第5話 沼谷ゲリラロケ

 電車とバスを乗り継ぎ、古い簡易宿泊所のような宿がいくつもある下町にやって来た。その途中で、春子は、

「あなた、仕事は?」と聞いてきた。

「今は失業中」

「この世界、それとも元の世界でも」

 吾朗はそう言われて、ちょっと意外だった。

「何か知ってるのか」

「あなたとは会ったことがある」

「花江ママも言ってたけど、一体どこで?」

「ここじゃないところ」

「そうだろ。けど、今でもないよね」

 春子は笑って誤魔化した。そこでロケ地に着いた。そこに警察の姿はなく、カメラの周囲に人が集まっていた。

 春子が近づいて行くと、「よう」と声をかけてくるコート姿の男がいる。

「おはようございます」と春子が挨拶する。

「準備、OK?」

「この格好でいいんでしょ」

「春子ちゃんは、何着ててもサマになるよ」

と言いつつ、男は吾郎の方を見た。

「お主は、一緒か」

「付き添いです」

 吾朗は辞めてきた出版社の名刺を出した。「双見出版とある」

「そうみ出版。初めて聞くな」

「ふたみ、です。まだ、できて間もない会社ですから」

 吾朗の時代では中堅だったが、男の反応からすると、この時代では弱小かもしれないと吾朗は感じた。男も、名刺を出した。「巴集団」とあり、「プロデューサー宮脇智親」と書いてある。

「この映画のプロヂューサーでもあるのよ」

と春子が付け加えた。

「まっ、面白い本があったら、持ってきてよ」

と言い残して、宮脇は別の人間の方に向かって行った。全員に声をかけるつもりなのかもとごろうは思った。ご苦労なことだとも感じた。

 カメラのそばにいたハンチング帽のサングラス男が手を振って合図している。

「ちょっと行ってくる」と言い残して、春子はその男の方に走って行った。

 吾朗はすることもなく、慌ただしく動き始めた男女を眺めていた。恐らく、カメラの前にいるのが主役だろう。ハンチング帽の男がしきりに話しかけている。

 春子はちょっと離れたところにいた。そっちにも、ひとり男がいて、春子を含む数人の男女に声をかけていた。助監督といったところだろうと吾朗は想像した。

「春子さんのお知り合いですか」と、誰かが声をかけてきた。

 吾朗が振り返ると、

「広告代理店の立花です」と名乗った。

 名刺にも「未来広告社 立花隆雄」とある。如何にもという社名で、古いなと吾朗は思った。立花は、吾郎の名刺を受け取ると、「出版社の方ですか」と素直に喜んでいた。

「歴史が浅いんで、まだまだですが……」と吾朗は付け加えた。すると、立花は楽しそうに、

「実はね、この映画の脚本は僕が書いたんです」

「脚本家ですか」

「二足の草鞋ですけどね.。自分で資金集めもしました」

「映画が好きなんですね」

 そこまで話していた時、「ヨーイ、スタート」の声がかかり、立花は話すのをやめて撮影の方に目を移した。春子は通行人らしく、カメラの前の役者とは少し距離を置いて歩いている。

「カット」の声がかかると、立花はハンチング帽の男を指差して、「あれが監督のタッキー道家です。本名は、道家多喜男。カッコつけて、タッキーなんですよ。もっとも、この業界、どこまで本当かわかりませんけどね」

「本名じゃないかもってことですか」

 立花は頷いた。そしてすぐに、「僕は本名ですよ」と言って笑った。

 そこで、いきなり笛の音が聞こえた。助監督らしいと吾朗が思っていた男が、笛を吹きながら大きく手を振っている。

「隠せ」と監督が怒鳴る。

 役者も、通行人も、カメラもみんな、バラけた。特にカメラは大きな大きな布を被せて、周りに人が立って分からないように隠している。

 しばらくしてパトカーがのろのろと走ってきた。その場にいる者たちを値踏みするかのように、特にスピードを落としている。

パトカーは春子のそばで止まった。警官が降りてきて、春子の声をかけている。吾朗は何が起こったのか理解できず、春子の方へ駆け出した。警官は、春子をパトカーに乗せようとしているのに対し、春子は抵抗している。

「何してんだ」

 吾朗は、反射的に景観を突き飛ばしていた。パトカーの中にいたもう一人の警官が慌てて降りてくる。吾朗に迫る。

「逃げよう」

 吾朗は春子にそういうと、春子の手を取って走り出した。「待てえ」という警官の声が追ってくる。そして、続けてサイレン。吾朗は路地から路地へと駆け抜けた。

 その間、春子は黙ってついてきた。五郎には、春子が二人の逃避行を楽しんでいるようにも感じられた。出くわす警官の姿が妙に増えくる。交番の巡査の姿も見るようになった。大通りに出て、人波に隠れようとしたところで、数人の警官に包囲されてしまった。

 吾朗と春子は別々のパトカーで沼谷警察署に連れていかれた。取り調べも留置所も別々だったので、吾朗は春子と顔を合わすことはできなかった。

 だから、翌日、放免となった時も、春子がどうなったか全く分からなかった。警察官に聞いても、冷たく知らないと言われるばかりだった。ましてや、警官が春子に最初に声をかけた理由など、聞いても全く相手されなかった。

 髭面はどうしようもなく、トイレの手洗い場で顔を洗って、受付コーナーの待合所に出てきた。色々な手続きを希望する人たちでもう一杯になっている。吾朗は壁際の長椅子に座って、春子のもらったタバコを薫せた。灰皿はない。係官にみられないように、灰を足元に少しずつ落としていった。

 隣に座ってきた男がいた。若い。話しかける風でもないので、吾朗は黙っていた。ただ、タバコを吸っているのを見られるのはまずいと思って、男から見えない方の足元に落として踏み消した。

「臭ってますよ」と男はこっちも見ないで言った。

 吾朗は少しムッとしたが、ここで事を荒立ててもいい事ないとすぐに思い直して、黙っていた。

「一晩、ここで明かしたんですか」と男が聞いてきた。

「ああ」

 吾朗はあんまり相手したくなかったので、そっけない返事をした。すると、男は吾朗の方に向き直って、にっこりと笑った。人懐っこい笑顔だ。

「何が言いたい」

 吾朗はちょっとビックリして聞いた。

「僕はちょっと話を聞きたいだけで・・・嫌なら、諦めますけど」

 そう言われると、吾朗も悪い気はしない。

「あんた、誰れ」

「僕は、大学院生です。常巖大学ってご存知ない?」

「知らない」

「戦前からあるんですが、一部の人間だけに門戸を開いていたみたいなんで、仕方ないですね。僕なんかが入れるようになったのは、最近のことです」

「名前は」

「道成・・・道成政敬」と言って、名刺を出すと「まさたかって読みます」と付け加えた。

 吾朗はその名前に覚えがあった。思い出そうとしたが、すぐには出てこない。

「道成って、言ったよね」

「そうです。どこかで会ってますか」

 吾朗は胸ポケットに手を当てた。内ポケットに何か入っている感触を感じる。乾燥した古い紙、薄い。週刊誌の記事だ。

「君は、大学の先生か」

「まだ、院生です。大学院に行ってます。今、論文を執筆中で・・・」

「テーマは」

「異常な社会現象について」

「異常な現象が起きているのかい」

 道成はそこで顔を吾朗に近づけて小声で、「大学の創立者の一人に聞いたのですが、どうやら前の世紀から何かが起きているようなのです」

「時空並立」

「えっ、何です」

「いや、失礼。そんな言葉を目にしたことがあったので」

「時空・・・何と仰った?」

「時空並立。あなたの言葉ですよ」

「わたしの⁉︎」と言って、道成は絶句した。信じられないという様子だった。

 しばらくして道成は、言葉を選ぶように吾朗に語りかけた。

「あなたは、一体、何者です。何を知っているのですか? そして、どうして警察に捕まったのですか」

「詳しくは話せない。自分でも混乱しているのでね。遠い未来に、あなたの言葉を月刊紙の記事で目にしただけだ」

「タイムトラベル?」

「さあ、そう呼んでいいものかどうか・・・タイムマシンもないしね」

「将来のわたしは、あなたに会ったのですか」

「いや、記事を見ただけで、会ってはいない」

「今、わたしが研究していることは、時空に繋がるのか」

 道成は感慨深げに呟いた。吾朗は、気になっていたことを道成に聞いた。

「ここで、三沢春子という若い女性を見かけたことは? わたしと一緒に捕まったのだが」

 道成は突然の質問で、しばし黙考した。吾朗が畳みかけるように聞く。

「君はいつからここにいるのか? 昨日はどうだった?」

 道成は膝を打って、「そう言えば・・・昨夜、僕が帰ろうとしたときに、二代のパトカーが戻ってきた。一台は、あなた?」

「多分」

「もう一台が、その女性の方」

「俺と同じで、この留置所に泊まったはずだ」

 道成は不思議な顔をした。

「いや、その女性は別の車で帰って行きましたよ」

 どういうことだという思いが吾朗の頭の中を巡った。道成は言葉を続けた。

「一旦は、署内に入ったみたいでしたけど、しばらくして別の大型車が来て、その車に乗っていた恰幅のいい紳士と一緒に出てくると、その車で出て行きました」

 また、謎の人物が出てきたと、吾朗は感じた。

「知っている相手か」

「わたしは知らないけど、大人しくついて行ってましたから、知らない間柄ではないと思いますけど」

「それはおかしい。春子さんも俺と同じはずだ。この世界に知り合いはいない」

「お二人は、同じ時代から来たのですか」

「それは・・・違うと思う。そもそも知り合いじゃない」

「じゃあもう伝手がない?」

「ダメ元で、春子さんのアパートに行ってみるよ」

「また、話を聞かせてください。僕は大抵ここにいますから」と道成が言う。

「ここで、何やってるの」

「あなたみたいな人を探しているんです。未知の体験をしている人の話を取材して、研究論文にまとめるつもりです」

「修士論文か。こんなテーマで通るのかねえ」

 吾朗はそこで道成と別れた。道成もしつこく付きまとう気はないようだったし、それは吾朗にとっても助かった。うる覚えで電車を乗り換え、春子のアパートへと向かった。北区明神と言う地名も街頭の地図で探したが、なかなか行きつけなかった。

 そうこうする内に夕方になったので、仕方なくバーラフガンに行ってみた。こちらはちゃんと覚えていたはずだったが、近くまで来ると見慣れぬビル街に阻まれた。白い靄のようなものが漂っていたのが、ちょっと気になった。

 靄が晴れた時、五郎はカフェラマンの前に立っていた。

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