第6話 明晰夢
夢を見た。
気がつくとだだっぴろい田園の中に佇んでいる。空を見上げると、のっぺりした白の飛行船が漂っている。微かにせせらぎの音がする。
無意識に川を求めて緑の中を進んでいく。膝下に稲が当たって気持ちがいい。
突然現れる清澄な河川。……これ三途の川じゃないよな?
「ちがうよ」
俺の疑念を否定する高めの少年声。振り向くと、見知らぬ痩身の少年が陽炎の揺らめきの中立っている。
「違うって……ここはどこなんだ?夢の中だってことはなんとなくわかっているんだが……」
少年は俺の疑問には答えず、川沿いを川下に向かって歩いていく。一足ひとあしはゆっくりなのに、異常な速さで俺から遠ざかっていく。
少年を見失わないようにこちらは走る。
やっとこさ前の背に追いつくと、彼は川を指差した。
つられて指の先を見ると、川は大量の木の枝に堰き止められていた。
褐色に濁った色。俺が思わず顔をしかめると、
「表層ばかり見ていないで、もっとよく視てごらん。答えは全て己の中にある。なんせ、これを起こしているのも君なんだから」
と意味深なことを言う。
無心になって眺めていると、「渦を巻いている」とふいに浮かんできた。
少年はにんまりと笑った。
「そのとおり。どういうことかわかったろう?」
「……いや、」
まったく、と続けようとして、俺は見慣れた天井と対峙していることに気づいた。
妙にクリアな夢だった。明晰夢なんてめったに見ないのに。
何気なく、寝起きのいつものモーションで目覚まし時計を手にとると、表示された日時が一瞬にして俺の眠気を吹き飛ばしていった。
8月30日。……5日間も寝ていたら普通誰か起こさないか?
居間に入ると母親がいて、呑気に手を振ってきた。
「遅いお目覚めじゃない」
「遅いとかいうレベルじゃない」
「いやに気持ち良さそうに寝てたんだもの。若いうちはそういうこともあるわよ。お腹空いたでしょ、お昼残してるから」
黙々とチャーハンを食う。もう寒さや強張りは感じない。あれは一体何だったのか。
腹が満たされればやることはひとつ――考えなければならない。
現時点でわからないことが多すぎる。
自室の机に向かい、大きめの紙を取り出し、ペンを走らせる。
気がかりな点を書き出していく。
まずは横峯の態度。次にタイムループについて。そして明晰夢。
なんの繫がりもなさそうな出来事たち。
しかし、そう決めつけるのは早計だ。
横峯の失恋。タイムループするたびに俺に泣きついてきた。何かひっかかる。3度目の時、あいつは泣いた。なぜ?……失恋の痛手。その他の時は?……あいつは泣かなかった。このことは何を意味するのか。
「渦を巻いている」というあの閃きが頭の中をこだまする。
川が堰き止められて渦を巻く。
川とは何か?流れるもの。流れるものは他に何がある?……時間。
時間が堰き止められて渦を巻く……タイムループする。そりゃそうだ。
そんな簡単な連想ゲームではない。もっと重要なことを思いつけていない。流れるもの……堰き止められるもの……
川を見たときのように無心になる。待つ。ひたすら待つ。期待も力みも諦めもしない、鏡面のような心持ちで俺は待った。
そしてふいに浮かんできたその答えを俺は受け入れた。
簡単なことだったのだ。こんなにもはっきりしていたのに、どうして今まで気がつかなかったのか。笑いがこみ上げる。俺ってこんなにも馬鹿だったのか。
その瞬間、携帯が鳴った。
「……もしもし」
「あっ立花くん!?ちょっと聞いてほしいことがあるんだけど、今大丈夫?」
成瀬だ。
「ああ。どうしたんだ?」
「高校の近くに駄菓子屋あるでしょ?その横の道をまっすぐ行ったところに神社があるの知ってる?」
「聖神社だよな。知ってるぞ」
「なら話が早い。あそこに祀られている聖神は時間の神様らしいんだ。非科学的だと思われるかもしれないけど、何か符号を感じる。一度行ってみたらいいんじゃないかな。ちょうど明日は祭があるみたいだし」
収束していく、と思った。全てが縒り集まって、ひとつになる。なにかとてつもなく大きな手が編みだすシナリオを想起せずにはいられなかった。
「……教えてくれてありがとうな。よかったら明日一緒に行かないか?」
「あっごめん。明日行くつもりなんだけど、その、彼女と行くんだ」
「あっこっちこそなんかごめん。楽しんでな」
「ありがとう。じゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
彼女いたのか。知らなかった。
時期の早い木枯らしが胸を過ぎていったような気がしたが気のせいだろう。
明日の祭。もしかしたら……
ある予感がある。確信に近い。
行かなくてはならない。このタイムループを止めるために。
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