い。

 最低価格なのだから、これより下の価格はないわけで……ううむ。悩みどころだ。


「お時間があればこの場で描くこともできますよ?」

「描く? ……似顔絵ですか?」


「いいえ、未来です」


 未来……、画家でありながら占い師でもあるのか。

 興味が湧いた。


「500円でお描きしますが、どうでしょうか?」


 時間はある。彼女との約束まで30分以上……「かかる時間はどれくらいで?」


「15分ほどあれば」

「なら大丈夫かな……お願いできますか?」

「はい。ではこちらの椅子に……似顔絵ではないので楽にしてもらって結構ですよ?」


 ……座ってから背筋を伸ばしてしまったのが少し恥ずかしかった。


「似顔絵ではありませんが、あなたの目を見させてもらいますね……」


 と、立ち上がった彼女の顔が近づいてくる。

 間近で見るとフードとその影で分かりづらかったが、女性の綺麗な肌と隠れていた色気が漏れ出ていた。甘い匂いもするし……たぶん、フードの下はかなりの美人なのだろう。


「見えました」

「未来が、ですか……?」

「はい。少々お待ちを。すぐに描いてしまいますので」


 デジタルが当たり前になった世の中だ。友人が液晶タブレットで描いている様子を見たことがある……便利になった分、修正が容易になると終わりがないと言っていた。

 気になるところをいつまでも修正してしまうからなかなか絵が完成しないらしいのだ。もっと良くなるはず、ということを求め出すと、終わりがない。

 その点、彼女のように白紙に絵具で未来を描こうとすれば、修正はなかなかできない。間違ったら間違えたまま……間違いを溶け込ませるように周囲を変える、という柔軟さが求められる。

 気にしても修正できなければこれでいいや、という終わり時にもなる……画家としてはいいのかな? と思わなくもないけれど……そのあたりは画家によるのか。

 こだわるなら、また一から描き直すだけだし。


 今回は15分という制約があるので、こだわることはできない。きっと彼女は、見えた未来をできるだけ忠実に、そのまま描いているのだろう……手が早い。

 筆が乗っているのか、迷いなく描いている……赤が多いな……「こんな感じでしょうか」


 15分もかからなかった。


 それでも10分はかかっていた……時間がかからな過ぎても心配だし、ちょうどいいのか。


「どうでしょう?」


 と、彼女が床屋で後ろ髪の確認するために見せる鏡のように、絵を見せてきた――未来。

 それは不穏でしかなかった……血。赤と黒が混ざった血だった。


 血だまりの中に倒れる人影。

 それは髪が長いので……俺ではないけれど……じゃあ誰だ……?


 絵だけど……分かる。

 これから会う、『彼女こいびと』しか、いないじゃないか。


「不吉、ですね……」


 思えば売られていた絵は不謹慎なものばかりだ。テーマが崩壊や災害、破壊や死なら納得できるラインナップである。そしてこれも……、イメージするのは死だ。

 そういう作風の画家なのかもしれないけど、未来だと言われてしまえば、それがただの占いだとしても気持ち良くはない。500円で不安を買ったようなものだった。


「不吉ですが、これが見えたのです……遠い未来のお話ですからね……あまりお気になさらないでも大丈夫かと思いますが」


「そうですか……せっかく描いていただいたのはありがたいですけど、ちょっと持ち運ぶには大きいし、不吉ですので……500円は払いますが、絵は置いていってもいいですか?」


「はい、構いませんよ。みなさまそう仰います」


 だから店頭に並んでいるのか……であれば、不吉な絵は全て、見えた未来か……?


「……あ、日付……」


「はい。描いた当日の日付を記録しているのですよ」


 絵の隅には、並んでサインも書かれている。店頭に並ぶ絵の日付を見れば……「え?」


 20年前。もっと古いものもある……50年前のも!?

 彼女がそこまで高齢には思えないけど……。


「それは先代が描きました。そちらは先々代ですね」

「あ、そういう……よく考えればそうか……」

「私は四代目ですから。さすがに初代の絵はもうありませんが」


 買われている……もしくは経年劣化で店頭に出せなくなったか。


「……日付……あの、この津波の絵なんですけど……」

「はい。それを描いた三か月後に、津波で町がひとつ飲み込まれましたよね」

「…………」

「山の崩落も、描いた数日後に起きました」


 知っている。描いた当日と言っている日付が合っていれば、だけど……。

 この絵を見る限りでは、絵が生まれて、以降、描かれた内容の事件が起こっているのだ。雲を突き抜ける隕石に関してはまだ起こっていないけれど、以降である――数日が過ぎたから無効になるわけではないのだ。


「未来を……見ている……?」

「ええ。最初から私はそう売り込んでいるはずですが」


 実例は少ない。だから信じるにしては、まだ情報が足りないだろう。


 すると、背後から血相を変えて近づいてくる主婦がいた。その主婦は画家に掴みかかるような勢いで走ってきて……――絵を踏む寸前で止まった。もしもそのまま近づいていたら、俺が止めに入っていたところだ。


「あら、昨日のお客さん……どうしました? また未来を描きますか?」

「……死んだわ……」

「分かっていましたよ。だから描いたのですから」


 フードの彼女が一枚の絵を取り出した。

 そこには、伏せるのではなく、横に倒れる大型犬が描かれており……日付は昨日だった。


 そして、ついさっき――主婦が飼っている愛犬が、死んだらしいのだ。


「原因は不明なの……病気でなければ怪我をしたわけでもない――なのに!! あなたが描いたことによって死ぬことが決まったみたいな――これはあなたの、呪いよ!!」


「おっと、そういう解釈をしますか……。因果関係はないと思いますけどね……。呪い、ですか……調べてもらっても構いませんけど、私はただのしがない画家ですよ? 絵を描いて愛犬を亡くならせることができる能力はありません。こんな見た目をしていますが、雰囲気作りでしかありませんからね――」


「で、でも、この絵が原因としか……」


「お客さん、ただの絵ですよ? 直前に見たから、強く印象が残っているのかもしれません」


 理由がないことが不安で、理由を求めてこの絵のことを思い出したのかもしれない。……でも、主婦の『呪い』という言い分よりも、単純にフードの彼女の言う通り、未来を見た、と言った方が信憑性がある。


 ……未来を見たから描いた。


 描いたから現実に起こった。


 どちらが信用できるかと言えば、前者だ。まだ、現実味がある。


 そうなると、さっき描かれた絵の信憑性も上がってしまうけど……、あれが起こる未来だとすれば、俺はどう回避すればいいのだ?


「あの……未来の画家さん」

「未来を描く画家です。未来の画家では、今は違うみたいですよね」


 確かにそうだ。いや、それはどうでもよくて。


「500円を支払います。未来を描いてくれませんか?」

「やめておきなさい、この画家は呪いを――」


「仮に、あなたが言う『描いたものが現実になる』、というのであれば、やはりこの対応が正解だと思いますよ――500円、必要とあれば追加でさらに支払います……」


「お客さん、なにを求めています?」


「さきほど描いた絵の、回避方法を。彼女が血だまりで倒れているのは、避けたい未来ですから……」


「なるほど」

「この未来を回避できる未来を見て、描いてほしいのです。それとも未来を描く画家さんが描いた絵が未来に起こるというのであれば、彼女が死なない絵を描いてほしいのです――」


 ふふ、と微笑んだ『未来を描く画家』が、筆を取った。


「お金があれば、いくらでも。あなたの未来を描きましょうか――」

「ダメよっ、このインチキ画家は、私の愛犬を殺し、」


「お客さん、うるさいですよ……それともあなたを描きましょうか?」


 その一言に、呪いを信じる主婦が怯えて立ち去っていった。

 あの人からすれば、描いたことが現実に起こるのだから、描かれてしまえばお終いなのだ。


 彼女を刺激しないように立ち去ったつもりだろうけど、関係修復をしないままに立ち去ってしまえば、その後、描かれないとも限らない。

 描かれてしまえば、愛犬の後を追うことになる――かもしれない。


 彼女が描いた未来が現実になるとは、まだ分からないのだから。


 知り合ってしまったのだから、彼女とは深い付き合いをしていった方がいいだろうな……。


「打算が見えますよ、お客さん」

「……申し訳ない」

「いえいえ。悪いとは思いません。お金さえあれば、良好な関係は続けられると思います」


 ようはパトロンになれと? もしくは常連客――悪い条件ではないのか。


「あの、楽しい未来は、描かないんですか?」


 動いていた筆が止まった。

 地雷でも踏んでしまったのかと思ったが、一瞬の間があってから、筆が再び動き出す。


「見えたら描きますが、見えないものは描けませんから」

「……それもそうですね」


「楽しい絵、ですか……たとえば世界中の人間が笑顔でいられる絵、とかですか?」

「まあ、ひとつの例としては、ありますね」

「世界中の人間が、笑顔で――はあ」


 画家は、心底、呆れたように。

 声質が変わった――営業スタイルではなく、きっとこれが、彼女の素なのだろう。


「――そんな世界、クソつまらないですよねえ?」




 …了

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