第5話 薄暮
スーパーマーケットから走り去って、10分ほどが経った。
スピーカーからは、微妙にノイズ交じりの午後6時を告げる放送が鳴っている。
いつも通りだ、市は予算をケチっているのだろうか?
自宅近くにある公園の前に差し掛かる。いつも通り、放課後の小学生たちが遊びに興じていた。
安心のせいか足が止まり、働かせ続けた肺は情けない悲鳴を上げている。
柵にもたれて息を整えていると、公園内の無邪気な声がピタッと止んだ。
なんとなく不安な気分になる。
視線をそちらにやると、遊具で遊んでいた学童児童らが動きを止めてこちらを注視している。
誰の顔を見てもうつろな視線にぶつかった。
得体のしれない恐怖に、一瞬心臓に冷たいものが走る。
動けずにいると一人の少女がこちらを指差しつぶやいた。
「あのおにいさん、へんないろ」
じりじりと、子供たちはこちらに向けて歩み寄ってきた。
目に灯るその光は純粋な好奇心か?
それとも、子供ならではの残酷な好奇心か?
背丈は僕の胸元程度、普通の子供たち。
それでも僕には、捕食者の群れに見えた。
足が動かない。
気のせいか? 運動不足か?
どうしても足が地面に張り付いたように動こうとしない。
何を恐れているんだ? あんな子供たちが危害を加えるはずがないだろう?
考えすぎならいいが、もしもそうでなかった場合には……。
嫌な汗が噴き出してくる。
何をされるか、そして何をして逃げるかを考えると気が滅入る。
どちらにせよ、逃げる以外の選択肢はない。
そして、考える時間はない。
もはや、子供たちとは5歩半ほどの距離しかない。
ここまで来て、ようやく足が動いた。
我が家まで、再び走りだす。
この瞬間は、息をすることさえ忘れていた。
走り、奔り、ひた疾走する。
顔が熱を持ち血管の収縮で手足が震えだしたころには、風景は毎朝見慣れた道へと変わった、否応なしに気が緩んでくる。
振り返ると遠くの方に、興味をなくした子供たちが公園へと引き返す背中が見えた。
それを見て安心したせいか、自然と全力の速度からジョギング程度まで足の回転が緩んだ。
周りの新築住宅の合間に、ひっそりとたたずむ古いアパートへと駆け込んだ。
ここにはエントランスもオートロックも存在しない。
階段下の日陰に設置されたポストの群れを一瞥する。
開けてみるが、僕の住む206号室のポストには何も入っていない。
もう一度近くから建物の外観を確認する。
外から見えるのは、階段と通路と壁とドア。
風雨に晒され容赦ない劣化を遂げた外観からは、この建物に新築の頃があったことさえ想像できない。
それでも、僕が一年半にわたる大学生活の拠点としてきた根城だ。愛着だけはある。
その2階へと外階段を上っていく。部屋は外廊下を進んで一番奥だ。
いつもよりも早く訪れた夕闇の中、蛍光灯の薄明りを頼りにそろそろと進む。
これほどまでに、この廊下が長く感じたことはない。
道中の各部屋からは、夕飯時だというのに人の動きが感じられない。
あまりに不気味だ。
各ドアの前を通る度に視線を感じた気がして、何とも言えない悪寒に襲われる。
神経をすり減らしながら自宅へたどり着き、カギを閉める。
靴を脱ぐ間もなくドアに寄りかかった。安い金属音が、同じく安い板張りの室内に響いた。
玄関ドアの金属から感じる厚さと冷たさ。そこには、外界から隔離された安心感があった。
視線を奥に向けると、安っぽい室内の終端まで真っ暗な暗闇が広がっている。
自らのテリトリーへと戻った安心か、視覚以外で感じる自身の気配の残滓だろうか、神経が休息を提案する。
とうとう張り詰めた気力の糸が途切れ、その場に崩れ落ちてしまった。
もはや一歩も動けない。
ポケットのスマホが光った気がしたが、意識が途絶えた。
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