第5話 霊薬
予期せぬ拾い物……拾い者をしてから四年が経った。
14歳になった身体はすくすくと身長を伸ばし始め、もうすぐアルル母さんの背を抜かしてしまうだろう。
時間が経つのは早いな。
前世で見た話では、時間の体感速度ってのは子供のころが一番遅いらしい。つまり歳を重ねれば重ねるほど時間の体感速度は短くなっていく、と。
よく言うよな、10代の一年より20代の一年はかなり早く感じるって。
それはどうも、脳の処理速度の問題らしいね。小さい頃は見たことが無いものが多く視界に入ってきて、情報処理に時間が掛かる。でも歳を取るにつれて見たことが無いものが減って行って、処理にかかる時間が短くなるから、体感速度も短くなるらしい。
へー、納得。……なんの話だよ。
閑話休題。
そんなこんなであれよあれよと過ぎていく時間に感慨深くなりながら、俺はいつも通りにテオ爺の工房に向かう。
前と違うのは、移動にかかる時間だ。前より魔力操作の精度が上がって、移動速度も上昇した。
まぁそれは微々たる変化。もっと大きな変化は、今も俺の後ろをついて回っている。
「アスタくん、魔物討伐終わった」
「兄さんっ、見てっ! 大型のオーク! 僕がとどめ刺したんだっ!」
平坦な声音で、村周辺の哨戒での成果を見せながら銀の獅子耳を揺らすのはアグナ。尻尾はゆらゆらとご機嫌そうに振られている。身なりを整え、身体を清潔に保てる環境にいる彼女はまさしく絶世の美少女。12歳の『銀獅子ちゃん』だ。
飛び跳ねながら裕に2メートルはある豚頭を掲げるのは、長い金髪を一つに結ったオウル。狼耳が自慢げにピコピコと動いている。光に照らされて輝く髪と瞳。もふもふの尻尾を褒めて欲しそうに揺らす様子は、こちらも見た目は絶世の美少女。11歳の『金狼ちゃんくん』だ。
傍から見れば見目麗しい美少女姉妹。
だが、オウルはれっきとした男……のはずだ。最近俺は自信がないけど。
この二人を拾って帰ってきた時、それはもうてんやわんやだったのは記憶に鮮明に残っている。
傷だらけのアグナと死にかけていたオウル。それを背負ってテオ爺の錬金工房に赴いた俺は、プライドなんてものを投げ捨てて地に頭を擦りつけた。
『こいつらを治せる薬のレシピと、その薬に必要な素材。……それを、売ってください』
目を丸くしたテオ爺はいつになく厳しい目つきで俺を見下ろしていた。
『……無責任に拾ってきたのか。それで、他力本願か。……わしの見込み違いだったかのう』
『全部、俺のわがままです』
俺が目を逸らさずにテオ爺をそう言えば、彼は『……そうか』と一言。
『全て承知の上か。ガキが覚悟決まった顔しおってからに。まぁ、お前がそんなに考えなしだとは思っていなかったがな』
そう言ってテオ爺が渡してくれたのは、二つの小さな小瓶。
その小瓶に入っていたのは、エーテル以上に血の色に似た
——『
図鑑で見たことがある。四肢の欠損や不治の病などを治すことが出来る、一等級の価値が付く代物。
だがそのレシピは、大陸の覇を握るケルス帝国の帝立大図書館『アレクサンドリア』にて秘匿されており、特権階級や高位錬金術師しか閲覧を許されていないらしい。
俺が見たその図鑑には写真が載っていなかったため物を見るのは初めてだ。
テオ爺はただ者ではないと思っていたが……いや、テオ爺の正体はどうでもいい。
『いやっ、俺が自分で作る! じーちゃんの作ったものを使うのはっ』
そこまで言った俺を、テオ爺は蹴り飛ばした。
『思い上がるなアスタ。お前がこの薬を作るまでに何年かかる? その間にその子たちは確実に死ぬ。救うと決めたのなら、何が何でも救え。どんな手を使ってもだ。話はそれから聞いてやる』
『っ……ありがとう……ございます』
そうして、アグナとオウルは
そこからの回復は劇的で、一カ月ほどで全快まで漕ぎつけることが出来た。
すっかり元気になった二人は一年ほどでこの村の日常に変わって、今や村中から可愛がられる愛され姉弟になった。
なのだが……。
回復してから数年経った今でも、こいつらは俺の後ろから離れようとしない。
最初は『アスタ様』だの『
オウルに関しては、俺は兄ではないといってもずっとこの調子なので兄呼びは諦めている。
そんな風に懐いてくれている二人だが、こいつらの好意を素直に受け取るのは気が引ける。
実際に二人を救ったのは俺ではなくテオ爺だ。
俺が出来たのはただ頭を下げる事だけ。アグナが俺にしたことと変わらない。
だというのに。
「私たちを見つけて、助けてくれて、あったかくしてくれたのはアスタくん」
「見捨てないでいてくれて、いつも気遣ってくれるのは兄さんだから!」
と言って聞かない。
まぁ拾ってきたのは俺だから最期まで責任は持つ。それをテオ爺に押し付けるのは違うし。
でも、リスクを背負って助けたのも事実だ。それを否定する気もないのだが。
それに、この二人は案外やる。
その頭角は二年ほど前から如実に表れていた。
こいつらが来るまで俺やテオ爺、村の男衆がしていた周辺の哨戒を、この二人は一挙に担ってくれているのだ。
獣人ならではの身体能力と戦闘力……それだけでは説明できない実力を、この二人は見せている。
盗賊に捕まっていたのを鑑みると、この二人の背景には何かが隠されていそうな気もするんだけど……そっちを深掘ると碌なことにならなそうなので努めて無視する。
こいつらの過去と俺は関係ないし、知ったところでどうする気もない。
俺は今、テオ爺への対価を払うことに必死なのだ。
二人を連れてテオ爺の工房に行けば、テオ爺はいつも通りに工房前の広場でキセルを吹かせていた。
「じーちゃん、来たよ」
「テオ様、おはようございます」
「
テオ爺は俺の挨拶に軽く手を挙げ、二人の挨拶に頬を緩めた。
この反応からわかる通り、テオ爺は二人に骨抜きなのだ。無骨な印象が強いテオ爺だが、可愛い孫のような存在の前では形無しである。
「アスタ、
「あと一息だよ。今日には作れそう」
俺の言葉に、テオ爺は満足そうに頷いた。
制作に着手してから四年。ここまで長かった。
これは俺がテオ爺に払う対価の一つ。消費した
『使った
まず提示された対価はこれだ。
テオ爺に頭を下げた際に俺が言った『俺が作る』という言葉を汲んでくれての条件だと思う。
これは当然というか、払うべき対価として至極正当だろう。
必要な素材の値段は、今は払うことなど考えられない程の超高額。
俺が壊滅させた盗賊たちの
情けないが残りは出世払いということでツケにしてもらっている。細かくは考えたくないが……多分、聖銀貨何百枚とかそん位残ってるはず……うぇえ。
後は、テオ爺にとって錬金技術の継承はかなり重要らしく、俺の成長のためという側面もあるとは思う。
「アスタくん……なにか」
「ああいいからいいから。二人はテオ爺といつも通りの鍛錬してて。二人に期待してるのはお手伝い能力じゃなくて戦闘力だからさ」
おざなりに言いながら工房に入る俺の背中に、やけにテンションの上がった声が届く。
「っ、はいっ! オウルは兄さんの期待に応えて見せますぅ!」
「わ、私も」
「うん、頑張ってね」
そうして扉を閉めれば、二人の鍛錬の音が籠って聞こえてくる。
アグナは俊敏性能に振った戦い方が得意で、武器は細剣と長槍の二刀流。リーチを槍で補いながら、敵の懐に潜り込んで神速の細剣でとどめ。そこらの魔物では彼女に傷一つつけられないだろう。
対してオウルは、並外れた膂力を活かした攻撃特化。あいつが振るう長剣を受け止めるのは下策も下策。一度受け止めたことがあるが、一日中手が痺れ、両手の手首が青く腫れあがったのを覚えている。
ちなみに二人の武器は、俺が錬金術で錬成したものだ。
テオ爺が作ってやれと、盗品の中にあった鉄のインゴットを俺にくれた。
もう本当にテオ爺には頭が上がらない。
そんな流れで出来上がった急拵えの制作物を、二人は十全に使いこなしている。
まぁ……何と言うか、あの二人は馬鹿みたいに強いんだ。
なんであんな盗賊たちに捕まったのかわからないくらい強い。
っていうか本人たちが不思議がっていたのだ。「私たちはこんなに強くなかったはずだ」と……成長期なのかな。
だが、その急成長は俺にとっては好都合。商人として生きていく以上、自衛は必須。頼れる用心棒がいるのは助かるしな。
俺も鍛錬を怠るつもりはないけど……正直早く俺より強くなって欲しい。そうすれば、俺は錬金術や交渉術に時間を割けるようになるから。
広場で鳴り響く金属の衝突音に耳を傾けながら、工房の中で準備を整える。
さて、それじゃあ始めようか。
必要なのは、『幻獣の肉片』と『同種の幻獣の血』、『世界樹の朝露』。
名前からして超稀少そうなこれらは、その通り超稀少な素材どもだ。
素材の価値はすべて一等級。値段は考えたくもない。
当然この素材も借りものなので出世払い……はぁ。
様々な素材が陳列されているテオ爺の工房だが、これらの素材はストックが無く、これきりだ。
魔力を流して物質の内部構造を解析すること一年。
かなり丈夫な素材であるこれらを綺麗に分解できるように魔力操作の練度を上げること一年。
失敗に怯えて立ち止まって、工房内の書物を読み漁ること一年。
他の生成物の質を上げ、錬金術そのものの練度を上げること一年。
計四年だ。
構造はほとんど把握済み。魔力を流す回路のイメージも完璧。
それに幸運なことに、俺は実物を目で見ている。完成系をイメージできるかどうかは成功への大きな分水嶺だ。
何より――俺に出来ないものだったら、テオ爺はそれを許さない。
テオ爺は、俺が
「大丈夫……大丈夫」
久々に声に出して自分自身に合図を出し、魔力を動かす。
釜は
「——ふぅ」
分解。頑固に形状を保ち続けていた素材たちが粒子状に溶ける。
「さよなら、超高額素材」
圧縮。釜の中を飛び交う粒子を一点に集める。
「っ……暴れんな……っ!」
釜の中で魔力の奔流が渦巻き、カタカタと鳴る。
それを包むように魔力を引き延ばし……包んで――潰すッ!
「逃がすか……ッ!」
魔力の膜から逃げようとする粒子たちを抑え付け、一気に収縮させる。
バチッ――バチバチッッ!!
赤と青の電光が工房内を照らし、いつしかそれは紫電に変わる。
閃光、雷電。
それが示すのは、分解と再構築の成功だ。
「——で、できた……
俺は釜の中に予想以上に溜まった液体に、歓喜に打ち震えた。
テオ爺に貰った
俺は慎重に小瓶に
■ ■ ■ ■
ギンッ!
槍で長剣が受け止められ、しかし勢いは止まらない。
長剣が力任せに、だが洗練された軌道をなぞって振り抜かれる。
そのオウルの剣を紙一重で躱したアグナは、身を翻して細剣を突き出す。細剣は戻された長剣の腹で受け止められ、再び激しい攻防が始まる。
お互いにかすり傷を付け合うが、それも二人にとっては好都合だ。
なにやら回復魔法に精を出し始めたアスタは、二人の傷を見つけると「実践だ」と言ってすぐに治そうとする。
二人はより多く傷をつけ合い、アスタとの時間を伸ばそうと画策しているのだ。頭が軽くイってしまっている。
そんな腹の内を感じさせないほどに、二人の動きはあまりに速く、あまりに力強い。
獣人だから、なんて言葉で片づけることなどできない程、二人の戦闘力は伸び続けている。
それはアグナとオウルが特殊な種族であることも、二人が一人の少年のために強くなろうとしていることも関係あるかもしれないが、やはりそれだけではない。
その強さと急成長には、明確な理由が存在する。
二人の鍛錬を眺めながら、テオはキセルから煙を吐く。
「……さて、そろそろかの」
そう呟いた瞬間。
電光が工房から迸った。
その数瞬後、少年の歓喜の声がテオの耳朶を打つ。
『——で、できた……
その言葉に、テオは微笑みながら灰を捨てる。
「エリクサー……はは、そんなものじゃありゃせんよ」
それを知る者は少なく……アスタのように閉ざされた環境で育てば――間違ったレシピを教えられても気づかない。
エリクサーとは青色の霊薬。
傷、病。万物を蝕む障害を取り除く『治癒の霊薬』だ。
では、テオが
それは、『覚醒の霊薬』。
テオがアグナとオウルに与えたのは
それを知る者はただ一人、『錬金王テオフラストゥス』のみ。
門外不出、口外厳禁であったそれは、たった今、後継に継承された。
「
全人類に流れながらも、今は完全に眠りについている古代種の力を呼び覚ます劇薬。
アグナとオウルの急成長の理由は、これを除いて他にない。
「ははは……孫可愛さにそれを与えてしまうのは……狂気と言わざるをえんな。我ながら」
そのレシピを与えたところで成功する確率など万に一つもないはずのそれは、天才の血筋によって再び生み出された。
自分が人生の大半を賭けて作り上げた
それを再現するのにアスタがかけた時間は、錬金術の基礎を覚えてからわずか十年と少し。
テオは自問自答する。
アスタは天才だろうか?
——ああ、間違いなく天才だ。
だが、才能だけでは決してたどり着けない境地に、アスタは立っているのだ。
テオが自分を“狂気”と評するのには理由がある。
可愛い可愛い初孫であるアスタ。テオはそのアスタの心臓に――異物を埋め込んでいるのだ。生まれてすぐの頃、アスタが眠っている時にこっそりと。
テオもまた、錬金術師。狂気の探究者なのだ。
アスタの身体が持つ才能。これは優秀な遺伝子がもたらした血筋由来の物。
アスタの精神が持つ才能。これは転生者などという稀な事象による天運。
そして、アスタが常人にはあり得ない速度で成長する理由は、その心臓に埋め込まれた、テオの錬金術師としての全てを賭けた『ある物質』。
それら三つが奇跡的に噛み合い、アスタという鬼才がこの世界に産声を上げたのだ。
「アスタが成すことを見届けるまで、死ねんなぁ」
「——じーちゃんっ!
いつもの大人びた様子からは想像できない無邪気さで工房を飛び出してきたアスタに、テオは祖父の顔に戻る。
「……ああ、よくやった。約束通り二つは返済という形で受け取ろう。残り四つは……お前が持っていなさい」
「え、や、でも……」
「わかったな?」
「……ああ、わかった」
それから一年。そんな日々は続いた。アスタは錬金術を磨き上げ、商売に必要な知識と、自分の考えている商売計画に必要な技能を研鑽する。
アグナとオウルはそんな彼を支えるために、
そして時は、さらに二年を駆けた。
アスタの年齢は、前世の享年と同じ17歳に。
今日この日、アスタは村を出る。
「……もう、前世を超すのか……ほんとに短い人生だったんだな」
「……準備はいいのか、アスタ」
いつもと変わらない様子で見送りに来たテオに、アスタは馬車の荷台を指で示す。
「全部乗っけてる」
「ならいい。王都に着いたら昔にわしが使っていた工房を使え、わかったな。王都の東区だ。それと、
馬車に積まれたの荷物の中でも、最も頑丈な金庫に入った四つの瓶。
どう使っても世界に波紋を呼ぶであろう霊薬を想って、テオはアスタに言って聞かせる。
「わかったって……何回も聞いてるよ。……何から何までありがとう。必ず対価は返すから。昔のも含めて」
「それも何度も聞いているし、疑ってなどいない。楽しみに待っている」
アスタの律儀な性格はテオが一番よく知っている。
何度も聞いたセリフに、テオは煩わしそうに彼の背中を押す。
「アスタくん、準備終わった」
「僕も」
二人分の声に振り向けば、そこに立っているのは誰もが目を奪われるだろう銀色の獅子獣人と金色の狼獣人。
アグナは幼い頃の美しさをそのままに、女性らしい起伏のあるシルエットに。
オウルはなぜか、より少女のように可憐に育ち、言われなければ男であることには気づけそうにない。
アスタはそんなオウルを見ながら、兄貴分として心配そうに眉を顰める。
「……大丈夫だオウル。王都では彼女できる。うん……そのはず……一応、男の人には気を付けるように」
「えっ、えぇ? 彼女なんて……僕は別にいいよ。……兄さんといたいし」
「そう言うのホントに良くないよ。ね、アグナ」
「アスタくん、王都では女に気を付けて。私、心配」
「日に日に生意気になっていくな、お前は」
ほとんど家族のように育った三人はお互いにじゃれ合いながら馬車に乗り込む。
「アスタくん~、村にいても名前が届くぐらいの活躍してね~。そうじゃないと心配よ~」
「ハードル高いよ母さん」
「……遊びはほどほどにな。節度を持ってだ」
「ほかに言葉ないのかよ父さん」
やはり少しずれた両親の言葉を受け、アスタの顔には微かな寂寥が浮かぶ。
だがそれも一瞬だ。
「次帰ってくるときは大富豪だよ。期待してて」
「——はっ。達者でな」
テオの不愛想な激励に、アスタは強く頷いた。
そうして、三人は王都に拠点を移した。
それから数カ月。
アスタの運命が、動き始める。
―――――――――――――
下準備終了。
これから本編。
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