第7話 珍しい客
夜の商売活動を終えると、俺は昼まで軽い睡眠を取る。
これが不思議なのだが、俺の身体は小さい頃からあまり睡眠を必要としない体質のようなのだ。軽く目を瞑って一、二時間が経過すると、疲労が取れている……なんてことがざらだ。
前世でもショートスリーパーなんて体質もあったが、その類だろうか?
まぁ睡眠時間が短いのは好都合だ。時は金なりなんて至言があるくらいだし、時間なんていくらあっても困らない。
「ん……~」
目を開けると、寝始めた時間からきっかり二時間が経っている。
すっかり眠気と疲れの取れた身体で伸びをして小さい寝具から飛び降りて、店の表の札を『営業中』に変えておく。
今日も遠くから聞こえる喧騒は他人事で、俺の店が建っている通りは相変わらず人気が無い。
「日差しつよ……」
王都の熱気に一役買っている燦燦と降り注ぐ陽光に顔をしかめ、俺はそそくさと店内に戻る。
まだまだ明るいな。こんな店で買い物をしたがる訳アリの客たちはまだ来ないだろう。ここは明るすぎる。
もう少しすればこの通りは日陰となって、昼とは思えない程暗くなる。その理由は、この都で一番大きな建造物『王城アルバハイム』にある。太陽が王城の影に隠れ、ちょうどこの通りに射す光を遮るんだ。
すると光を嫌う日陰者たちはその隙を狙ってこの店に来ることがある。……まぁそれもほんのたまにだけど。
裏の情報屋を騙る胡散臭いおっさん。明らかに人間ではないギザ歯の和服ロリ。世界で最も堅牢な牢獄から脱出した指名手配犯と顔がそっくりな誰か。
今のお得意様はこの三人だ。
その実態とか正体とか、興味を惹かれないと言ったら噓になる。でも大切なのはそいつらが俺に支払う金だ。それさえあれば、割とどうでもよくもある。
出入口のドアベルの調子を確認した後、カウンターの奥にある工房へ入る。
昨日売れた分の商品の補填とより質の高い商品の生成をしなければならないからな。
工房に所狭しと積まれ、並べられた素材はアグナとオウルが冒険者として活動するかたわら俺に渡してくれているものだ。
昔、俺があいつらを拾ったことを二人は今でも恩に感じている。これはその対価、ということなのだろう。
だが、流石に命の危険と対峙しているあいつらにただ働きさせるのはありえないので、受け取りを拒否するあいつらに無理やり金を渡している。相場よりは安いけど。
俺がテオ爺への借金を返し終わったら、ちゃんと解放してやらないとな。そうしなければ、あいつらはいつまで経っても本当の自由を手に入れることが出来ない。
俺からすれば、あいつらは想像以上に働き者で有能だ。あの時の恩なんて小さく思える程、力と可能性を持った子たちなんだ。
すっかり情に絆されたものだとは思うが……まぁ可愛い妹と弟だ。許してくれ過去の俺。
さて、そのためには商品を作り続けて、売り続けなければならない。
昨日売った五等級回復薬と低純度エーテルを補填し、さらに『四等級回復薬』、『三等級回復薬』、『高純度エーテル』の在庫を増やす。
等級が上がれば上がるほど生成の難度は高くなる。技術的にもそうだが、何と言っても素材が手に入り辛くていけない。必要素材が有名商会や冒険者ギルド、商人ギルドなどの公的機関に優先的に流れてしまうため、一介の商人には素材を手に入れるのも困難だ。
さらに腕のある錬金術師に生成を依頼する必要もあるため、商人のうま味は薄い。
これらの道具の需要が無くなることはないため安定して売れるが、どうしても薄利多売が基本になるから、数を作らなければ意味がないのだ。
その点、俺はアグナとオウルに素材を貰えるし、自分で言うのもなんだが錬金術の腕も確かだ。純利益はそこらの商人よりも多い。
さらにさらに、特殊な条件下で売るため、売値も高い。
ふっははは! 素晴らしい好循環だ。
売り方は詐欺まがい……というかほぼ詐欺行為だが、言いたい奴は好きに言えばいい。
ほぼ死にかけの冒険者たちに助かる機会をほんの1ミリでも与えている俺を責めるのはお門違いだし、そんな状況に陥ったのは冒険者たちの自業自得だ。
それに、
「……よし、生成完了」
——金さえあれば、俺はそいつらを救える準備がある。
今できた三、四等級回復薬と高純度エーテルを錬金釜から小瓶に移し、保管庫に入れる。
俺が救わないのは命を救ってもらうのに値段を気にしているケチで小ずるい人間だけだ。前世の医療機関のように、どうにもならない命の危機を金で回避できるのなら、俺だったら安いと感じるだろう。金をケチっても死んだら意味がない。命あっての物種なのだから。
回復薬の売値として提示した金額を素直に払おうとする奴には、よりよい商品を提供することもある。
製作費もタダではない。技術も俺のもの。
それを自分のために使うのは当然で、人のために使えと憤慨する正義マンたちの自慰行為に付き合う気もない。
救いたい奴を救うし、見捨てて良い奴は見捨てる。簡単な話だ。
そうして在庫生成に勤しんでいる時。
カランカラン……。
「……お」
アスター商店のドアベルが音を鳴らした。
壁に掛けられた時計を見れば、時刻はちょうどここらの通りが影に隠れる頃合いだ。
「いらっしゃいませー」
工房から出て、声に出した棒読みの定型文は静かな店内に響く。
それを受け止めるのは木製の壁と……——一人の客だった。
艶やかで長い黒髪の女性。自信に満ちた端正な顔立ちと毅然とした立ち姿。アグナとオウルを見慣れた俺でも思わず注視してしまう程の美貌だ。
腰に携えた剣と軽装の鎧から見て、おそらく冒険者だろう。
そんな彼女は、黄金の双眸で奥から出てきた俺を見る。
「あんたが店主? 邪魔してるわよ」
「……初めまして~ごゆっくり~」
いつもなら客との会話はこれで終わる。
「……ん?」
だが、不愛想に言葉を投げると、女は声を上げて意外そうに目を見開いた後、俺に近づきながら自分自身の顔に指をさして首を傾げる。
まるで「この顔に見覚えは?」と訊いているような表情だ。
いや知らないけど。誰だよ。会ったことある?
「もしかして前にもこの店来たことあります?」
「ないわよ」
「ねーのかよ。じゃあ知らないよ」
客への言葉遣いとしては最低な物腰でそう言うと、女は少し考える素振りを見せた後、「うん」と一度強く頷いた。
「いいえ。こんな美人に投げる言葉がそれだけ? って訊きたかったの」
「お帰りください」
「冗談よ。気が短いわね」
可笑しそうに笑った女は、俺から離れて商品を矯めつ眇めつ眺める。
普通ならこの後、値札を見て、それっきり客は来なくなる。
しかし、彼女は店内を見回しながら言葉を続ける。
「こんなとこに店なんてあったのね」
「……ああ、まぁ」
「いつから?」
「三、四カ月前」
「ふぅん、まだ新しいのね。それにしては年季入ってるけど……繁盛は……してなさそうね」
彼女は店内の様子を不思議そうに見回す。
そのまま目を滑らせて並べられた商品を値踏みした女は、何個目かの商品で顔をしかめる。
「うわ、全部たっかいわね。商売のことはよくわからないけど、ちょっと値段見直した方が良いんじゃない? これをどうにかしないと売れないわよこんなの」
「余計なお世話だ」
「あと立地ね。外を見てみなさい。この時間にこんな暗い通りなんて、誰も寄り付かないわよ」
「たまに来るんだよ。今みたいに」
「……ふぅん? あんたにやる気がないのはわかった」
呆れたような目で俺を見る女は短くため息を吐いた。
なんだよこいつ……暇人なのか?
普通値段を見たら会話なんてせずに帰るだろ。ここは酒場じゃなく道具屋だ。道具を買う以外の用途はない。
もしや……こいつもお尋ね者か?
探るために、少し小突いてみるか。
「そんな誰も寄り付かない店に、なんでお客さんは寄り付いたんだ?」
「別に? 暇潰しよ」
暇人かよ。まさかの最初の予想が的中していた。
「他所でやってくれ。ここはそう言う場所じゃない。大通りにでかい酒場があるだろ、そこ行け」
「あ、あんたねぇ……私一応客のはずなんだけどッ! その態度もダメね! 人が寄り付かない原因だわ! 今わかった!」
「ウチはそういうスタンスでやってんだよ。さ、帰った帰った」
客を追い出そうとするのなんて初めてだが、買うつもりのない奴を構うのは時間の無駄だ。
だが、彼女は食い下がる。
「酒場に行けないからこんな辺鄙なとこで時間潰してんのよ。察しなさいよ」
「知らんわ。酒場に行けない人間なんて、指名手配犯か何かか?」
「失礼ね。んなわけないでしょ。まぁでも、見つかったら指名手配犯みたいに騒ぎになるかもね」
「うわぁ、どんだけ自分の顔に自信あんだよ。ちょっと引くわ」
「事実よ。私人気者だし! どやぁっ」
発育の良い胸を張りながら自信過剰に彼女は宣う。
その顔は、本気で言ってることが伝わってくる見事なドヤ顔だ。口でどやぁって言うヤツ初めて見たわ。
だがここで折れるわけにはいかない。居座るならそれなりの対価を払ってもらわなくては。
「では人気者さん。お客様を名乗るのなら商品を買っていただいてもよろしいでしょうか?」
「……買ったら少しの間ここで暇つぶしさせてもらうわよ」
「もうすでに暇潰してるやつが何言ってんだよ」
「ったく」と言いながら五等級回復薬を手に取った彼女は、それを俺に座るカウンターに置いた。
「これ1個で7万ガルって……買って貰えるのが奇跡だと思いなさいよ」
「お金持ってるくせに、景気よく払ってくれよ」
「私が貧乏だったらどうすんのよ」
「俺の持論だけど、貧乏な人気者は存在しない。人気のある人間は金を持ってる奴か、才能がある奴か、優しい奴だ。才能があれば金を稼げるし、優しい奴は他人に優しくできるほど余裕がある奴。つまり金を持ってる奴。だから人気者=金を持ってる。どうだ?」
完璧な理論。証明完了というやつだろう。
「え、きも……普通にきもいんだけど。ひねくれすぎでしょ」
「事実だ。ほら、さっさと買った買った」
「……はいはい」
渋々7万ガルを払った女は、黒髪を翻して脇に畳んであった折り畳み椅子をを広げてカウンターの俺の対面に座った。
「じゃ、暇人同士、仲良く暇を潰しましょうか」
「……できるだけ早く帰ってくれ」
「あんた、名前は? ってか、見た感じほとんど同い年よね。高い金払ったんだから教えなさいな」
「……アスタ。歳は17だ」
「ほらやっぱ同い年だわ! ——私はラトラナ。冒険者よ」
「ランクは?」
単純な興味でそう訊くと、彼女は押し黙り、気まずそうにぽつりと呟いた。
「ブ……
「はっ、人気者が聞いて呆れるわ」
「あっ、馬鹿にしたわね!? 世界中の
喧しい言い合いを楽しそうに続けるラトラナは、結局この日は陽が落ちるまで店に居座り続けた。
そして何故か――彼女は毎日店を訪れるようになった。
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