鹿野結衣はこれでもプロ
「凄い!凄いよ桐ヶ谷君!やはり私の目に狂いは無かった!よくあんな設定を思い付いたね」
「まぁ、ほぼその場で考えたネタですけど……勝手なことしてすみません」
撮影が終わり、喫茶サエキに戻って鹿野さんと江月さんとお茶をしながら、そんな話をしていた。
あんな設定を受け入れてもらえるか不安だったけど、上手くいって良かった。途中何度か噛みかけたけど…
「いいよいいよ。ありきたりな設定より、あまり見かけない設定の方が視聴者も楽しめるからね。それにしても恋人設定か~……うん。結構使われてそうで、実はあまり使われてない良い設定だ。君は物語を描くのに向いてるかもね」
「……ありがとうございます」
江月さんは俺のことをかなり過大評価してるような気もするが、ここは素直に受け取っておく。
「そういえば、急いでるぽかったんで聞いてなかったんですけど、二条院さんと藤堂さんはどうしたんですか?」
俺はずっと気になっていたことを聞いた。
元は藤堂さんと二条院さんに呼ばれた形で商店街に来たのだ。その二人がこの場にいないのは不自然だった。
「ああ。アルファちゃんとイシスちゃんね。別の場所で助監督と一緒に撮影しているよ。普通は同時進行で撮影なんてしないんだけど、夕方の時間帯って短いじゃない?それに今月中に七割、八割は撮影を終わらせたいから、マジで巻きで行かないと間に合わなさそうなのよ…」
「え…?ドラマの撮影期間ってそんな短いんですか?」
「物によるね~」
俺の疑問に答えたのは鹿野さんだった。
「通常は放送日の三ヶ月前からやるんだけど、キャスト側のスケジュール関係とかで今回みたいに一ヶ月前とかから始めるケースもあるよ」
「そうなんだ……ん?一ヶ月前?」
「うん。放送日、6月中旬くらいだよ」
俺は啞然とした。知らなかった。ドラマってそんなギリギリの綱渡り状態でやることあるんだ…。
「それ間に合うの?」
「キャスト側がトチまくったり、録画データが無くなるとかイレギュラーなことが無ければね~」
「……胃が痛くなってきた…」
「大丈夫だって。今日見た限り、十分やっていけるよ。セリフが棒読みになったりとかもしてなかったし、むしろ本当に学校の劇でしかやったことないの?ってくらい素晴らしい演技だったよ!女優として太鼓判を押してあげる!」
「余計プレッシャーなんですがそれは…」
鹿野さん……励ますならちゃんと励ましてくれ…。
とそこで、店の入口が開く音がした。
入店して来たのは、先ほど別の場所で撮影してると聞かされてた二条院さんと藤堂さんだった。
「お待たせしました。こちらは無事に撮り終わりました」
「オーケー。こっちも恙なく終わったよ。じゃあ私は助監督の福山と撮影した奴チェックして来るから、四人はしばらく休んでて。私の奢りで、何か注文しても良いよ。それじゃあ」
二条院さんからの報告を聞いて、江月さんは店から出ていった。
二人は前の席に座り、二条院さんが声をかけてくる。
「……撮影、引き受けてくれたのね?」
「ああ。事前に説明して欲しかったけどな…」
「ごめんなさいね。結衣が自然体の桐ヶ谷君を見てもらおうって聞かなくて…」
「シリウスのリーダーなんだから、そこはしっかり止めてもろて…」
「……力及ばなかったわ。本当にごめんなさい…」
申し訳なさそうに項垂れる二条院さん。
まぁ、しっかりしてそうな二条院さんのことだから、散々説得した上で押し負けたんだろうけど…。
鹿野さんの押しには誰も勝てねぇんだろうなって、今日一日で痛感してるので、もう何も言うまい。
「それで結衣さん。桐ヶ谷さんの演技はどうでしたか?」
「それがね~。桐ヶ谷君って凄いんだよ!もう何年も役者やってるんじゃないかってくらい上手かったの!役じゃないくて、ほぼ素の自分で演じてたのもあると思うんだけど、一緒に演じてる私まで心に来ちゃったもん!」
「へぇー。桐ヶ谷君って、実は演劇部だったりとか?」
「いや。学校の劇でしかやったことねぇよ。まぁ、お世辞でも褒めてもらうのは嬉しいよ」
「そんなことないと思いますよ、桐ヶ谷さん。結衣さんが人を褒めることって、実はあまり無いんです。演技に限らず、歌やダンスに関しては特に」
「え。マジで?」
藤堂さんに言われ、隣の鹿野さんを見ると、今まで見たことのない優しい笑みを浮かべていた。
「私だってプロだよ?相手が素人だろうと、正当に評価するよ。少なくとも、前の俳優さんより桐ヶ谷君の方がポテンシャルはずっと上に感じたよ。言ったでしょ?太鼓判を押すって。だから自信を持って、撮影に挑んで欲しいな」
いつもと全然違う優しい笑顔で言う鹿野さん。
そんな彼女を見て、ちょっとだけ……本当にちょっとだけ、心臓が跳ねる音がした。
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