第5話 処理

 何度か体をくねらせ、パチっと目を開けた。


 視界の端、埃が被っている写真立てにあの女とメイド、それに小さな少女が写っていた。


 カラカラの喉を触り、たんが絡んだような「ア゛〜」という声を出す。

 横に手を伸ばして水差しを掴む。そのまま口に注いだ。

 油を指していない機械のような体を力ませながら、ゆっくりと音を立ててすする。

 咳と一緒に飛び散った唾液と水の混合物は、枕に染み込んで嫌な水音を出した。


 白のモーフ越しに見える濡れた髪、男ではなく女になったのだと曖昧な何かを感じる。

 胃にぽっかり穴が空いたような感じ、あの女に狂わされていた。


 私の体にくっついている空色の分厚い服を見て「あの女にも最低限の道徳があるもんだな、ガラスも散らかってないしな、いや、メイドに任せたんなら、それこそ道徳ゼロだな」と小さく喚き散らした。


 裸で放置されなかったのは意外だったが、それ以外に目を向けなければ本当にそれだな。と胸の内で続きを話していた。


 気怠い体を起こして近くのベルを「リン」と鳴らした。

 

 気を失っても起こされて、気を失って、起こされて、その最中に呼び鈴の存在を伝えられていた。


 ノックの音と同時にメイド女が入ってくる。


 私はメイドの腹を見つつ「おはよう、腹が減った」と呟いた。


「昨日はお疲れ様でした、朝食の用意は出来ておりますので……何故濡れておられるのですか?」


「水をこぼしたんだ」


「せっかくお嬢様がしてくださったのに……仕方がありません、朝食の前に湯あみにいたします」


「いや、飯が先だ」


 メイド女の眉間にシワがよる。


「先日も申し上げた通り、ご自身のお立場というものを理解してください」


「理解なんて言われても飯一つ食うだけだろうが、水を体にくっつけちゃいけない立場なんて知るかよ」


 私は苛立ちを示すように、サイドテーブルを荒っぽく、トントンと叩いた。


「……分かりました、朝食を運んで参ります。いえ、ついてきて下さい」


 私は「ああ」とはっきり返事をし、アヒルのようについて行った。


 女と私は厨房から持ってきた荷台に料理を乗せて、ついでに倉庫から魔石を持って初めに案内された部屋へと潜り込んだ。

 その際中通りかかる人が皆、私を覗いていた。


 しっけたパンをかじりながら、明かりの魔石を交換しているメイドを、後ろ姿を見ていた。


 突然振り返ったメイドが「何かご用でしょうか?」と首を傾ける。


「いや、ただ、発育がいいなと思っていただけだが……ただ単純に奴隷商の女どもがやせ細ったガキばっかだったからな」


「そうですか」


 私は「ああ」とはっきり返事をし、野菜を口いっぱいに入れた。


「今日の予定です。といっても一つしかありませんが。お嬢様から魔術を教わるという物です」


「そうか」


「はい、午後の鐘が鳴り次第案内いたします。それまで濡れた体を乾かす等行います」


「わかった」


 ―――――――


 また、あんなことが起こるのかと危惧していたが、それはいらない心配に終わった。

 机をまたいだ先にいる名も知らぬこの女が、真剣に物を教えているのだから。


「少し休憩にしましょう、別に今すぐと言うわけではないのだから」


「今すぐって?」


 私は小洒落たティーカップを口に押し付けて頭に浮かんだ言葉をそのまま出した。


「言葉の綾という物よ、別に深い意味合いなんてないもの、ただ焦って詰め込むのは逆効果」


「そうか、あんたって1を聞いたら10くらいで返すんだな」と笑った。


「そうね」


 女はわざとずずずと音を立ててお茶を飲んだ。


「言葉っていうのは責任が伴うのだと思っているの、それこそ嘘をついたり、無知で話をしたり。罪には罰をって言葉がその通りね、私は意図のない嘘が嫌いなの無自覚に言ってしまう嘘が、だから言葉を飾ってたくさん話すの。これでいいかしら?」


「随分とプライドが高いな」


「貴方だってそうでしょう?」


 メイドから渡された茶菓子を口にべったりくっつけて「そんなことよりだ」と話を切り出した。


「私を弟子にしてどうするんだ? あんたがそれをして何かいいことでもあるのかって話だ」


「前に話したつもりだと思うけど、というよりも弟子を取ること自体は全く不自然ではないと思うの、貴方はこの行為に何か裏があるだとかなんだとか思っているの?」


「それもそうか」


 一応の納得を示しつつも半信半疑で問い続ける。


「だったら、一般的に魔術師ってのはどんな理由で弟子を取るんだ?」


「そんなの知らないわよ、本人じゃないのだから。そうね……自分で聞いてみるのはどうかしら? 見たところそんな経験なさそうだから」


 女はニヤリと笑った。


「あんたがろくでもない考えを持っているのは分かった。この話はやめにする」


「そう? さっき言ったわよね? 言葉には責任が伴うって。私の弟子になるのだから魔術思想も理性も、見習うべきではないのかしら?」


 女は後ろにいるメイドに「連絡をお願い」と一言だけ口にした。


 頭のいかれた女を前にして口をぽっかり空けるしかなかった。

 別にいいかと思い始めたころには「口を開けている貴方もかわいいわね」と悪寒のする言葉を耳にすることになった。


 その後暗くなるまで魔術訓練をし(物理法則を無視したそれに身震いしたが)空腹で喘ぐ腹を落ち着かせるため今日はおひらきとなった。


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