第9話 泡沫

 普段は夢を見ない僕だったが、その日はやけに鮮明な夢を見た。


 目の前の短い手が画用紙に絵を描いている。


 窓ガラスに映る自分の姿をみれば、僕はどうやら5歳前後の女の子になっているようだ。


 画用紙に目線を戻すと一枚の紙に収まらないほど多くの人を描いている。


 クレヨンの動きには乱れがない。


 背後を振り向くと、白衣を着た男性が佇んでいた。


 絵を描く女の子とそれを見守る大人、親子なのだろう。


 父親であろう青い瞳のその人を見上げ、女の子は無邪気に語る。


「オレンジのこの人がせかいをたすけてくれるの」


 背景のオレンジ色、夜明けか夕暮れか太陽を背負うひとが描かれている。


「そうか、それじゃあどこかに悪い奴がいるのかな」


 家の中だというのに白衣を着たままの男は問いかける。


「ううん、悪い人なんていないの! かわいそうな人がいるだけ、この人はなに色がいいかな?」


 日差しとは対照的な暗がりに、色が塗られていないひとが佇んでいる。



「想像の内側の世界は、誰にも支配できない。そこは自由な世界だよ、好きな色を使いなさい」


「じゃあ、パパのすきな色をおしえて!」


「私のすきな色かあ、そうだなあ」


「青色が一番かな」


「じゃあ、パパが色を塗って!」



 そういって、青色のクレヨンを父親に差し出した。


「絵は下手なんだけどなあ」



 困った顔をしながら受け取る父親は、それでも笑顔で画用紙に向かう。


 目をつむったのだろうか、視界が暗転し暗闇へと変わる。


 次に目を開けると、家の外だった。


 視点が高くなっている。


 土の上、いや眼下には坂道。丘の上に立っている。


「あれが父さんのラボだ」


 自分の隣には、白衣を着て前の登場よりもやせこけた父親がいた。


 麓にあるのは、白一色の建物だ。


「すごいね」


 勝手に口が動き、ねぎらいと称賛を混ぜ合わせた言葉をかける。


「父さんと約束をしてくれないかな?」


「いいけど、なに?」


「母さんを頼むよ、一人にはしないであげてくれ」


「なにそれ、帰ってこないってこと??」


「しばらく、帰れなくなる。大事な実験があるんだ。もしかしたら、完成日は人類にとって大事な日になるかもしれない」


「そうなんだ、前から思ってたけど、どんな研究しているの?」


「人が自然に帰れるようになるための研究だよ」


 再度、場面が飛ぶ。


 今度は床に転がり、もがいている場面だった。


 立ち並ぶコンソール、そして電波を発信するレーダーアンテナのような装置が部屋にあった。


 目の前には白衣の背中、その向こうには上背のある黒スーツの男が対峙している。


 スーツの男が口を開いた。



「装置を渡せ、危険すぎる。これが世間に知れれば、核兵器の再来になるぞ」


「私の研究の成果に水を差す気か? 愚かな人類社会の使い捨て品め」


「君の研究ではない、資金も研究員も我々の手配だ。最後のキーを白状してもらおう、その白衣を赤く染めることになるぞ」


 スーツの男が眼鏡を持ち上げ、白衣の男へ銃を向ける。警察官が持っているリボルバーに見える。


 対する白衣の方は、銃口を向けられていながら、恐れる風情を微塵も見せない。


「君は何のためにこの装置を使いたい? 言ってみろ、何にでもなれるぞ。事実を捻じ曲げ、見たものを書き換えて脳に認識させるんだからな」


「そんなことはしない、上にはそんな装置は失敗作だったと伝えておくさ。こんなもの、あっちゃいけないんだよ、電波の届く範囲の誰でも洗脳できるなんてトンデモは」


「なるほど、ただの犬ではないようだな。だが保守的だ、昨日と同じ一日を、明日も続けることが幸福と感じている」


「いま権力を持ってる首都の爺たちが、この装置に気が付いたらどうする? 俺はそれが、あんたを殺すことよりも恐ろしい」


 白衣の手にあるスイッチを黒服は恐れている。


 運命のいたずらか、気まぐれの結果が恐ろしい結果を招くと想像したらしい。


「だが、あんたの野望はもっと恐ろしい。見逃しても、人類にとって害にしかならないのは明白だ。


 だから俺は、ここであんたを殺すことに躊躇しない」


「人は愚かなルールから抜けだして、自由な色を描くべきなのだ。それが他者と反発する道だとしても、リセットが必要なのだ」


 目の前の床に、雫が落ちる。

 自分はどうしようもなく、泣いている。


「父さん、何を言っているの? リセットって、人類の害って、そんな研究をしていたの? 人のためになる研究をしていたんじゃなかったの?」


「人は、今から変わらなければ行き止まりだ」


「語るな早くしろ、こっちはお前じゃなく、娘に撃ち込んでもいいんだぞ」


 こちらに、銃口が動いた。


「時間が足りなかったか、まあいい。野山を彷徨い、君一人で自然の恵みを享受するといい」


「どういう意味だ?」


「誰も彼も、常識的な思考を足場に生きている。常識や不文律を守れば誰にも傷付けられないと思うからだろうな。だから大抵は、その常識を構成する基本的なルールが壊されると、混乱して足元がおぼつかなくなり、自分を貫くことを諦めてしまうものだ。

 そうなってしまえば、どうしようもない。誰も救う価値を見出さない生命力の弱者が誕生する。 他人を頼りながら、他人に救われない弱者だ。


 本当に生き残りたければ、そこで立ち上がり、周りを窺う処世を辞めることが必要なのだ。自然界に弱者は必要ない。」


「何を訳の分からないことを言っている」


「この装置の対象は、電波による広域ばかりではない。例えば、この室内に限定することもできる」


 白衣が翻り、こちらを見据えた。


「こんな不幸な記憶など、誰も覚えていない方がいい。ただそれだけだ」


 覚悟が見える。最期を悟った顔だった。


「父さん!!」


 温かな手で一度こちらの額に触れる。


「やっぱり、絵を描くのは苦手だな。いつも予想外がおこる」


 そして、彼はスイッチを押した。


「無垢へと帰れ」


 銃声が6回轟いた。


 父の着る白衣が赤く染まり、目の前で倒れ込んだ。


「ああっ!」


 見開かれた目と血塗れた父の顔を見て、絶叫する。


 そして、突然の光に包まれまぶしさに顔を背けると、床が開いた。


 背中から暗闇に向かって落下していく。白く切り取られた光の円形が遠ざかってゆく。

 何かを考える暇も、何かを記憶に刻む隙もなかった。



 数瞬ののち、衝撃とともに意識が途絶えた。


 次に目を開いた時、自分は鏡の前にいた。


 映り込むのは深雲先輩の姿だった。だが、僕の知っているショートカットではない。

 黒髪は肩の下まで延びている。


 鏡に向かってうわごとのように呟く。


 内容は、父親の死よりも裏切られたことへの恨みだった。


 その手には手紙が握られている。


 強く強く握りしめた跡であろう、決して戻らない折れ目が手紙には刻まれていた。


「父親が、世界中の人々を洗脳によって殺し合わせる研究をしていた。


 その血は私にも選択を強いてくる。進め、殺せと。


 父が潰えたいま、あの装置は私が使わなければならない」


 そしてハサミを取り、長かった髪を切ってしまった。


 再度、鏡に映った顔には、僕の良く知っている姿の先輩。


 けれども、見たことのない深雲先輩が映り込んでいた。

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