第6話 カフェ・ラマン再び
扉を開けると、いつもの無愛想な顔が待っていた。
「いらっしゃい。今日は、ちょっと機嫌がいいな」
伊深が探るような目線で言った。吾朗は、カウンターに座った。何も言わずとも、ブラックコーヒーが出てきた。
「気分だね」と吾朗。
「長い付き合いだからね」と伊深。
吾朗が一服するのを待って、伊深は興味津々で聞いてきた。
「で、収穫あった?」
「不思議な体験をした」
「三沢春子絡みか」
吾朗は軽くうなづき、ポケットから名刺を出した。「宮脇智親」「立花隆雄」の二枚。
「他には、監督がタッキー道家、助監督が田村良一とか言ったな」
「どこで会ったんだ」
「撮影現場。ゲリラロケとか言ったな」
「今じゃ、ほとんどやらないロケだ」
「詳しいな。あと一枚。これだ」
バーラフガンのママ、角田花江の名刺だ。それを見て、伊深は怪訝な顔になった。
「まだ、店をやってるのか」
「知ってんの」
「親父が行ったことがある。俺は話に聞いただけだ」
「世間は狭いな」
伊深は真面目な顔になった。
「一体どこで手に入れたんだ。こいつら」と言って、カウンターの上の名刺を指でつついた。
吾朗は普通に「会ったのさ」と答えた。
「嘘つくな。もう何十年も前に店はない。この二人も、もう爺いだ。ロケなんかには行かない」
「嘘じゃない。この名刺は本人たちからもらったし、みんな若かった」
伊深はますます信じられない様子だった。
「なあ、教えてくれ。こん中で知ってる奴はいるのか」
伊深は二枚の名刺を見比べて、「これ」と指差した。名前ではない。「巴集団」という部分だ。
「名前を聞いたことがある。映画好きの大学生が集まって作った創作集団だった。内の店にも、来ていたらしい」
「親父さんの話か」
「そう。俺はまだ子供だ」
「今でもあるの?」
「・・・ない。業界で生き残っている奴がいたと思う。会社名も違うし、本人の名前も違ってるがね」
「紹介して」
伊深はちょっと迷った振りをして、
「あんまり当てにはならないぞ」
「お前の紹介って言うよ」
「俺より親父だな。だから、店の名前を言った方が通りがいいかも」
「行ってみるよ。誰を訪ねればいい?」
「時永とか言ったな。今は、東京映像リパブリックと言う会社で、略称はTVR」
吾朗はそこまで聞くと、名刺をポケットにしまって、立ち上がった。
「グッドラック」
追いかけるように伊深がそう言う。
その会社は、渋谷区の奥、宇田川近くの神宮中町の一角にあった。七階建ビルの壁面に大きくTVRと文字が表示されていたので、ビル全部がそうかと思いきや、ツーフロアを借りているテナントだった。
しかも六階と七階、エレベーターなし。階段で六階まで行くと、受付は七階と書いてある。体力には自信のある吾朗も、流石にキツいと思った。
受付で「時永さんに面会」と告げたところ、受付の女性から「アポは取ってますか」と聞かれた。
「アポは取ってない」と正直に言った。
「ご用件は」
「カフェラマンのオーナーである伊深さんからの紹介で来ました。巴集団にいた宮脇智親という人物について調べているところで、時永さんにお話をお聞きしたい」
受付の女性は、内線で誰かに確認をとっていた。吾朗はダメかなと弱気になっていたが、意外にも会えることになった。
「突き当りを曲がったところです。顧問と表示があります」
受付の女性は、そう言うと、目をそらした。案内するつもりはなさそうだった。
「ありがとう」
吾朗はそれでも礼を言って、奥の方へと歩いて行った。確かに「顧問」と表示されていた。軽くノックして扉を開けると、正面突き当たりのデスクに一人の老人が座っていた。
「誰かな」
「羅村と言います。カフェラマンの伊深オーナーからの紹介で来ました」
「カフェラマン」とその老人は繰り返した。何か思い出そうとしているかのようだった。
吾朗はそのまま部屋に入って、老人の方に近づいて行った。老人は、手差しでデスクの前のソファを勧めた。吾朗は、老人の勧めるソファーに座って名刺を取り出した。
老人も立ち上がって、吾朗の向かい側に座った。
「前の職場の名刺ですが・・・」
それは「双見出版」の名刺だ。老人はそれを見て、一瞬ギラリと吾朗を睨みつけた。
「これを貰うのは二度目だ」
「そうでしたか。私が前にお渡しした相手は、宮脇というお名前だったと記憶しております」
「おんし、何者だ」
「1972年の沼谷ロケの時に挨拶させていただきました」
「全然年とっとらんじゃないか」
思わぬ指摘に吾朗は苦笑した。
「私があなたに会ったのは、先週のことですから」
「35年前だ」
「あなたにとっては、ですね」
時永は、何か文句を言おうとして、その言葉を呑み込んだ。一度深呼吸すると、抑え気味にこう言った。
「おんしは、三沢春子の連れだった。どういう関係かは知らん。それが、何故ここに現れた」
「三沢春子のことを調べています。わたしは、あのロケの前の日に初めて三沢春子に会った。しかし、彼女はすでにわたしのことを知っていた。それは、何故か」
「わしに聞かれても、分からん。ただ・・・」
「ただ?」
吾朗は促すように、時永の言葉を繰り返した。
「あの女の周りには、いろいろと変なことがあった。おんしも、その一つだったのだろうな。あの後も、しばらく女優を続けておったようだが、もうわしらのような弱小集団とは付き合いはなかった」
「数年間、出演作がありますよね。今では、リストくらいにしか残ってませんけど」
「どこでどう画策したのか、大手の制作会社の作品に出るようになったんじゃ」
「あのロケのか後からですか」
時永は頷いた。
「わしらの前から消えたと思ったら、次からは準主役で、しかも全国公開の作品に出ていた。驚いたぞ」
「なぜ、お会いにならなかったんですか」
「会えなくなったというのが本当じゃ。わしらの仲間の誰れも連絡取れなくなった」
「連絡してもダメだった」
「住まいも変わり、周りに世話する者がいて、ガードしていた。撮影の現場で一緒した奴もいたが、声もかけられなかったそうだ」
「急にですか」
「訳がわからん」
そこまで話すと、時永は黙り込んだ。吾朗はこれ以上は何も知らないのだと思い、退出することにした。
時永は、ふと何かしら思いついた様子で、
「おんし、立花のことは覚えとるか」
と言う。
「会いたいと思っていました」
時永は机の上の紙切れを何か書き込むと、
「今はここにおる。会ってみろ」
と言って、紙切れを差し出した。「世田谷区濤越」と書いてある。
「自宅じゃ。わしと同じで、きっと話が聞けるはずじゃ」
「ありがとうございます」
吾朗は頭を下げて、東京映像リパブリックを後にした。
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