あの人となら

 今日も太宰はデスクで仕事もせずに愛読書を開いている。それが何かと云えば『完全自殺読本』。数年前に手に入れたその稀覯本はびっしり付箋が貼り付けられている。

「ねえねえ、国木田君。入水と練炭だったらどっちが楽に死ねるかな」

「知らん。というか仕事をしろこの自殺嗜癖が。死ぬなら過労死でもしろ」

「厭だよぉ。私は苦しいの嫌いなのに」

 向かいのデスクでPC作業をしながら、国木田がファイルの角で太宰の頭を小突く。そこへ隣のデスクから敦がおずおずと割り込んできた。

「あの、練炭自殺はすごく怖いって聞いたことありますよ」

「えっ、なになに? 敦君も自殺に興味あるの?」

 太宰が仲間を見つけたとばかりに目を輝かせる。その様子を見ても国木田は何も云わない。敦は書類の束を整理しながら続けた。

「練炭自殺。つまり一酸化炭素中毒による死。その死に顔から楽にあの世に行けると思われがちですが、その実はじわじわと呼吸ができなくなる恐怖を感じながら死ぬ事になるらしいです」

「うわあ、敦君よく知ってるねぇ。

 そうなんだよ! 入水は冷たいし練炭は怖い!」

 太宰が食い気味に敦に迫る。

「かと云って首吊りも苦しいしねえ。どうしよう。睡眠薬をお腹いっぱいに飲む?」

「それはそれで失敗した時が怖い死に方ですね……」

 敦は内心焦った。まさかここまで食いついてくるとは。それをさすがに見かねたのか、いつの間にか席を離れていた国木田から声が飛んでくる。

「おい小僧。こっちへ来い」

「あ、はい。なんでしょう」

 敦が席を立って棚の前にいる国木田に近づいた。彼は何時もの手帳を片手に溜息をついて、小声で敦に問いかける。

「お前、わざわざ調べただろう」

「ば、バレました?」

 太宰が自分がいかに楽に死ぬかを日々研究しているので、敦は下心込みで自分でも調べてみたのであった。

「お前にはあんなのになってもらいたくないから忠告する。深入りはやめておけ」

 国木田は『あんなの』のところで本を読み耽る太宰を示す。敦は「はい、そうします」と、笑いながら嘘をついたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る