第14話 狂気の沙汰

「うぐっ……ごぼ」


 アグナとオウルを取り囲んでいた帝国の騎士たちは、50人を動員しても依然として二人を捕えられる気配がなかった。

 あまりにも強すぎる。想定をはるかに超えたその力量は、冒険者のランクでは測れない異様な実力だ。

 幻獣の子だから……そんな言葉で説明はできない。


「ふっ」


 軽く息を吐く銀獅子は、次の瞬間にはあまりの速さに抵抗すらできない騎士を貫く。

 

「らぁぁぁあ!!」


 雄叫びを上げる金狼は、柔和な雰囲気を消し飛ばし、尋常ではない膂力で騎士を叩き折る。

 一兵卒では話にならない。

 彼らの上司である執剣武官レベルの実力者でなければ抗うことすら不可能な差があった。


 しかも彼らは魔力を使っていない。純粋な身体能力でそれをやってのけているのだ。


「ぐっ……くそ!」


 騎士の中の一人が吐き捨てた。

 作戦は、完全に失敗だった。

 上官であるデムシュは姿を消し、統率を執る者もいない。

 蜥蜴が尻尾を切るように、自分たちは見捨てられた。


 それを悟った瞬間、彼らは懐の小瓶を取り出し、その中身を一息に呷った。



 それで、終わりだった。




 アグナとオウルは目の前で繰り広げられる光景に眉をしかめ、同時に困惑する。

 まだ息があった10名ほどの騎士たちが何かの小瓶を呷った直後から苦しみ始め、次の瞬間には先ほどまでの数倍の身体能力で動き始めたのだ。

 その激変ぶりは明らかに異常だった。


「姉さんっ、魔力の準備!」


「わかってる」


 余裕を持って捌けていたはずの二人も警戒を強め、魔力を扱わなければ押されてほどの急成長。

 いや、これは成長ではなく進化だ。人間という生命が別のナニカに進化したような変容ぶり。

 二人は自分の得物を強く握り締め、双眸を鋭く尖らせ――――。


 次に目に入った光景に、思わず瞠目した。


 繰り広げられたのは、

 獣のような咆哮を上げる姿には理性を感じない。超常の身体能力を押し付け合いながら、まるで達人同士の試合のように高度で鮮烈で凄惨な殺し合いが、二人の目の前で起こっている。


「……なに、これ……」


「わ、わからない……けど。あの小瓶の中身が、関係あるのかな……?」


 警戒は解かず、殺し合いの余波に当てられないように騎士たちから距離を取った二人は、不可解な現象に顔を見合わせた。

 止めようとは思わない。理由はわからないが、彼らはアグナとオウルを捕えようと襲ってきた者たちなのだからそれは当然だ。

 自爆してくれるのならば好都合。ただその自爆の仕方に、うすら寒いものを感じざるを得ない。

 そして数分後。騎士たちは最後の一人になるまで殺し合い、最後の一人は、


「あぁ゛ッ……ぅおぉぉお……——我らがケルス帝国に……栄え……

あれっ……」


 そう言うと、まるで糸が切れた人形のようにその場に倒れ伏し、二度と動かなかった。

 出来上がった血の海を前に、二人はあまりの不気味さに口を閉ざす。


 そんな時。

 

 ガラガラガラ……。

 

「あれっ?」


 そんな能天気な声が二人の耳に届いた。

 その瞬間、二人の脳は切り替わる。

 さっきまで繰り広げられていた光景や、感じていた不気味さなどをすべて忘れて、二人は馬車の音と声に振り返った。


「二人ともここにいたんだ。うわっ、すっごい血だな……」


「兄さんっ!」


「頑張った。疲れた」


 喜びの感情を一杯に声を発するオウルと、声を出すよりも前に彼に駆け寄り、頭を差し出して労いを求めるアグナ。

 そんなアグナの頭を乱暴に撫でるのは、馬の頭蓋の被り物とローブ姿のアスタだ。

 彼は、地に倒れ伏した死屍累々の帝国の騎士たちに首を傾げる。冒険者がわんさかいると思っていたのだが、この光景はそうでないことを物語っていた。


「みんな死んでる……よね。そっか……」


 彼は今、これじゃ金稼げないなぁ……なんて不謹慎が過ぎる思考を思い浮かべていることだろう。

 

「他に人は? 二人だけ?」


「ううん。あと一人、神宝級アダマスの冒険者の人が向こうにいるはず。さっきまで特異種ユニークと戦ってたと思うんだけど……」


「戦闘音が無い。多分もう終わってる」


神宝級アダマス……なるほどね。それじゃ心配ないか」


 無駄足か……。そんな思いを隠しながら、アスタはこの場を離れようと馬車を半回転させる。


 淡白なアスタの反応に、オウルは悲し気に目を伏せ、すぐに首を振る。

 アスタはアグナとオウルとの接点を周りに隠している。それは『アスタ』と『アスタロト』が同一人物に繋がる可能性を尽く潰すためだ。

 有名になった二人とアスタが知り合いだとバレれば、恐らく店に人が来る。そしてアスター商店の商品と行商人アスタロトが売る商品が同一のものだと気づかれてしまうと、全員にとっての不都合が生じてしまう。アスタは二人にそう教えている。

 それを防ぐために、アスタは人目がある場所では二人とはあまり長く接しない。


 同一人物だとバレて何が困るのか。それは、アスタが行う詐欺紛いの行為を知らない二人にしてみれば不思議に思うことだろう。

 だが、小さい頃から二人を導いてきたアスタを疑う気は、二人にはなかった。


「それじゃ、俺は森の冒険者たちのとこに戻るよ。そろそろ終わる頃だろうし」


 そう言って片手を上げるアスタ。

 そんな彼に、オウルはたまらず声を上げた。


「に、兄さんっ!」


「ん、どうした?」


「あ、あの……兄さんはどうしてここに来たの? も、もしかして……僕たちのこと心配してくれた……とか?」


「オウル、余計な事訊かない」


「で、でもっ……!」


 アグナが止めるも、オウルは真っすぐにアスタを見つめる。

 しかし、アスタはあっけらかんと笑う。


「いやいや違うよ。単純に私用だね。二人が中央にいることなんて知らなかったし」


「あ……そ、そうだよねっ……うん」


「はぁ……だから言ったのに」


 もしかしたらアスタが自分たちを心配していたのでは……?

 そんなオウルの淡い期待は、アスタの言葉で砕かれた。アグナも呆れたようにオウルの背を尻尾でぺしぺしと叩く。


 そうして、馬車を走らせようと手綱を持ったアスタは当然のようにこう言う。


「それに、二人の心配なんかしてないよ。お前たちは年齢とか見た目は子供だけど、それ以外はそうじゃない。自分から死地に赴くバカじゃないって知ってるし、信頼してる」


「ぇ……」


「ふふ」


「無責任かもしれないけど、やりたいことは好きにやって良いよ。本当に無茶しようとしたら心配するし怒るけどな」


 それだけ言って、手を上げたアスタの馬車はそのまま森に戻って行く。

 残された二人は、お互いに顔を見合わせた。


「ね、姉さん……っ」


「だから言った。余計なこと訊くなって。アスタくんは心配だったら手元に置いておく人。そうじゃないなら、どうでもいいか信頼してくれてるかのどっちか」


「でも、は、初めてちゃんと言ってくれた気がするっ」


「オウルが聞いたから」


 「えへへ」……とだらしなく顔を緩ませるオウルと、冷静を装いながらものすっごい勢いで尻尾をぶんぶんと振るアグナ。


 そこでふと、アグナの尻尾がぴたりと止まった。

 

「アスタくんの手……」


「ん?」


「血が付いてた……それも、人間の」


「人間の……血?」


 そこまで聞いて、オウルはバッと顔を上げ周りを見回した。

 そこで気づく。この状況を作り出したデムシュの姿が見えないことに。


『いやいや違うよ。単純に私用だね。二人が中央にいることなんて知らなかったし』


 アスタが放ったあの言葉。

 それが何を指すのか。


「まさか兄さん……こうなること知ってたのかな……?」


「わからない。アスタくんの考えてることは、昔からわからない。でも……そうかもって思えるくらい、すごい人だから」


 アグナの言葉に、オウルは確かに頷いた。




 力尽きた巨大猿コングを見下ろすラトラナは、自分の手に収まる小瓶に目を丸くする。


「毒……回ってたはずなんだけど……あれ?」


 不愛想な店主の回復薬。それを飲んで少し、彼女の身体を蝕んでいた毒の効果は嘘のように消え去っていた。

 そんな彼女が特異種ユニークに負けるはずもなく、当然のように勝利を収めていた。

 デムシュのような狡猾な男が生半可な毒を使うとは思えない。公衆の面前で殺さないように遅効性にしたとしても、かなり強力な毒だったはず。

 それを忽然と消し去った回復薬の効能は、果たして等級で言えばどのくらいに相当するのだろうか。


 ラトラナはいつも暇そうな青年を思い出し、思わず笑みが零れる自分に「……なに惚気てんのよ」とぱしっと頬を叩く。


 そして、この状況を作り上げた元凶を思い浮かべ、舌を打つ。


「帝国で何が起こってんのよ……」




■     ■     ■     ■




 炎。

 森を焼く炎が、夜空を照らし、バチバチと音を立て、黒煙を立ち昇らせる。


 燃えていた。


 アスタが生まれ育った村が、跡形もなく燃やし尽くされようとしていた。


 燃える建物を避けながら、数名の騎士が走る。その甲冑に刻まれているのは執剣武官直属の騎士たちの証である剣の紋様。


 この村に来た騎士は少数精鋭。

 隊を束ねる者が一人と、お付きの騎士が三人だけ。

 しかし、村を焼くために戦力としては、あまりにもだ。


 この隊を束ねるのは――執剣武官『十剣』、第十席『龍剣ジーク』。

 老齢のジークは、傷としわの多い厳つい顔を歪めて燃える村に歯噛みする。


「ジーク様ッ! 報告いたしますッ! 姿! 生存者どころか……死傷者すらいません。しかし周辺の街の住民によれば、確かにこの村には村民がいたはず……これは一体……!?」


「……やはり、ここにいたか」


 騎士の困惑に塗れた報告に、ジークは因縁の相手を思い浮かべ、竜殺しの大剣を強く地面に叩きつけた。


「家屋の中に、?」


「は、はいっ! 大量の泥と血、それに膨大な魔力の痕跡が……」


「もういい。わかった」


 ジークはすべてを理解した。


 錬金王テオフラストゥス。

 帝都を去った、禁忌の錬金術師。


 彼は、

 泥と血、魔力を使い、あたかも生きているかのような人間を作り出すことが出来るのだ。

 それはまさに、神を冒涜する行為だ。


「この村で生きていたのは、もともとテオフラストゥスのみ。村民など、やつの作り出したまやかしに過ぎない。当の本人は、この鉄の工房を残してここを去ったようだ」


 レシピは灰にされ、荷物はすべて持ち去られていた。

 人間の痕跡は、他に残っていない。

 

 そして当然、帝国が求めて止まない『ある物』も残ってはいない。



「テオ……を……——『魔王の心臓』をどこに隠した!?」


 ジークの叫ぶ言葉は、轟々と唸る火炎に溶けた。





―――――――――――


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 これからも楽しんでいただけるよう頑張ります。何卒。












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