第10話 未知の巣

 メギスト大森林。

 通常の夜半ならば静謐と不気味さのベールに包まれ近寄りがたい雰囲気を放っているはずのそこ。

 でも今日は、その様は一変していた。

 いつも通りの見通しの悪い森。だが、森林の周囲一帯を取り囲むように人の気配に満ちている。

 討伐目標に気付かれないようにかはわからないけど、松明や魔法光で辺りを照らすことはせずに、大量の冒険者が大森林に息を潜めている。


 ゆっくり、ゆっくりと……。彼らは森の中央に向かって歩みを進めていた。

 円形に広がった彼らがそのまま歩いて行けば、森の中央で人の輪が出来上がるだろう。


「なるほど、追い込み漁か」


 森を囲む大量の冒険者。その先頭として森に入って行ったのはアグナとオウルを含む四人の人影だ。

 四人が実働討伐隊で、他が補助ってところか。

 彼らの動きに一人得心した俺は、馬の頭蓋を深く被った。

 

 この人数。この戦力。

 普通なら怪我をしたとしても立て直せるほどの物資は潤沢に揃っているだろう。

 現に、補給部隊として後方には何人もの治癒師ヒーラー。そしていくつもの回復薬と魔力補給剤エーテル。それら支援部隊を守る護衛の冒険者が数名待機している。


 正直、俺の出る幕があるようには見えない。少し前にメギスト大森林に着いた俺は、そうやって肩を落とした。

 だが、俺は少し様子を見てから帰ろうと踵を返した足を止めた。


「……静かだな……異常に」


 森は未だ静寂に包まれている。

 作戦が始まったのは一時間ほど前。森の外縁部からじりじりと前へ詰め、森の中腹ほどまで冒険者が作り出した円は狭まっている。

 だが一向に、戦闘音が聞こえてこないのだ。


 目標と出会っていないから……それだけではないだろう。

 例え冒険者たちが狙う目標の魔物がいたとしても他の魔物が消えるわけではない。空気を読んで隠れているなんてこともあり得ないだろう。

 加えて、夜は魔物が活動が活発な時間帯だ。

 だとすれば、この静寂は異常事態の合図。


 何者かの意図で、魔物たちはどこかに息を潜めているのだ。

 魔物側に指揮官とか統率者がいる。俺はこの状況をそう見た。

 

 異常事態。不測の事態。予想外の事故。

 まさしく俺が稼げる状況が出来上がるだろう。


「ベテランは気づき始める頃か……適当に準備も怠ってそうな冒険者たちは……向こうか」


 命を懸ける危険性を知っている冒険者ではなく、お祭り感覚でこの作戦に参加したと思われるニヤケ面の冒険者たちを双眼鏡を覗きながら選別し、馬車をメギスト大森林に近づけていく。

 危険に陥るべくして陥りそうなバカたちが死にかけた時に高値で売りつける。

 何も考えずに大切な命を危険に晒す奴らからは搾れるだけ搾り取ってやればいい。


「いや……こっちにしよう」


 だがそこで、俺の馬車は向かう先を変更した。

 向かうのは、冒険者たちから離れた後方。


「……俺が指揮官だったらそろそろ――後方支援部隊を潰すかな」





■     ■     ■     ■





『ゴアアアアァァァァァァアアアアッ!!』


 静謐を引き裂く様に、大森林の中央から巨大な咆哮が上がった。


「うわアァァアあ! どっから出てきやがったッ!?」


「戦闘っ、戦闘開始だ!」


「くそっ、なんで急に!」


 その咆哮を合図に、影に潜んでいた魔物たちが冒険者たちへの襲撃が開始され、冒険者たちの悲鳴がそこかしこから上がり始めた。


 さらに、不測の事態は起こり続ける。

 

「おっ、おいッ! あれを見ろッ!」


 一人の冒険者が空を見上げ、指をさした。

 周りを魔物に囲まれてそれどころではないだろう。だが、そんなことはどうでもよくなるほどの脅威。


 それは、宙を舞うだ。

 圧倒的な質量を内包した暴力の塊。

 充分な力と勢いを乗せられて放たれたそれは、狙い澄ましたように――後方の支援部隊の頭上へと落下していく。


「よっ、避けろおおぉぉぉおおおおッッ!!」


 誰もが見ていることしかできないそれは、無情にも轟音と振動を伴って地面に衝突した。




「……ぐっ……あぁ……」


「お、おい……大丈夫か!?」


「生きてる奴……何人だ……?」


 土埃を上げて地に突き刺さった大岩の周りに、何人もの冒険者が倒れ伏している。

 岩の下敷きになった者。衝撃の余波で再起不能の怪我を負った者。怪我の痛みに喘ぐ者。

 凄惨な光景の中で、比較的怪我の小さい者と意識がある者の人数は部隊の総員の半数を割っていた。


「……後方への投石とか……魔物がすることじゃねぇぞクソがぁ!」


「おい治癒師ヒーラー! 何人生き残ってる!?」


「……な、なんとか……」


「だ、大丈夫だっ! 治癒師ヒーラーは全員無事だ!」


「ご、護衛隊の皆さんが身を挺してくれたおかげです……っ」


「でも……補給物資を潰された……」


 地面に転がっているのは粉々に砕けた瓶のガラスと液体。

 それらすべてを積んでいた馬車ごと岩の破片に吹き飛ばされ、もう使えそうなものは残っていない。


「……魔力補給の方法を断たれた。治せる人数が必然的に絞られましたね」


 そう冷静に呟くのは、支援部隊を束ねていた白金級プラチナランクの治癒師ヒーラー、ゼンガ。

 彼は、生き残った者たちの人数と血の海と言っても過言ではない状況に顔をしかめた。


 そんな時——彼の耳朶を、車輪の音が打った。


 ガラガラ……。

 誰もがその音に顔を向け、そうして息を呑む。


「——おや……おやおや。これは惨い」


 緊迫した空気に響くのは、そんな緊張感のない声音だった。

 彼らの前に止まった馬車の御者台に乗っているのは、馬の頭蓋を被ったローブの人影。声からわかる性別は男だ。


 ゼンガは突然の来訪者に口を開けない者たちの代表として前に出る。


「……その馬車……もしや、行商人の」


「ええ、ええ。悲鳴と爆音に吸い寄せられ、こんな場所まで来てしまったしがない商人にございます。アスタロトと申しまして」


「アスタロト?」


 然り、と頷く馬の頭蓋に、ゼンガは気づかれないように歓喜した。

 噂の行商人……もしや彼がそうなのではないか? と。


「先ほど話していた内容が聞こえてしまいましてね……補給物資に不安があるとか」


「はい。今しがた強襲を受けてしまいまして、物資がこの通り」


 瓶と液体が散らばった有様に、アスタロトは頭蓋を鳴らした。


「では――――お売りしましょう。少々お待ちください」


 そうして並べられていく商品に、ゼンガ以外の者たちの顔色が悪くなっていく。

 商品名も値段も書かれていないそれらに、冒険者たちには嫌な予感が募っていた。


「こちらのお値段、回復薬1個で30万ガル。魔力補給剤エーテルは少々高くなってまして、80万ガルになります」


「なっ!?」


「こ、こんな状況でっ、ふざけてるのか!?」


「怪我人がいるんだっ、急がなければ死んでしまう!」


 アスタロトが提示した値段に、数人の冒険者が激昂する。

 「急がなければ死んでしまうなら文句言わずに買えよ」と内心で舌を打つアスタロト。

 そして、それに応えるようにゼンガが口を開いた。


「——わかりました。買わせていただきます」


「ゼ、ゼンガさん!?」


「こいつは俺たちの足下を見てるんですっ、これで買ってしまったら!」


 そうして反対する冒険者たちに、ゼンガは冷たく言い放つ。


「ここで買わなければ立て直しは不可能。ここで金貨を出し惜しんで何かになりますか? ここで惜しむべきは金ではなく悩む時間です。商品を、人数分いただきます」


「——ほうっ! ほうほうほう!」


 そこまで言った時、アスタロトはゼンガに詰め寄った。

 そして商談成立の握手と、一つの小瓶を握らせる。


「あなたの考え方を尊重しますよ。これはその感動の証になります」


「え、ええ……どうも」


 そして、金貨と交換で商品を手に入れたゼンガは、馬車に戻るアスタロトに声を掛ける。


「商人アスタロト。残りの商品はどのくらい残っていますか?」


「最近は書き入れ時でしてね……充分な在庫を用意しておりますが」


「それでは——それらの商品を使った分だけ買い取りますので、?」


「……値段は」


「割高で結構。送料として色も当然付けさせていただきます。ギルドへ請求していただければ、私が払わせていただきます」


 こんな危険地帯に顔を出したアスタロト。

 金さえ稼げるのなら、彼は危険だからという理由でこれを断らないだろう。

 ゼンガにはその確信があった。


 そして案の定、アスタロトは笑いながら頭蓋を鳴らした。


「いい、実にいいです。すべてが終わった後、請求書を持って再び訪ねさせていただきますよ」


 アスタロトそう言って、彼の馬車は森の奥へと駆けていく。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る