第2話 檻

 尿をかけてきた獣女が「行かないで!」と泣いて檻に頭を体を叩きつけているそれを尻目に、ローブの女と外に出る。

 古ぼけた雲と太陽の眩しさに、目を細めながら今後の振る舞いに青い思考を巡らせていた。


 どっち付かずの結論が出たところで、手を握っている女に目を向ける。


「なあ、あんた。どうして俺を買ったんだ? 法外な値段を提示されて、いや、法外ってのはアレだが」


 女は俺を見ることなく舌を出すかのように笑った。そんなふうに感じた。厚手のローブでわかりっこないが。


「そうね……サイコロって知ってるかしら? ええ、サイコロよ。知らないと言われたら流石にびっくりするのだけれど。あれは統計学によると出目は一定じゃないと出たの、それはなぜだかわかる?」


 気味の悪い吐息を漏らしながら「知るかよ、関係あんのか?」と笑うように馬鹿にした。


「ええ、そうね、知らなくて当然よ。そもそも、サイコロの精度だったりなんだったり、外的要因に囚われて……キリがないくらい色々考えられるわね」


 どんよりとした石畳を眺めながらぼんやりしていた。


「結局何だ?」


「急かさないで、諸々ひっくるめると、近年の科学発展にはある一定の線引き……限界があるの。要するに、あんまり信用できないポンコツってことよ。と言ってもここでは誤差においての話だけれども、聞いてる?」


 コツコツコンコンと足音だけが妙に耳障りだった。


「だから、貴方を見つけた時は気分が良かったの、だってそんな泥みたいな研究をしている時にコリの実が降って来たみたいだったのだから。言いたいことがわからないって顔してるわね。結局のところ、それを知ったところでこれからのことが変わるなんてないのだけれど……そうね」


 俺は適当に「うん、そうだ」と相づちをくりかえす。


 会話のキャッチボールが成り立たない中、ヘドロとローブだらけの路地を抜け、レンガ作りの市街へ出た。

「頭の良い奴は一周回ってアレだ」と意味を込め「汚くはない街だ」と息混じりに叫んだ。


 苦くて甘く酸っぱい匂いもするが、有害な微生物も放射線もない透明な街だ、ゆらゆらゆらぐ視界端の茶色を見ていた。いや、ただのローブ女だった。

 改めて全身の生体部品を眺め、手をぐーぱーさせて違和感を感じていた。


 身長や関節、駆動域、全てに違和感がある。

 気の隙間から見えた太陽の光に感動を覚えたのが、仕方ないと思えるほどのものだ。素晴らしい。


「貴方、掴むような仕草をして、何か見えているの? 私からは認識できないのだけれど」


「いや、ただ、筋肉のこりをほぐしていただけだが」


 女は俺の腰に手を回し「そう」とつまらなそうに返した。

 さっきまで俺がいた場所をねずみ色の車が鈍い駆動音を立てて通過していく。


「やっぱり歩くのって面倒ね」


 女が訳の分からない言葉を口にする。

 黒色と茶色と赤色とオレンジ色と黄色と緑と青と紫と灰色と白色と金色と銀色。

 次の瞬間だった。

 視界のすべてがぐねぐねした泥のような何かで包まれた。

 身体が宙に浮き、見えない触手に潰される。

 かと思えば四肢を両側に引っ張られるような衝撃に耐えるように俺は体をこわばらせて。

 何かを掴もうと手をあちこちに伸ばしていた。


 浮遊感を感じている中、真っ黒な視界が一転し、真っ白なそれに囲まれた。

 地面にストンと落ちて腰に添えられている手に全体重を乗っけてへたり込んでしまう。


「あら、当然初めてなのよね? 気を失わないのは意外だったわ、そうでなければ意識を保ったまま失うだなんて器用なのだけれど、もしかして種族特性だとかなんだとかなの」


 俺は石の床に這いつくばり口の中から酸っぱくて苦いものを吐きだしていた。

 女は俺を介抱するように優しく背中を撫でてくる。

 嗚咽とびちゃびちゃと汚い音が響いていた。


「……ぇう……放せよ」


 そう言って背中に添えられた手をのける。


「なんだよ今のは、何しやがった」


「見慣れないのも、無理ないわ、転移魔法はかなり珍しいの、周りを見てみなさい」


 さっきまでの家々が並ぶ地味な場所ではなく、大きな塀、整えられた広い庭。

 所々で作業している庭師がぺこりと腰を曲げていた。


「じっくり歩いて馬車でひとっ旅、一瞬の転移、後者の方が好きでしょ? 長く苦しんでいたい趣味をお持ちなら、その限りじゃないけど。とりあえず口を洗いなさい」


 いつの間にか目の前に水の球が浮かんでいた。

 言われた通りに口をゆすぐとそれは地面にべしゃりと落っこちた。


「ついて来なさい」


「あぁ」


 俺はぐらぐらする地面を必死ににらみながら、もたれかかり、それについていった。


 使用人から挨拶を受けながら俺は昔通っていた教会を思い出しながら、無駄に大きな扉をくぐる。

 ひとりのメイドが俺と女を出迎えた。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 メイドがそう言うと「ただいま」と気だるそうに返した女は俺に顔を向ける。


「一応ここに住んでるわけだから……そうね。メイド達とは仲良くするのよ」


「髪と服が汚れて、臭いんだが」


 女は俺の背中に手を回し「そうね、洗わないとね。でも私は少し休みたいわ、あとはメイドに」と言った。


 俺はメイドに引きずられるよう、広い廊下を歩き、金属匂い湯槽に押し込まれた。

 数分ごりごりと体を磨かれ「かなり傷んでいます」とぼやかれながら、体はぴかぴかになっていた。


 その後、裸で寝かされ、油を体に塗りたくられて体をどちどちと押される。

 脇腹の骨に近い肉をコリコリと触られたときは、気持ちのいい触覚にピンクノイズが口から出て、顔を真っ赤にさせてしまった。


 ひっくり返されて太ももの内側を丹念に揉まれた時は、死んでしまいたい気持ちでいっぱいだった。


 行為終わった時、火照った体を支えられて、用意された綺麗な服は少しブカブカだったが、不思議と悪い気分ではなかった。


「顔立ちが整っているから、そんなに不格好には見えませんでした。それでは私はここで」メイドはそう言い残して、部屋を出た。


 窓の外を見ると、石塀の上に夕陽が沈んでいた。

 俺も部屋を出て近くの椅子に座り、しばらくそれを眺めていた。


「綺麗に洗えているわね、素敵よ」


 気分が良かったのか「そうか、あんたもなかなか綺麗だぞ」と冗談交じりに答えた。


 女はふん、と鼻を鳴らして「泥人形が服を着て歩いてるみたい」と小馬鹿にするように言う。

 俺はそんな意図の込められた言葉に苛立ちながら「まあ、いいか」とメイドがいつの間にか運んでいたティーカップに手を伸ばした。


「さて、本題なのだけど、率直に言うとね、貴方を弟子として迎え入れたいのよ。つまり私の家に住めと言っているの」


 俺は手にしたティーカップを落としそうになり、受け皿と金属がぶつかりカシャンと音がなる。

 そして俺は平静を装って「こいつは良い茶葉だ」とつぶやいた。


 女はテーブルを指でとんとん、と叩きながら「聞いてる?」と不機嫌そうに答える。


「答えはノーだ、悪く思わないでくれ。あまりにも突飛な言葉だったもんでな。そもそも拒否権なんてないだろうよ」


 女は俺の言葉を聞いて、くすりと笑い「違うわ」と答えた。


「もし貴方が承諾するなら、相応の対価を支払うわよ、それ以上のものを提示できるかは別だけれど」


 俺はもう一度ティーカップに口をつけ「そんなことを聞いてるんじゃねえ、恩をくれてどうしたいんだ?」と言った。


「奴隷商のところで言わなかったかしら?  貴方は魔法使いとして天性の素質があるの、魔法使いとして生きるのなら教えてあげられることは山ほどあると思ったのよ」


 俺は顔をしかめ「そんなもの答えになってない。俺を魔法使いにして何になるんだ」疑問をそのまま口にする。


「貴方はもう分かってるはずよ『俺は何者か?』それをねじ曲げてるものは何かしら?」


「……どういう意味だ」


「そういう口ぶりだったもの、魔法を嫌悪するべきかそうでないか、弟子になることを肯定的に扱うべきか、否定的に扱うべきか、まるで迷っているみたいよ? 今こうしている間も」


 無意識に高い音を出す喉、手を触れていた。


「まあいいわ、改めてお願いするわね、私の弟子になりなさい」


「……断る」


 女は紅茶を飲み、カップを置き「そう」と一言答えた。

 窓の外では夕陽が沈み切り、建物の中のランプが一斉に灯り始めた。


「貴方に選択肢を与えて懐柔するつもりだったのだけれど、そうもいかないみたいね、失敗したわ。貴方がどうして断ったのかも後々聞けばいいわ」


 その言葉を聞いて、嫌な雰囲気を感じて立ち上がり、走って逃げ出そうとした。

 だが、女が指をパチリとはじくと、俺は床に押さえつけられるように倒れる。


「心配しなくても殺しはしないわ、そんな安っぽい真似はしたくないもの」


 口をもごもごさせながら「結構だ」と認識できるかどうかのそれを言う。


「安心して頂戴、今日一日動けない程度に制限をかけてあげただけだから。さ、私は寝ることにするわ。運んで頂戴」


 メイド女が俺を軽々と持ち上げる。

 メイドは俺を奥の部屋まで運び、ビックなベットに放り投げた。


「ぽふ」なんてかわいげのある音が不釣り合いなほど暗い部屋だった。


「普段使用しない部屋でしたので、魔石を変える機会がありませんでした。後で持ってきますので、どうか首をすくめてお待ちください」


「……これだから馬鹿共は頭が硬いんだ……」自分を卑下するように小さく喉の奥で呟いた。


 独り言をこぼすとメイド女が俺を凝視しながら「お分かりかと思いますが、お嬢様が弟子にするとおっしゃったら、そうなるのです。貴方様の意見はありません、ですが少々強引で可愛そうに見えましたので多少の融通は利くものだとお考え下さい。と言っても私にのみですが」そう淡々と返した。


「……あんたも大変だな」と言いたかった。

 だが小さく口を開け閉めし、ただ時間が流れるだけだった。


「お嬢様は絶対ですので」


 夜になり、ランプに火が灯っていくなかで、窓枠から少しはみ出ている外を眺めるしかなかった。

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