友人の死ぬ時

 何処か白味がかった冬の青空は夏のような鮮やかさはなく、穏やかだった。そよぐ風に乗って漂ってくる潮の匂い。気温もそれほど低いわけではなく、今日はサボりにうってつけだった。例の墓石の反対側が私の特等席。此処に座っていると、彼と背中合わせになっている気がして落ち着くのだ。コートの裾を払って腰を下ろすと、私は買ってきた缶珈琲のプルタブを開けた。

「太宰さん、また此処に居たんですか?」

「うわ、敦君見つけるの早っ」

 突然背後から掛けられた声に驚いて振り返ると、一房だけ長い銀髪を揺らして敦君が此方を覗き込んでくる。墓石を回り込んでブーツの足が静かに歩いてくる。

「国木田さん、怒ってましたよ」

「そりゃそうだろうねえ。携帯の電源切ってあるし」

 私はけらけら笑って国木田君の今の状態を想像した。きっと苛々しながら仕事に追われているのだろう。その光景があまりにも容易に脳内に浮かんでしまう。

「お邪魔します」

 敦君がそう云って私の隣に腰を下ろした。真面目な彼にしては珍しい。

「あれ? 私を連れ戻さなくてもいいの?」

「今日の仕事は終わらせました。あとは太宰さんを連れ戻したら帰っていいって云われたので、付き合います」

 そう云って私から視線を外すと、立てた膝の上で腕を組んだ。私は「ふうん」と生返事をしながら空に目線をやって珈琲を一口飲む。

「……このお墓の人って太宰さんの大事な人なんでしょう?」

 敦君が訊いてきた。

「どんな人だったか、教えてもらえませんか」

 喉から絞り出すその声に、私は珈琲の缶を両手で包むように持つと、自分のつま先の方へと目を落とした。

「前にも云ったけど、昔の私の友人だよ。咖喱が好きで、少し朴念仁の気がある男だった」

 そう話すと、この墓に眠る彼の人との思い出が脳裏にありありと蘇る。だが、私の名を呼ぶ時の、あの低く通る声音はもうはっきりとは思い出せなかった。それに気づいた時、私は背筋がぞっとした。

 人は二度死ぬ。一度目は心臓が止まった時。二度目は人に忘れられた時。彼は私の中で二度目の死を迎えようとしているのだ。

「太宰さん」

 代わりに名を呼ぶのは、まだ何処かあどけなささえ残る声。「怖いんですか?」と訊かれ、私は缶珈琲を持っていた手が小さく震えているのに気づいた。何でもないと云いたかったけれど、その言葉は胸の奥につかえて、出てこなかった。

 小春日和に囀る小鳥の声と、微かな葉擦れの音だけが辺りに満ちている。

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