第7話 立花隆雄
濤越という地区は、古い一軒家が立ち並ぶ町並みだった。いくつもコの字形の道があり、吾朗は何度も行ったり来たりする羽目になった。
袋小路になっているところもある。その中の一つに、立花の家はあった。
壊れかけのブロック塀の端に切れ目があり、これまたブロックを積んだだけの階段を上がると、塗装の剥がれかけた木の扉があった。周りは草ぼうぼうだ。
小さな押しボタンがあるので、吾朗は試しに押してみた。
しばらく待てど、返事がない。
今度は扉を叩いてみた。
物音ひとつしない。
不在かと諦めて、階段を降り始めた時、カチッと小さな音がした。吾朗が振り返ると、扉が少し開いている。そこから誰かが覗いている。吾朗は階段の途中から、声をかけた。
「立花さん、ですか」
目だけ見えてる。
「時永さんの紹介で来ました。羅村といいます」
目はキョロキョロと迷っている。
吾朗は駄目元で、「時永さんからご連絡ありませんでしたか」と投げかけた。
ややあって、「宮脇さんか」と呟きが漏れる。
そして、扉が少し広めに開いた。入れてくれるのか、出てくるのかと吾朗は身構えた。一向に立花が出て来ないので、これは入れということかと吾朗は思った。
一歩玄関に入ると、そこはゴミだらけだ。もう立花の姿はない。吾朗は靴を脱ぐのも嫌だったが、礼儀として靴を玄関に揃え、ゴミを避けつつ廊下を奥へと進んで行った。
途中で、脇の部屋から「こっち」と声がした。
入っていくと、一応、応接間だ。ソファーが置いてある。そのソファーにも、ゴミ袋が鎮座している。
「失礼します」
吾朗は、ゴミ袋を避けて、立花の前に座った。
立花は無遠慮にタバコを咥えている。
吾朗はまず、「お久しぶりです」と切り出した。立花の目の焦点は中々合わない。吾朗の言葉を理解するのに時間がかかっている様子だった。
「どこで会った」
「沼谷の野外ロケです。名刺をいただきました」
吾朗は、立花の名刺をテーブルの上に置いた。
「ずいぶん前の名刺だ。それなのに新しい。どこで偽造した」
「まさか、わたしにとって何のメリットもない」
そう吾朗に言われて、立花は思い直したようだった。立花は言葉を選ぶように、ゆっくりと話す。
「確か、出版社の人間だったな」
「そうです」
「俺が会った奴は、今なら俺と同じくらいの爺いのはずだ」
「ごもっとも。わたしが歳を取っていないのは、あなたに会ったのが先週だから」
「おちょくっちょるんか」
「まさか。でも、事実です」
立花はまた考え込んだ。
「確か、お前は三沢春子の知り合いだったな」
「そんなに親しい訳ではなかったです」
「一緒だったじゃないか」
「そうです。でも、出会ったのは、あの前の日。彼女はわたしのことを知っているようでした。初対面なのに、ね」
「そりゃあ、変じゃないか」
「変です。だから、その謎を知りたいのです」
立花はギョロリと吾朗を睨みつけた。
「わしが何か知っているとでも、思っとるんか」
「あなたの方が先に、春子さんに出会っていますから」
「確かに・・・」と呟き、立花はまた考え込んだ。遠い記憶を探しているようだった。
「あいつは、わしに逢うた時にも、わしのことを知ってるが風じゃった」
立花は一人語りしているかのようだった。吾朗は、黙って次の言葉を聞くことにした。
「あいつから話しかけてきたんじゃ。そう・・・わしの名前も知っておった。まるで、古い友人を尋ねてきたかのようじゃった。だから、わしは面倒をみたんだ。飯にも連れて行ってやった」
そこまで言って、立花は急に五郎を見た。
「知っとるか。あの店」
「バーラフガンですか」
立花はちょっと戸惑ったように見えた。
「花江ママの店じゃ」
「角田花江さんですね」
立花が頷く。
「では、バーラフガンで間違いないです。わたしも行きました。春子さんと一緒に」
「あそこで働いておったからな。紹介したのは、わしなんじゃ」
「では、春子さんにとって、あなたは恩人だ」
立花は少し嬉しそうな顔になったが、すぐに仏頂面に戻った。
「それなのに、いきなり居なくなった」
「あの沼谷ロケの後ですか」
「ああじゃ。そん言えば、お前は、一緒に警察にしょっぴかれておったな」
と言うと、立花は面白そうに笑った。吾朗はその笑顔の中に、若い頃の立花の面影を見た。
「一緒だったんじゃないんか」
「あの後ですか?」
「そう」
「わたしも振られたんです。翌日、留置所から出たら、もう何処にも居なかった。春子さんのアパートにも行ってみたんですが、迷ってしまって何処だか分かりませんでした」
「お前も被害者か」
「あなたもですか?」
「おお、そうじゃ」
「時永さんの話では、春子さんはあの後も大手の映画に出演していたようですね」
「知っとる」
「お会いにはならなかった」
「俺たちみたいな、ハイエナが近づけるような感じじゃなかったってことさ」
立花は自虐的な響きでそう言った。吾朗は、立花が何か嫌な思いを抱いていることを直感した。
「急に売れっ子になったってことですか」
「いや、そうでもない。ただ、大手の作品への出演が増えた。勿論、主役じゃないがね」
「相手してくれなくなった」
「本人がというより、周りに必ず誰かがいて、わしらを寄せつけない感じだったな」
「パトロンでもできたんでしょうか」
「さあな」
立花はそう言うと、話を止めた。何か思い出に耽るかのように、ブツブツと独り言を言っている。吾朗は、春子さんのことを悪く思いたくなかった。しかし、立花の話だと人が変わったとしか思えない。ちょっと残念な気がした。
「時永さんは、あなたに会えと言った。あなたは、時永さんの知らない何かを掴んでいるのではないですか」
立花は、まだブツブツと何かを呟いている。もう、吾朗のことなど興味ないとでも言うかのようだった。
「三沢春子さんは、一体何処にいるんですか」
立花はふと我に帰ったようだった。「知らん」とだけ答えた。
吾朗は粘るしかないと思った。立花を逃せば、もう手がかりはないのだ。吾朗は立花を前にして、じっと待った。その内、立花の様子が変わり、明らかに吾朗のことを嫌がっているかのような素振りを見せ始めた。
「教えてください」と吾朗は強く言ってみた。
立花は、吾朗を睨んでいたが、睨み続けることに疲れが見えてきた。
「知らん・・・が、会ったことはある。あれから3年後だ。いつものように送り迎えの大型車に乗っていた。わしは、春子が車から降りてきたところで、声をかけた。大抵は付き人に邪魔されるんだが、その日だけは付き人がいなかった」
「話せたんですか」
「声をかけた。春子は、驚いたようにわしを見た。まだ、覚えてくれている様子だったな」
「なんか言ってましたか」
「嬉しそうにニコッと笑ったよ。そして、もうすぐお別れねと言った」
「どう言う意味です」
「分からん。それが最後だった。それ以降、今日まで一度も会ってないし、噂も聞いたことがない。わしは、春子はもうこの世にいないんじゃないかと思っとる」
そう言うと、立花は「もう帰れ」とでも言うかのように手を振った。吾朗も、潮時という気がしてきたので、そのまま頭を下げて立花の家を出た。
外で、次はどこに行こうかと、空を見上げた。どこまでも青く、雲ひとつない空だった。当てはないけど・・・と半ば諦めかけた時、閃きのように道成の顔が浮かんできた。確か常巖大学と言っていたことも、思い出した。
常巖大学なら、まだあるはずだ。ネットで検索して、文京区神喩使(かみゆし)だと分かった。現代であれば、行くのは簡単だ。
吾朗は早速、常巖大学に向かった。
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