第4話 籠の鳥
両手を上にあげられ、抵抗の有無を示す権利すらないのだと見せつけられる。
じたばたとベットを蹴り、女の腹を蹴るが「ぽす」という気の抜けた音しか出ない。
それが面白可笑しいのか、無様で醜いのか、この女は口元を汚く緩めて笑っていた。
罠にかかったシカの様に体を震わせて「それが来るのを待つしかない」、そう教え込まれるような、あるいは足先のてっぺんから顎の先端までなめとられ狂おしいほどに憎悪を口にするような、気味の悪い感情が胸の中でざわついていた。
喉の奥がぎゅっと狭まって空腹に喘ぐような。
あんまりにも俺が「やめろ!」と叫ぶもんだからか、手を口にかぶせられる。
「ーーーーんん!」
太ももを抱き寄せるように触り、撫で、近づき、女は「血管じゃなくても筋肉でいいのよ? でも暴れたら針が折れちゃうかもだから」とソレの先端を足の付け根に当てがった。
「貴方とアフタヌーンティーを飲むのもありかもしれないわね、綺麗な顔をぐちゃぐちゃにした後に。最高でしょ?」
チクリと電気が弾けた。
下を向けば白い肌に一つ赤の点が出来ていた。
「大丈夫よ、さっきも言ったとおり、ほんの気休め程度の催淫。といっても私が本当のことを言っているだなんて確証はないのだけれど」
この体になって何度も見たはずの、いまだに見慣れない赤いそれは、ぽたぽたと足を伝い、苦しかった。
薄黄色の注射が透明なガラスだけになっていく。
少しポッコリとした下部に、少しの圧迫感がある。
女が注射を抜くと、脚の付け根をゆっくりと撫で初め、しばらくした後体を起こし、ベットから飛び降りた。
俺の叫びを無視し、女は扉からどっかに歩いて、俺だけがこの異質な空間に残された。
「……いったいどうなってやがる、ふざけるなよ」
体を起こし、改めてぐるりと周囲を見渡してみた。
ベットの木枠に手をドンと打ち付けた。
壁には写真や絵画が飾ってあり、床は濃い赤のカーペットが敷かれてある。
ベットは部屋の中央にあり、出口はその反対側にあった。
机に置かれた照明は暗く、その横に設置されたタンスには服や化粧品などが置かれてあった。
最も目に映るのは狂気的な器具の数々だが。
俺がベットのふちに座り、近くの窓から外を眺めていると、女が帰って来た。
手には水差しとコップがある。
「水を飲みなさい、脱水で死にたいなら別よ」
自然な仕草で隣に座ったこいつに「どうせ、それにも何か入ってんだろ?」と叫んだ。
「まあ、いいわ」
コトンと近くのサイドテーブルにそれらを置いた。
女は俺の腹に手を置いた。
白、肩から腰まである下着、それを乱暴につかむとベットの中心の方へ引っ張る。「ころん」と音を立てて。
ひらひらの天蓋が揺らいでいた。
俺は逃げるように転がろうとした。
だが、止められ、組み敷かれる。
シーツに沈む体の感触と、ベットから香る花のような甘いそれに、誘惑するような手つきで触ってくる女性の手に、くすぐるようにソフトタッチを繰り返す真っ白な両手に、顔を、口を撫で、あやすような仕草に、声が漏れてしまう。
初めて触る楽器の感触を確かめるように、癖を、音を、弱いところを、いいところを、ゆっくりと探すように。
首に手をかけられ、きゅっと絞められたり。歯を肩に当てられ、ぐっと甘噛みされたり、へその周りをくるくると指でなぞられたり。
体がぴくぴくと反応してしまう。
女は覆いかぶさるように俺の真上に、そして顔を覗き込んできた。
少し荒い呼吸と時計の針だけが静かに、音を作っていた。
綺麗な目だ。
純粋にそう感じた。宝石のように輝いているわけではない、純粋に澄んでいる。
機械式のサファイアより。
機械式のアメニアスより。
上気した目で、吸い寄せられるように、それをじっと見つめていた。
女の手が股関節へ「するする」と音をだして、ずれていく。
ひときわ強いそれが体を走った。
背中が勝手にのけぞった。
中に入った指がこすれて、くちゅくちゅと卑猥な音が体の奥から、鼓膜に響く。
「やめろ」と言うが、いつまでたっても、その音は止まない。
目を瞑り、耐えるように、体に力を入れていた。
――――――――――
ふと視界の端に移った照明が明るくなって、オレンジに部屋を照らしていた。
腕をぺたりとベットに置いて、体に力が入らない。
「あら、涙を浮かべて、可愛いわね。やめてほしいの?」
こくこくと頭を縦に振った。
「そう、やめてほしいのね」
手が止まった。
ぬるぬるのそれが太ももをべっとりと、撫でる。
それだけで、背筋にぞくぞくと何かが走り、頬の赤みが増していく。
女が「ぱちり」と指を鳴らす。
それと同時に俺の体が浮き、くるりと向きを変え、うつ伏せに寝かされた。
女は後ろから抱きつき、抑え込むように体重をかけてくる。
へたりとシーツに押し付けられて、暖房器具のような温かさを感じた。
男なのに。
卑猥な水音と嬌声が鳴り始める。
もう何度目か分からない、頭が真っ白になるそれに身を震わせて、もう何度目かも分からない、叫んでいるような鳴き声をだす。
それから逃げようと腰を引かせても、手首の角度を変えられて、弱いところをずっと触ってくる。
這いずるようにベットから移動しようとするが、腕を、腰を、背中を押さえつけられて、もじもじとシーツを掴むことしかできない。
白のシーツにある涙で濡れた、灰色のシミが目についた。
しばらくして、女はその手を止め、ベットから降りていく。
熱のこもった息を繰り返し、ようやく終わったのだと安堵する。
「どうしてベットを汚すのかしら、獣にはしつけが必要よね?」
体に焼けるような痛みが走った。
うめくような声を喉の奥で発しながら、女をみた。
女は手に革製の何かを持っていた。
「安心しなさい? 傷跡は残らないように治してあげるから」
そう言って何度もそれを振るう。
何度も、何度も、何度も、何度も。
ずっと終わらない。
サイドテーブルの方からガラスが割れる音がした。
何も分からない。
「……やめて、ごめんなさい、ごめんなさい、痛い、ごめんなさい、ごめんなさい、嫌だ、痛い、痛い、ごめんなさい、いや、ごめんなさい」
嗚咽交じりの声。
ふいに傷口を撫でられた。
体を暖かな光が包む。
薄れゆく意識の中、星が浮かぶ冷たい夜空と、点滅を繰り返す照明器具がぽつんと存在していた。
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