第13話 アスタロト商会

 当たらない。

 掴めない。

 捕えられない。

 亡霊のようにすり抜けたようにすら見える、糸繰人形のような不規則な動きがデムシュの脳をかき乱す。

 眼前の男の動きに合わせてカラカラと鳴る馬の頭蓋の被り物が、自分を嘲笑っている。

 そんな妄想がデムシュの頭に血を上らせ、動きを単調にしていく。


 当然、アスタロトにはそんな剣は通じない。

 先ほどよりも余裕を持ってデムシュの攻撃を躱し、不可解な行動を披露する。


「ふざっ……ふざけるなぁあ!」


 当たらない剣を振るう自分の惨めさに、デムシュは声を上げてがむしゃらな連撃を繰り出す。一つ一つに渾身の力を込めて振るう。

 たった一度、一度でも当たれば致命傷を与えられるほどの威力を持った剣撃は、しかし、掠ることすら許さない完璧な回避の前に成果を上げない。

 ここで魔力を無駄遣いするつもりはなかった。

 騎士たちや特異種ユニークとの戦闘を終えたラトラナを始末し、幻獣の子たちを捕えるために温存しておかなければならなかった。

 だが、目の前の相手はそんな油断を許さない。


 息が上がり、魔力は刻一刻と減っている。こんな状況は想定外だ。

 当たる未来の見えない剣を振るいながらデムシュ頭の片隅に浮かんでくるのは、この行商人の正体についての疑問。

 霊薬。目の前の男はその名を口にした。

 帝国が禁忌として存在を抹消し、限られた者にしか知らされないその存在。

 赫い霊薬。覚醒の霊薬。起源励起薬ソーマ。


 この男はその名を知りながら、いまデムシュの前に立ちはだかっているのだ。


「帝国に楯突くつもりですか……っ!?」


 大振りになったデムシュの一撃は、奇抜な動きではなくシンプルな半身で躱される。デムシュの攻撃が精細を欠き始めた証拠だ。

 そして、デムシュの言葉にアスタロトは頭蓋を横に振る。


「なんの話ですか? 帝国に楯突くなんてとてもとても……私の敵はあなたです」


 白々しい。デムシュは飄々とした態度を崩さないアスタロトを憎悪を込めて睨みつける。

 どこまで知っている?

 奴はソーマの何たるかどこまで理解している?


 いや、ここに現れ、デムシュに霊薬の名を口にしたのだ。

 ほぼすべてのことを理解していてもおかしくない。


 ソーマの生成に必要な幻獣の肉片と同種の幻獣の血。帝国はその供給源を増やすために、幻獣である『金狼』と『銀獅子』に目を付けた。

 その血肉を分けられた幻獣の子——二人の獣人を捕らえたのは7年前。

 帝国との関与を疑われないために名うての盗賊たちを経由して帝国に届けられるはずだったそれらは、その道中で消息を絶った。

 盗賊は全滅、弱っているはずの獣人たちの足取りも掴めず、作戦は失敗に終わったはずだった。

 だが時が経ち、その二人の獣人は冒険者として名を上げ始めたのだ。自分たちが大きな力に狙われているとも知らずに。


 デムシュはその幻獣の子の失踪に、帝国も知らない巨大な勢力が関わっていると考えていた。

 いや、デムシュだけではない。それらの事実を知る帝国関係者は、誰もが見えない敵の存在を感じていたに違いない。


「……よもや、あなたが……!」


 目の前で不気味に踊るアスタロト。今も幻獣の子たちを守るようにデムシュの邪魔をする彼が、その勢力の一端……いや、中枢なのではないか。

 いつまで経っても傷をつけられない現状を脱するべく、デムシュは距離を取った。


「行商人アスタロト……ここに来たのは誰かに頼まれたからだと、そう言いましたね」


「ええ、いかにも」


「ふっ、笑わせるな。本当はあなたの事情で、私情で、私益のためにここに来た……違いますか?」


「っ……何をバカな」


 デムシュの言葉を笑い飛ばすアスタロト。

 だがデムシュは見た。平静と余裕を纏っていた彼が、一瞬だけ肩を震わせたのを。


 間違いない。彼に依頼した者がいるのではない。

 ——彼こそ、帝国から幻獣の子を奪った張本人だ。

 それも個人ではなく、恐らく彼には多くの協力者が存在するはずだ。そうでもなければ、帝国の情報網から幻獣の子たちを7年も隠し通せるわけがない。


 今、ここで消さなければ。

 脅威を始末し、幻獣の子たちを連れ帰る。

 そうしてデムシュは、執剣武官最強の『十剣』に名を連ねるのだ。


「ふ、ふふふ……避けるだけで芸がない。その回避能力は恐るべきものですが……迎撃の方法がないのではありませんかぁ?」


 言葉を弄して時間を稼ぎ、デムシュは懐から小瓶を取り出す。

 その中身は、不完全なソーマ。覚醒の霊薬の出来損ないだ。

 使えば特異種ユニーク巨大猿コングのように理性が溶け、破壊衝動に身を任せるようになる。

 だが、尋常ならざる身体能力を得ることが出来るのだ。

 小瓶を取り出す動きを見せてもアスタロトは見ているだけ。デムシュは口角を上げた。

 やはり、アスタロトは回避を得意とする防衛術に長けている。しかし、攻撃手段を持っていない。


「ハハハッ! 私はこの霊薬で……十剣に迫るッ!」


 哄笑とともにデムシュは小瓶のコルクを抜いた。



 迎撃形態レイドモード


嗤う道化ピエロ



 アスタロトは、頭蓋の奥でそう呟いた。


 パリンッ!

 瞬間、デムシュの手に収まっていた小瓶は砕け散り、粘性の液体を地面にぶちまけた。

 

「——ぇ」


 声を上げるデムシュが何かを認識する前に、アスタロトは彼の前で両刃の短剣を逆手で振り上げていた。

 目を離したわけでも、油断した訳でもなかった。

 ただただ、アスタロトの動きはデムシュの認識できる速度をはるかに超えていた。それだけだ。


 超高速で振り下ろされた短剣はデムシュの首を深く突き刺す。


「グッ――ああぁぁああああああッ!?」


 痛みに叫ぶデムシュ。

 アスタロトの動きは止まらない。

 錯乱するデムシュを地面に蹴り飛ばし、新たな短剣を彼の両手に突き刺し地面にはりつけにする。


「ひっ……ひっ……」


 痛みと恐怖、得体の知れない不気味さにデムシュはモノクルをカタカタと鳴らす。

 アスタロトはデムシュを見下ろし、ローブの中に手を入れる。

 なすすべなく死を待つしかない状況に、デムシュは歯を食いしばった。


 放置されても失血死、アスタロトが手を下せば次の瞬間にでもデムシュの生はここで潰えるだろう。


 そして――アスタロトはローブの中に入れた手を抜き出した。

 その手にあったのは、緑色の液体の入った小瓶。


「なっ、なにを……」


 デムシュはそれが何か一目でわかった。

 その小瓶の中身は回復薬だ。


「デムシュ様、少々失礼」


 痛みに喘ぐデムシュは傍らでこちらを見下ろすアスタロトの不気味さに頷くしかない。


「金銭をお持ちですか?」


「き、金銭……?」


 然り、と首肯したアスタロトにデムシュはわけもわからず「う、上着の内ポケットに……」と訊かれるままに答える。

 血が失われて思考が明瞭ではない状況。アスタロトはそんなデムシュの内ポケットに入っていた金貨袋を取り出した。


「——ほうっ! 聖銀貨が10枚ほど……なるほどなるほど」


 満面の喜色を浮かべているであろうことがわかる声音の馬の頭蓋が揺れる。

 そうしてアスタロトは――小瓶の栓を抜き、デムシュの口に流し込んだ。


「商品のご購入、ありがとうございます」


「ッ!?」


 両手に突き刺された短剣も抜かれ、デムシュは自由を取り戻す。


 すると次の瞬間には、両手の傷跡が塞がり、倦怠感や疲労感、痛みが消えた。

 その即効性と効能の高さは三等級回復薬に相当するものだ。

 聖銀貨10枚も払う価値のある物では決してない。これはぼったくりの押し売りでしかない。


 しかし、命を聖銀貨10枚で拾ったのであれば破格も破格。

 身を起こしたデムシュに、アスタロトは余裕たっぷりに語り掛ける。


「さて、どうしますか? 私はこの聖銀貨10枚で手打ちにしてもよろしいですよ? かかってくるのであれば……あなたはもう対価を持っていない。次は――確実に殺しますが?」


「ッ!」


 生かされた。何のために?

 胸を突く恐怖と不快感に、デムシュは叫ぶ。


「きっ、貴様は……なんだッ! なんなんだッ!」


「え……えっと……」


 小さくデムシュには聞こえない声で狼狽するアスタロト。

 彼は数瞬の逡巡の後、両手を広げた。


「私は――『アスタロト商会』、会長のアスタロトでございます。商売になるのであればなんでも請け負いますし、金があるのであればなんでもお売りいたします。すべては対価次第……当然、例外はございますがね」


「ア、アスタロト……商会」


 デムシュは立ち上がり、距離を取る。

 伝えなくては。自分たちの脅威になるであろうその組織の存在を。

 

「……後悔しますよ。私を生かしたことを」


「それは怖い」


 芝居がかった様子で首を振るアスタロトは、睨むデムシュに言ってのける。


「実は私は戦闘はあまり得意ではありませんで」


「な、何を馬鹿な……っ」


 あれほどの実力を持っておきながら謙遜もいいところだ。

 そんな思いを込めてデムシュが言えば、アスタロトは笑う。


「いえいえ、事実です。なので、傭兵団を雇っておりまして……『傭兵団パンデモニウム』。アスタロト商会直属の者たちです。彼らは全員が私以上の実力者。魑魅魍魎の犇めく魔窟です。私を恨むのであれば、彼らの敵になる……そのことを努々お忘れなきように」


「ッ……」


 アスタロトの語りを聞き終わった瞬間、デムシュは森を脱出するために全速力で駆けだした。

 惨めな敗走だ。しかし、この脅威を上層部に伝えなくては。


 全身に立った鳥肌と流れる冷や汗を無視しながら、デムシュは森を疾走する。


 森のさざめきは、そんな彼を嗤っているようだった。




■     ■     ■     ■




 走り出した紫モノクルを見送った後、


「はぁぁあああ……なんとか誤魔化せたか」


 クソでかいため息を吐き、俺は力を抜いた。

 めっちゃ疲れた。

 攻撃手段である『嗤う道化ピエロ』。これは回避形態の『踊る道化クラウン』とは違い、脳伝達を応用した魔法だ。

 脳に魔力を繋げ、『俺が想像した動きを魔力に再現してもらう』。そうすることで、身体能力を超えた速度や力を出しながら戦うことが出来る。

 回避も攻撃も魔力依存なとこが懸念点。あと両方の形態を併用できないのも難点だ。

 同時に使おうとすると頭バグるんだよな。

 右手で三拍子の指揮を執って、左手で四拍子の指揮を執ろうとする時みたいに、「あれ今どっちだっけ?」ってなる。

 命がけの状態でそんなことになったら命取りだ。なので出来ればしたくない。

 一応練習中だけど、使うことにならないといいなぁ……。


「アスタロト商会……名乗ったことなかったけど、当面はこれを名乗るか。そのまんまで覚えやすいし……。つーかなんだよパンデモニウムって。いねーよそんな奴ら……」


 まぁ、彼を生かして帰したのはこの情報を持ち帰ってもらうためだ。

 そうすればここらへんで悪徳商売をすることは少なくなるだろうし、利益の独占ができるだろうと考えたから。

 完全にビビってたしな、デムシュ氏。


 さて、それじゃ……森の中央で戦ってる冒険者たちに商談を持ちかけに行きますか!


 やっと落ち着いた状況にほくそ笑みながら、俺は再び馬車に戻り、ウキウキで森の中央に向かって走り出した。














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