生活能力皆無のあの人

 ある日の武装探偵社。昼休みに、敦が国木田に訊いた。

「国木田さん、ずっと謎に思ってることがあるんですけど」

「どうした、敦」

「太宰さんって僕と暮らすようになるまで、日常生活送れてました……?」

 そこで国木田は眼鏡を押さえる。レンズが光を反射して表情が読み取れなくなる。

「――何かあったのか?」

「いえ……あの人ってば料理はできないし、ポケットに物を入れたまま洗濯に出すし、お風呂上がりは髪の毛もろくに乾かさないし……」

 そこで国木田は深いため息をついた。単なる惚気だと思われたのだろう。

「知らん。どうせ女の世話にでもなってたんじゃないか?」

「……ですかねえ……」

 あの太宰のことだ。女性をたらし込んで面倒を見てもらうくらい、わけはないだろう。

 だが、それを思うと敦の胸の奥にちりちりと焦げるなにかが燻る。

 二人の会話を聞きつけたのか、ナオミが近づいてきた。

「敦さん。お二人で暮らし始めたとき、太宰さんの部屋に食器は二人分ありました?」

「なかったですけど……それが何か?」

 敦は首を傾げる。質問の意味がわからない。二人で暮らす段になって、食器などが足りないから買い出しに行ったことはまだ記憶に新しい。

 ナオミは自分の唇の前に人差し指を立てて微笑んだ。

「わからないなら、敦さんもまだまだですわね」

 そのまま鼻歌を歌いながらこちらに背を向け、谷崎の方へと行ってしまう。

 敦はなんだか少し悔しくなって、腕を組むと天井を仰いだ。

「国木田さん、意味わかります?」

 国木田はまたため息をついて、腕時計に目をやる。

「――そろそろ昼休みも終わる。お前は太宰を連れ戻してこい」

「あ、はい。わかりました」

 敦が探偵社のドアから出ていこうとすると、国木田が敦を呼び止めた。

「二人で暮らすのに足りないものがあるということは、そういうことだ」

 そこで敦ははたと思い当たる。

 ――元ポートマフィア。そんな人間が他人をほいほい部屋に上げることはないだろう。また、逆に女性の部屋へと上がり込むのも考えづらい。

 敦は「行ってきます」と探偵社を飛び出していく。

 ――あの人は、僕に甘えていただけなんだ。

 見つけたら、ぎゅっと抱きしめたい。そう思いながら敦はヨコハマの街を走っていく。

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