第11話 辻問い
常巖大学は、惑うことなく、あるべきところに在った。電車にも乗ったが、かなり坂道を歩いたので、吾朗は汗びっしょりになった。
吾朗は前回入った時と同じ門から入った。受付で「道成」と書くと、受付の女性は「道成助教授ですね。8号棟です。助教授のサインか印鑑をもらって来てください」と言った。
8号棟は、前にと言っても未来の話だが、行ったことがあるのでまっすぐに行けた。問題は何回にいるのか、教授の道成は最上階の5階。では、助教授の道成は、同じ5階かそれとも一つ下の4階か。館内案内図を見ると、道成は5階だった。
研究室の位置も、表示も一緒だった。
助教授室の扉をノックすると、「どうぞ」という声が返ってきた。聞き覚えのある声だ。記憶より少し若い気がした。
吾朗が部屋に入ると、道成は窓際のデスクにいた。吾朗の顔を見るなり、驚いたように立ち上がった。
「お久しぶりです。全然変わっていませんね」
「お会いしたのは、先週でしたから。・・・未来のあなたにも会いましたよ」
「いつ頃ですか」
「2007年、もう定年間際でした」
「その時の私は、まだ助教授ですか」
「いや、すでに教授になっていました」
道成は安堵したように「そうですか。よかった」と言って笑顔になった。
「当然ではないんですか」
「いろいろありましてね。私の提唱する事象学というものへの反発もありますから」
「新しい学問の分野を開拓されたんですか」
吾朗は驚いていた。謎の解明も進んでいるのではないかと期待した。
「わたしがあなたに、時空並列という言葉を使った理由はなんとなく分かりました」
「単なるタイムトラベルじゃないという訳ですね」
道成は頷いた。
「わたしは若い頃、そう・・ちょうどあなたと出会うニ年前、学生時代に担当教授から聞いたんです。前世紀から異変が起き始めていると」
「異変とは?」
「産業革命以降、機械化が進み、生産の規模も大きくなって、それまでの社会では見られなかった新しいことが起き始めてきたんです。19世紀後半の大不況と呼ばれているデフレや世界規模の戦争、その背後で起きる猟奇的な殺人など、新聞という媒体ができたせいもあるでしょうが、遠くの国の出来事がまるで隣で起きているかのように受け取られるようになったし、人々がその影響を受けるようになった。今では、都市伝説と言われるような出来事も記録されるようになりました」
「都市伝説というのは、そんなに古いんですか」
「今ではそう呼ばれているようなことです。当時は違っていたとしても、今までにはないことが起き始めたことは確かだと考えています」
「それが時空並列に繋がってくるんですか」
「時空並列も、そのような事象の一つだと考えています。時間と空間は切り離せないし、時間は過去から現在そして未来へと流れているとすれば、あなたと私が今ここで会うためには、あなたが時間を遡ってくるか、あなたの時空と私の時空とが何らかの原因で繋がるかしかないと思います。あなたが特別に時間を遡る術を持っていないのであれば、二つの時空が繋がったとしか考えられない。本来一本の軸であるはずのものが繋がるとすれば、その軸が曲がって他の軸と並立し接合するしかない。だから、私は時空並立という言い方をしたのだと思う」
「よく分からんけど、僕は川の反対側から、あなたの居る側へと渡ってきたということか」
「川の両岸を異なる時空と捉えれば、そうとも言えるかもしれない」
「そんな現象が起きてきたのも、最近の話という訳ですか」
「まあ、過去にも神隠しなどという言い伝えもあるから、現代だけの事象とは言えないかもしれない。前の世紀から起き始めた新しい事象の一つの現れなのだろうと思います」
「他にも起きているということですか」
「おそらく・・・公表されていないだけかもしれません。若い頃、警察署、あなたとお会いした沼谷署などで聞いた話でも、とても信じられないようなものもありました」
「バケモノとか、幽霊とか、ですか」
「そんな話もありましたね。警察は相手してくれなかったようですけどね」
「面白い。いつか、またお会いできたら、本にして出版しましょうか」
道成は可笑しそうに笑って、「そういえば、あなたの前職は出版業でしたね」と言った。
「今度お会いする時には、原稿にまとめておいて下さい。取りに行きますよ」
「定年間際の話ですね」
「戻れれば、会いに行きます」
「ありがとう。待ってます」
吾朗は道成と握手して別れた。多分、元の時代に戻れると吾朗は感じていた。いつまでも過去に居続けることはできないはずだ。そして、それは三沢春子も同じで、この時代にいる高辻京子も同じはずだった。
吾朗は急に京子のことが気になった。そこで、また巴集団の事務所に行ってみる事にした。事務所は大学と同じ文京区で、来たときは電車を使ったが、それは遠回りになることを街頭の地図で知った。歩いて行く方が早そうだったので、吾朗はそのまま歩くことにした。
道に迷ったが、何とか巴集団の事務所のある界隈に来た。
巴集団の小さな看板を探しながら歩くと、果たしてまたあの倉庫に出くわした。シャッターは相変わらず半開きだ。そのまま倉庫に入り、奥の事務所に向かう。倉庫の中に人の姿はなく、かつてはいろいろあったであろう機材もない。すでに運び出されてしまった後なのだろうと吾朗は思った。
事務所を覗くと、そこにも誰も居ない。
「角田さん、高辻さん」と声をかけてみた。
返事はない。もうみんな帰ってしまったのだろうかと心配になった。いくら倒産したからといって、不用心だからだ。電気もついたままだ。
仕方がないので、吾朗は事務所のソファーに座り込んだ。誰かが来るまで留守番を決め込んだ。吾朗がソファーに寝そべり、テーブルの上のクッキーを頬張ろうとした時、事務所のさらに奥の方で水の流れる音がした。トイレかなと思って、吾朗が奥に目をやると、しばらくして京子が姿を見せた。
京子は、吾朗を見て、安心したかのような、しかし不安げな顔をした。
「驚きました。早いですね」
「今日の今日だからね。話が早く終わったんで、もう一度着て見たんだ。角田さんは?」
「用事があるって言って、先に出ました」
「女の子一人じゃ、不用心だね」
「いいんです。慣れてます。それに、角田さんにはお世話になってますから」
「着るものだけじゃなくて、その他も面倒見てるんだ」
「居候させてもらってるんです。私、行くところないから」
そりゃそうだと吾朗は納得したが、それは言わなかった。
「晩飯はどうするの」
「角田さんの家にあるもので、何とか」
「それなら、今夜は奢ろう。いい喫茶店を知ってるんだ」
「近所ですか」
「神田の方かな、歩いていけるはずだ」
京子が黙っているので、吾朗は「遠い?」と聞いてみた。
「いいえ。大丈夫だと思います」
「それなら、決まりだ。戸締りは、どうするの」
「外で待っていてください。すぐに終わりますから」
吾朗は事務所を出て、シャッタの外に向かった。断られるかと思ったが、京子がすんなりと受け入れてくれたので、ちょっと嬉しくなった。若い女性を誘うのに慣れていないので、やはり緊張していたのだ。
シャッターの外で、タバコに火をつけた。1本目が終わらないうちに、京子は出てきた。半開きのシャッターを両手で引き下げる。吾朗が手伝おうとした時には、もうシャッターは下まで降りていた。京子は鍵をかけると、その鍵を郵便受けの中に入れた。いつもそうしているような、慣れた手順だ。
「どこに行きますか?」
手についた埃を払うように手を叩きながら、京子はそう聞いてきた。
「いい喫茶店がある。そこに行こう」
「楽しみです」
京子は嬉しそうについてきた。吾朗が行こうとしたのは、カフェラマンだ。この時代には、伊深はまだ子供だ。親の代からやっていると聞いていたので、今厨房にいるのは、伊深の両親だろう。ナポリタンの味は伊深より美味いかもしれないと吾朗は期待していた。
古本屋街を入ったところにカフェラマンはあるはずだ。吾朗が辞めた英知出版社の近所だった。英知出版社は、吾朗がいた頃と同じ五階建てビル。辞めたときよりはきれいに見えた。そのビルの入り口を通り過ぎて、角を左に曲がって狭い路地を進めば、ビルの裏手の方に煉瓦造りの二階建てがある。入り口は花壇を配した重厚なデザインだ。まだ、地下には降りてないようだった。
「こんなところに、モダンな感じね」
「僕らの時代では、レトロって言うよ」
「へえ、違うんだ。面白い」
吾朗は扉を開けた。見慣れたカウンターやテーブル席が並んでいる。ちょっと配置が違っているのは、伊深の親御さんの感覚なのだろうと吾朗は思った。
「いらっしゃいませ」と中年の女性の声が出迎えてくれた。窓際の席に座ると、コップに入れた水を持ってくる。どことなく、伊深の目の面影がある。おかみさんかもと吾朗は思った。
「どうぞ」と、メニューを開いてテーブルに置いた。
それを見た京子は興味津々で、料理の写真を覗き込んでいる。
「ナポリタン」と吾朗は言った。
京子は、それ何って感じ。
「美味しいんだ。食べてみてよ」
京子はしばらくメニューを見ていたが、決まらないようで、「いいよ」と答えた。
吾朗が、ナポリタンを注文すると、
「飲み物は」と聞かれた。
すかさず京子が「レモネード」と答えた。
吾朗が「二つ」と付け加える。
「よく来るんですか」
キョロキョロしながら、京子が聞いてきた。
「ここの跡継ぎと知り合いになったんだ」
「未来の話ですか」
「そう、アイツも今はまだ子供だよ」
「あなたも、ね」
「そうだね、東京に来てもいないな」
「どこの出身なんです」
と京子が聞いたところで、ナポリタンが二つ出てきた。吾朗は京子に「美味いよ」と言いながら、先にもう食べていた。
「そうだ。これ、君のプロマイド」
吾朗は京子に三沢春子のプロマイドを見せた。京子は驚いた。
「これが、わたし」
じっと見つめてはいるが、手に取ろうとはしない。
「あげるよ」
「いいえ、要りません。これって、わたしじゃないもの」
「どうして」
「さあ・・・どうしてかな、何か違うような気がするの」
そこに「レモネードです」と子供がお盆を抱えてやってきた。
「ありがとう」と京子が言う。
その子の顔を見ると、伊深太士だ。吾朗はその瞬間、少し酩酊したかのような衝撃を受けた。何かに引っ張られるような感覚だ。
「待って」
立ち去ろうとする太士少年に、吾朗は声をかけた。
「これ、あげるよ。将来、きっと役に立つ」
三沢春子のブロマイドを渡した。太士少年は、怪訝そうな表情だったが、黙って受け取った。カウンターまだ戻った時に、おかみさんから「ありがとうって言ったの」と言われている声が聞こえた。
「可哀想。押し付けられた感じね」と京子が言う。
「いいんだ。将来役に立つんだから」
「あなたの直感ですか」
「いや、事実だ」
「そう。だったら、あなたの言う未来に行ってみたいものですね」
「僕にとっては、現在だよ」
「そうね」と言って、京子は笑った。ちょっと寂しそうだった。
京子は美味しそうにナポリタンを平らげた。そして、吾朗に「ありがとう。ご馳走さま」と言うと、店の前で別れた。
「また、会えるかな」という吾朗の問いかけに対して、京子は「分からない。でも、わたしもそう思います」と答えた。
吾朗は京子と別れると、そのまま多賀出版にむかった。他に行くところも泊まるところもなかったし、早く記事を書き上げたかった。
多賀出版の事務所には、まだ明かりが灯っていて、田村が最初に会った時と同じ場所に座っていた。同じようにタバコを吹かしている。
「どうした」と半ば興味なさそうに聞いてくる。
「机を貸してください。記事を書き上げます」
と吾朗が言うと、面白うそうにニヤリとして、端っこの机を指差した。
机の上はゴチャゴチャしてるが、一応原稿用紙も鉛筆もおいてあった。吾朗はカメラを置くと、すぐに原稿用紙に向かった。
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