爪を切る

 ぱちん、ぱちん、と爪切りの音だけが響く昼下がりの部屋。敦が手の爪を切っているのだ。

 太宰は窓辺に腰を下ろして、その姿を見るともなく見ている。

 やがて終わったのか、敦は爪切りを引き出しにしまった。

「敦君ってさあ、マメだよね」

 太宰がそう云って敦の手を取る。爪は綺麗に切り揃えてあって、敦の几帳面な性格が見て取れる。

「……こうしておけば、太宰さんを傷つけずに済みますから」

 少し照れたように笑う敦に、太宰は頬に朱が上るのを感じる。敦は太宰を抱くときのために爪を切ってくれていたのだ。

 その発想は無かった。太宰は心臓が跳ねたので、敦から手を離すと、口を覆ってそっぽを向く。

「太宰さん?」

「なっ、なんでもない!」

 敦と付き合い始めてからというもの、太宰はこんなに大切にされるのは初めてで、どうしたらいいのか戸惑ってしまう。


 初めて敦に抱かれたときもそうだった。ポートマフィア時代に『初めて』は失ってしまったと伝えると、敦は太宰を抱きしめてこう云った。

「でも、僕が初めて抱くのは太宰さんです。……それじゃ駄目ですか?」

 そこで太宰は涙がぼろぼろ溢れて、敦を慌てさせてしまったのだった。


「こっちを向いてください」

 敦が微笑む声で太宰の腕をそっとつかむ。抗えるはずもなくて敦の顔を見ると、春の陽射しを思わせる笑顔があった。すべてを包み込んでくれるような、暖かさ。

 ――嗚呼。この笑顔のためなら、私はなんだってする。

 太宰がゆっくり目蓋を閉じると、くちづけされた。触れるだけのそれがもどかしくて、太宰は口を開けて「もっと」とねだる。それに応えて敦は角度を変えて深くくちづけた。舌が入ってくる頃には、もう脚の力は入っていなくて、敦に支えられている格好になる。

「太宰さん。いいですか……?」

 太宰の耳の形を確かめるように触れながらそう訊かれれば、もう拒むことはできない。敦の胸元に顔を埋めて、頷いた。

 ――早く、敦君に愛されてこの昂りを開放したい。

 静かに目を閉じてみても、胸の鼓動がうるさかった。

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