第10話 高辻京子
その子は事務所の応援セットに座り、紅茶を啜っていた。テーブルの上には、美味しそうな分厚いクッキーが皿に盛ってある。
吾朗が入ってくると、顔をあげて、「角田さんは」と聞いてきた。
「用事があるらしく、ちょっと外すって」
「そうですか。話は終わったんですね」
「そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるかな」
「変な言い方ですね」
京子は吾朗の言い方を冗談だと思ったらしく、ニッコリと笑った。
「君は・・・角田さんの親戚?」
吾朗は何も知らない振りして話しかけた。京子は首を傾げて、
「違います。お世話にはなってますけど」
「家は近いの」
「ちょっと家出してきちゃったんです」
「へえ、そんな風に見えないけどね」
「どんな風なんです」
「何か問題を抱えているようには見えないってこと」
京子はちょっと考えて、「そうかも、しれないです」
京子は自分から色々話してくる様子はない。吾朗はどうやって三沢春子の話題に繋げていくか迷った。
吾朗が黙っていると、今度は京子の方から話しかけてきた。
「角田さんとは、お知り合いですか」
「古い付き合いでね。もう十三年になる。彼女がお店をやっていた頃からなんだ」
「お店・・・カッフェのようなことですか」
「似てるね。お酒も出してた」
「わたしはまだ行った事はありませんけど、楽しいところでしたか」
「角田さんがママで、お店を仕切っていた」
「ママって呼んでいたのですか」
「そう、店の女店主のことを今でもそう呼ぶよ」
「へえ、家族みたいですね」
「あの性格だからね。今日だって、随分久しぶりに会ったのに、昨日も会っていたかのようだった」
「分かります。気さくな人です」
京子は吾朗に対して警戒心はないように見えた。吾朗は思いきって、京子の事情を聞いてみることにした。
「家出って嘘だよね」
「どうして、そう思うんですか」
「親と喧嘩しているように見えないし、初対面の僕とも普通に話してる」
京子はふふッと笑って、「子供の頃から人見知りしないって言われました。もちろん誰とでも仲良くやれる訳でもないんですけどね」
「僕なんか、もっとひどい。普通なら自分から声をかけるなんてしないからね」
京子はちょっと嬉しそうに、「わたしは特別ですか」
「変なことを言うけど、君と会うのは二度目だ」
「いつ会いましたっけ。わたしがここに来る前ですか」
「十三年前に会った。角田さんと初めて会ったときだ」
「十三年前なら、わたしは四歳ですよ」
「二十代だったよ」
「へえ」
京子はちょっと驚いた様子だった。そして、何か考えているかのように黙り込んだ。
「本当だよ」と吾朗は付け加えた。
京子は心を決めたかのように言った。
「じゃあ、また起きるんだ」
吾朗には、京子の意味していることが分かったような気がした。
「また、会えるよ」
「ねえ、あなたが会ったわたしはどんな人だったの。わたしはとても知りたいです」
京子は真っ直ぐに吾朗を見ていた。吾朗はその視線に少しドキドキしたが、表向き平静を装って話した。
「なんて言うか、積極的な人だったよ。こちらは初対面なのに、もう僕のことを知っているようで、先に話しかけてきた」
京子は可笑しそうに笑った。
「今と逆ですね」
「そうだね」と言って、吾朗も思わず笑みがこぼれた。
「そうそう、名前も違っていた」
「わたしの・・・?」
「そう。三沢春子と名乗ってた」
「どうして、そんな名前にしたんだろう」
京子は癖なのか、また首を傾げた。
「映画のエキストラやってたから、本名を避けたのかもね」
「映画・・・活動写真ですか。意外だわ」
「興味ないの」
「まったく。でも、分かるような気もする。目立つの好きだから」
「そういうご縁ができるみたいだ。あと、分からないのが・・・」
と、そこで吾朗は口ごもった。京子は、興味惹かれたらしく吾朗の顔を覗き込んだ。
「何ですか」
「出会った時は、エキストラだった。でも、離れ離れになった後の話を聞くと、急に有名になったらしい。大手の映画会社の作品にも出演してたって聞いたよ」
「不思議ですね。運が良かったのかしら」
そこで、京子は何か思いついた様子で、急に黙り込んだ。
「何かあるのかい」
「ううん。分からないけど、家の力もあるのかと思って・・」
「どういうこと?」
「わたしのお父様は、警察に顔が効くの。そのお陰で、家は豊かになったわ。ひょっとしたら、その人脈が生きていて何か力が働いたのかもと思ったんです」
「確かに、見ず知らずの警察官がいきなり君に話しかけていたな」
「そうですか、お父様は結構顔が広いんです。けど、今の時代にはもう死んでると思います。あなたと二度目に会う時でも、お祖父ちゃんになっているか、死んでるかのどちらかでしょう」
京子は意外に冷静に分析していたが、それでも少し寂しげな表情になっていた。吾朗は、京子がいい家のお嬢様なのだろうと思った。そして、警察に人脈があり、その人脈はいまも生きている可能性が高い。
「高辻の家は、この時代にはないのかな」
「わたしの家があったあたりに行ってはみたけど・・・大きな建物になっていて、いろいろな会社が入っているみたいだった」
「この巴集団には、どうやって来たんだい」
「角田さんに声をかけられたの。そうだ、角田さんはわたしに、春子って言っていた。今、思い出した」
「気づいたんだ。よく見ると、君の顔には春子の面影がある」
「本人ですからね。歳は違うけど・・・」
「ここに来るとき、君も白い霧のようなものに包まれたのかい」
「わたし、日比谷公園の近くを歩いていたの。そこで大きな集会が開かれていて、何かの拍子に暴動になって」
「巻き込まれた?」
「よく分からない。逃げ出して・・・気づいたら、見た事のない大きな建物ばかりに場所にいた」
「よく家のあった辺りに行けたね」
「町の名前を頼りに探したんです。変わっているところも多かったけど、何とか行けたと思ってます」
「なかったんだよね」
「家はありませんでしたけど、近くの公園に残る石垣に見覚えがありました」
「よく覚えてるな」
「高辻って、もう東京にはいないのでしょうか」
と言われても、吾朗は困った。よほどの有名人でも、家まで早かった知らない。出版業界だったから、ものを書く人なら少しは分かる。金持ちであっても、一般人では中々わからないものなのだ。
「兄弟や子孫がいたら、会いたいと思うかな」
「そうね、ちょっと気味悪いかもしれませんね」
「さっき、日比谷公園の近くで、この時代に巻き込まれたと言ったよね」
「はい」
「騒動があったって・・・日比谷焼打事件は、1905年だった」
「そんなに大きな騒動ではなかったんですけど、巻き込まれるのが嫌で、走って逃げたんです」
「白い霧を見たり、懐かしい音楽が聴こえたりしたかい」
「・・・覚えてない」
「僕とは違うのかもしれないけど、何かがあったはずだ。事件や事故ばかりが原因ではないと思うけどね」
「そうですよね。未来に跳んできたんですからね」
京子は妙に納得している。
「もし今、生きていたら、百歳のおばあちゃんだ」
「ひどい。怒りますよ」
「ごめん、ごめん。まさか、同じ時代に同時に存在できないよ。出会ったら、変なことになる」
「変ですね。あなたにとっては二度目。でも、わたしにとっては初めて。なのに、こんなに話ができるなんて」
「過去には、もっと親しくお話ししたんだけどね」
「ちょっと嬉しいです。また、会えますか」
「ここにいる限りは、大丈夫」
「わたしはもう三ヶ月くらいいるから、いなくなるのは、わたしの方が先でしょうか」
「ここにいなくなっても、きっと会えるよ」
「そうですね。信じましょう」
京子はにっこりと笑った。吾朗も、つられて笑顔になる。しかし、吾朗の心の底では、自分がいつここから消えるのか分からないという思いがあったし、京子の笑顔を見ていると寂しくなった。
吾朗は、もう一箇所行かねばならない場所があることを思い出した。記事を書くために話を聞かねばならない相手、つまり、常巖大学の道成だ。おそらくまだ教授ではないだろう。十三年経って、助教授くらいにはなっているのだろうか。
一時的にせよ、京子と別れるのは、とても残念だった。花江を見つけて「また、戻ってくる」と言い残して、吾朗は巴集団の事務所を出た。
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