偲ぶ煙
太宰さんから時々、煙草の匂いがする。特に天気の良い日。
けれど吸っているところを見たことがない。別に隠れて吸うこともないだろうし、なんでだろうと思っていた。
ある日。僕は国木田さんから、太宰さんを連れ戻してくるように云われた。異能を使って嗅覚を強化すると、息を吸い込んだ。匂いを辿って街を駆け抜ける。
たどり着くのは街外れの、海が見える墓地。
「……やあ、敦君」
振り返らずに答える太宰さんは、まだ新しい墓の前で煙草を吸っていた。嗚呼、こういうことだったのか、と僕は合点がいった。太宰さんが煙草を吸うのは、故人を偲んでのことだったのだと。
今の太宰さんは近づきがたい雰囲気をしている。僕はその背後からおそるおそる足を踏み出した。
なんて、声をかければ良いんだろう。
「……太宰さんって、煙草吸うんですね」
頭の中を全部引っかき回して考えた末に出た言葉が、これだった。どうして僕は、こんな時にこんな莫迦みたいなことしか、云えないんだろう。
太宰さんは気にした風もなく、雲ひとつない真っ青な空に向かって煙を吐き出すと、「たまにね」と軽く答えた。
「天気の良い日なら、あの世にも届くかなって」
僕が隣に立つと、そう云って、太宰さんはまた煙草を口元に持ってくる。
「その煙草が、好きだったんですか。その人は」
「うん。ラッキーストライクね」
そう云って左手でコートのポケットから煙草のパッケージを取り出して見せる。箱には赤い丸が描かれていた。
「花束を供えてもいいんだけど、花より団子……っていうか咖喱だったし」
吸いさしの煙草を手に苦笑いするその顔が、どことなく何時もより幼くて、楽しそうで。
――嗚呼、ここに眠る人は、太宰さんの大事な人だったんだろうな。いや、『だった』じゃない。過去形じゃなくて、現在進行系だ。
死んだ人間には勝てない。
心の中の椅子に故人を座らせてしまった人は、生きている人間に椅子取りゲームをさせてくれない。記憶は美化されることしかないのだから。
僕は胸が苦しくて、黙ってネクタイごとシャツの胸元を握りしめていることしかできない。
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