⑥
「うそだろ…?」
バイトから帰って、僕は頭を抱えた。
台所に置いてあった醤油のボトルが倒れて、黒色の液体がこちらまで流れてきていた。それだけじゃない。冷蔵庫の扉が半開きになって、中にあったココアの袋が引きずりだされている。
靴を脱いだ僕は、醬油だまりを飛び越え、リビングに飛び込んだ。
せっかく直したはずの本棚が再び荒らされ、本が床に落ちている。
「くそっ!」
悪態をついた僕は、とっさに、ポケットの中に入れていたスマホを掴んだ。
警察を呼ぼうとしたが、電源を入れた時点で、指が止まる。
家の鍵は閉めていた。当然、窓の鍵も閉めていた。別れた彼女に合い鍵は返してもらっているし、そもそも、あいつがこんな人道に反することをするわけがないことはわかっている。
なんとなく…、この件は、警察じゃ対処しきれないのではないか? と思った。
その時、ガタンッ! と、背後で何かが倒れる音がした。
振り返ると、台所に置いてあったポン酢のボトルが倒れていた。そのまま、ゆっくりと転がり、床に落ちる。その衝撃でふたが開き、液体が壁に散った。
醤油とポン酢が交じり合った臭いが鼻を突く。
その場で立ち尽くしていると、また音がした。
今度は背後から。本棚にあった本の一冊が落ちたのだ。
「あ、ああ…、ああ…」
僕は後ずさる。背中が壁にぶつかる。
震える僕に見せつけるように、その「見えない何か」は、部屋の中を暴れまわった。
ティッシュが勝手に引き出された。干してあったTシャツが落ちた。机に、切り傷が走る。冷蔵庫の扉が開いて、中のマヨネーズが落ちる。干してあった今治タオルも落ちる。
僕の目の前で、次々とぐちゃぐちゃにされていく僕の部屋。
「ああ、くそ…」
僕は泣きそうになりながら、頭を抱えた。
そうしている間にも、玄関の傘が倒れたり、壁の方でドンッ! と音がしたり、ガラス戸のカーテンが激しく揺れたり。
「お前…、いい加減にしろよ」
恐怖よりも、怒りが勝った。
「人の邪魔ばっかしやがって」
精いっぱいドスを利かせた声で、「見えない何か」に向かって語り掛ける。だけど、そいつはまるで僕をあざ笑うかのように、冷蔵庫の横に置いてあった燃えるゴミ箱を倒した。
僕は舌打ちと共に踏み込み、空を蹴りつけていた。
当然、僕のつま先は空を切り、大きくバランスを崩す。踏みとどまることもできず、そのまま尻もちをついた。
ズテーンッ! と、ギャグ漫画のような音と共に、僕の腰に激痛が走る。
「くそ! いい加減にしろよ!」
我慢ならなくなった僕は、腰の痛みなんて無視して立ち上がると、台所に置いてあった皿が落ちるのと同時に、その何もない空間に向かって蹴りを入れた。
ガシャンッ! 他の罪のない食器までもが巻き込まれ、床に落ち、砕ける。それでも、見えない何かを捕まえることに躍起になっていた僕は、かまわず足を振り抜いた。
ガシャンッ! と、部屋のものが次々と壊れていく。もう、やけくそだった。
そうして踏み込んだ瞬間、右足に激痛が走った。
「いたっ!」
すぐに、破片を踏みしめてしまったことに気づく。
足の力が抜けて、倒れ、台所のシンクの角に、後頭部を強打した。
ゴンッ! と鈍い音とは裏腹に、鋭い痛みが広がる。
「あ、くそ…」
次の瞬間、僕は気絶した。
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