②
【十三年後】
「………」
目が覚めた時、今まで見ていたものが悪夢だということに気づいた。
白い息を吐いて、倒していた車のシートを起こす。その微かな揺れでさえ、後頭部が割れるように痛んだ。
「いって…」
そう洩らし、頭を抱える。
コツン…とした感触があったので足元を見ると、ビールの缶が転がっていた。
その瞬間、どうして自分が今、レンタカーの中で酒を飲み、眠っていたのかを思い出した。
ああ…、なにも現実世界でも、悪夢を見なくてもいいじゃないか…。
「くそ…」
昨日、付き合っていた彼女の三波にフラれた。しかも、わざわざレンタカーを借りて、遠出した時に、それを告げられた。
三波はタクシーを捕まえて帰った。
僕は車を路肩に停車して、やけ酒というわけだ。
自嘲気味に笑いながら、目を擦り、焦点を合わせる。
レンタカーの車内が、藍色に染まっていた。東の空を見れば白い光があって、町の輪郭を薄くなぞっている。換気のために開けていた窓からは、朝の寝ぼけた大気が迷い込んできて、僕の肌の上で転寝をしていた。
どのくらい眠っていた?
もう、アルコールは抜けただろうか? 抜けただろうな。だって朝になっているから。
そう無理やり思い込んだ僕は、背伸びをした。
そこに置かれたナイロン袋の中には、大量のゴミが入っている。主に、ビールの缶と、ポテトチップスの袋。
こみ上げた吐き気を飲み込みながら、キーに指をかける。捻って、エンジンを起動させた。
ぶるん…とレンタカーが身震いし、カーナビの液晶が淡く光る。エアコンの吹き出し口から冷たい風が吹き出したから、慌てて窓側に向きを変えた。
給湯器から出る水に触れるみたいに、そっと風に指をあて、温かくなるのを待つ。
「ああ、くそ…」
でもやっぱり、彼女にフラれたことが胸に重くのしかかり、僕は泣き声をあげた。
三波は、いい女だったよ。
ちょっと性格がきついところもあったけど、基本的に、優しかった。あいつの髪はさらさらしていて、ほっぺも柔らかくて、撫でているだけで幸せになれた。でも、ふられた。
ごめんなさい…って、謝られた。
正樹くんは悪い人じゃないんだけどね…って、言われた。
「ふざけんなよお…」
そうおどけたように言って、自分の手を眺める。指先に残った彼女の感触は、冬の大気に晒されて、凍って、砕けて消えてしまったようだった。
「僕をうらぎりやがって…」
恨み言を吐いたものの、胸の中は空っぽだった。
とやかく考えていても仕方がないから、僕は微かに酒気の混じったため息を吐くと、アクセルを踏んで発進した。
カーナビに、時間が表示される。もう、朝の六時四十分だった。
さすがに、まだ出勤する時間じゃないのか、道路は空いている。というか、僕以外見当たらない。二キロほど進んでみたけど、その間、一度も車とすれ違わなかったし、歩道も、誰も歩いていない。無意味に光る赤信号を待つ時間が、なんだか馬鹿らしく思えてきた。
赤信号が青に変わったから、のんびりとアクセルを踏む。
『もう別れましょう』
脳裏に、三波の声が過る。
また吐きそうになった僕は、慌ててスピードを緩め、路肩に駐車した。
「ああ、くそ…」
女に振られただけで運転がおぼつかなくなるなんて、情けない…。
わからなくなって、頭をくしゃくしゃと掻きむしる。
ああ、ダメだ…と思うと、助手席に置いてあった鞄を掴み、引き寄せた。
鞄には、三波とゲームセンターに行ったときに獲得した、アニメキャラのぬいぐるみがぶら下がっている。
男キャラだろうが構わない。僕はそのぬいぐるみの頭をめちゃくちゃに撫でた。顔を埋め、少しカビっぽくなった臭いを吸い込んだ。
そうすること、十分…。
「よし」
なんとなく落ち着いた僕は、鞄を退ける。
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