江月監督からのスカウト
監督らしき若い女性に連れられ、隆二の家である喫茶サエキに入る。
席は目立たないように入口から遠い端っこの方だ。
「それで鹿野さん。これはどういうことかな?」
眉間にしわを寄せて、俺は怒ってるぞという感じで隣に座った鹿野さんに問い詰める。
ドッキリなどのバラエティ番組ならまだしも、明らかにドラマとかそっち系の撮影に巻き込まれたらこうもなるだろう。
「えーっと。順を追って説明するとね」
もう順番がおかしくなってそうなものだが、そこは一旦気にせず話を聞く。
前の席にいる江月監督という女性が描いた新作ドラマの撮影を、今日商店街でやる予定だったそうだ。
場面は第一話の中盤に差し掛かる辺りで、夕方の商店街をヒロインの鹿野さんと一人の男子生徒が一緒に歩いて帰る、というものだった。
ただその男子生徒役の俳優が撮影現場に来る途中で足を捻挫してしまったらしい。飛び出してきた野良猫から慌てて避けようとしたら、土手の階段から足を滑らせたとのこと。
命に別状は無いが、三ヶ月は松葉杖を使わなければいけない怪我らしい。逆に足だけで済んで凄いな…。
撮影は俳優の怪我が治るまで延期にするか、新しい俳優を採るか悩んでいると、鹿野さんから提案があった。それが……
「桐ヶ谷君ならこの設定にピッタリ一致しているから、適役だと思って呼んじゃいました♪」
「呼んじゃいました♪じゃねーッ!」
設定集を開いて見せてくる鹿野さんの頭を、左右から両拳でぐりぐりの刑に処した。
「いやーーー!?痛い痛い痛い痛い痛いっ!?やめて桐ヶ谷くーん!?」
「なんなんお前本当に!?悉く俺を巻き込みやがって!大人気アイドルの頼みなら一般人皆が許してくれると思ってんのか!思ってんだろう!?ええッ!?」
「違います違います!ごめんなさいごめんなさい!この通りですお願いしますっ!悪かったと思ってるんです!頭凹んじゃうからぐりぐりするのマジ勘弁してくださいお願い致しますー!?うわあああああんっ!」
手をわたわたさせて涙目になりながら訴えてくる鹿野さんの言葉を無視し、三十秒くらいぐりぐりの刑が続いた。江月さんは腹を抱えて笑って見てるだけで、助けに入る気は無いようだった。
店内ではアイドルの鹿野結衣が泣かされてると騒ぎになりかけたが、番組スタッフらしき人たちがお客に事情を説明してくれてるので問題無いだろう。
そのスタッフさんたちも、俺に「マジかアイツ。大人気アイドルにぐりぐりしてる…」と思ってそうな目を向けていた。
「で?俺に頼みたいことが何なのかもうわかったけど、君の口からちゃんと言ってくれるかい?」
「はい……さっきの今で大変申し上げにくいのですけども、出演はこの第一話だけなので代役をやってくれないでしょうか?」
「断る。だからさっき撮影した奴消して」
即答である。なんでそんな面倒なことになる役をやらねばならぬのだ。
「エキストラをやるならまだ良い。ただ突っ立ってるだけとか歩くだけで良いんだから。でも明らかに重要な役だろこれ!?本来やる予定だった俳優さんの名前見てみたけど、世間に疎い俺でもわかる若手の人気イケメン俳優じゃねぇか!?イケメンでも何でもない俺に頼むことか!?」
「大丈夫だって。桐ヶ谷君も負けてないよ!むしろ勝ってるよ!」
「負けてるだろ!どう見ても!」
「違う違う!ほらほら、この設定をよく読んでみてよ」
言われて見てみる。
『学校では他人に興味がなく、休み時間に話す友達がいても基本一人で遊ぶことしかしない男子高校生。これは彼の素であり本部でも支部でも、どこでもそう。趣味はゲームや漫画、アニメ鑑賞。学校での彼の評価は、成績はかなり優秀で帰宅部なのに運動神経が抜群。だけど愛想が無いし、口も悪い上に顔も良いって訳じゃないから女子からモテるなんてことは一切ない。だけど心根は優しい男の子』
顔以外にも容姿について書かれており、『目付きが悪い』や『ヒロインより少しだけ背が高い』など細かい設定が書かれていた。
「これ本当に一話限定のキャラなの?」
「あくまで予定って話だから。人気があれば数話後にサブレギュラー化の予定なんだって」
「脚本はちゃんと決めておくけど、視聴者の要望やキャラの人気を考えて、途中で脚本を変えたりするの。それが私のやり方」
えー何それ…。それってちゃんと成功すんの?
江月さんは続ける。
「オリオンちゃんじゃダメそうだね。じゃあ、私から撮影交渉をさせてくれるかな?」
「嫌です。帰らせてください。貴女のドラマとかどうでもいいです」
俺の言葉に江月さんは笑みを崩さずこちらを見つめていたが、周りのスタッフさんたちは驚きの表情を浮かべていた。
……あれ?もしかして結構大物なのかな?
「なるほどねぇ…。桐ヶ谷君、だったね?君は相当世間に疎いようだ。私が一体、この短い人生に於いてどれだけの名作を残してきたかも知らないようだしね」
「そうですね。何とかの監督最新作ってテレビに出ても、へぇそうなんだ、ぐらいにしか思わないですし、PV観てる間に監督の名前なんて忘れちゃいます」
「ほうほう。君は大物だね~。実に私好みの性格をしている」
「そうですか。じゃあ、俺は帰ります」
「300万」
これ以上話す気は無いと示すように席から立った俺に、真剣な表情で江月さんはそう言った。
なんかヤバい数字が聞こえて、思わず固まってしまった。
「300万。慰謝料込みで、300万円の出演料を支払う。君の腕次第では、増額も約束しよう」
「えーーー!?江月ちゃん本気!?」
「……なんかヤバい額なのはわかるけど、どれだけ凄いことなんだ?」
「そこそこ大きいタイトルのドラマや映画一回で、主役の人が貰うような金額だよ!あと、私の二倍以上の金額」
「なんですと…?」
鹿野さんの言葉を聞いて、江月さんを見る。その目は真剣で、本当に俺に300万という大金を支払うつもりなのがわかる。
「理由は二つある。一つ、君の怒りはもっともだということ。ドッキリ番組でもないのに、勝手に君を撮ったんだ。立派な肖像権の侵害さ。不快な思いもさせただろう」
「まぁ……そうですね。何の説明も無かったから、実際不快でしたし」
「それについては本当に大変申し訳ないと思っている。二つ、私は出来れば設定に忠実の役者を揃えたいんだ。本来やるはずだった俳優はそれなりに役に嵌っていたが、如何せん顔が良すぎた」
「でもそんなもんじゃないですか?ドラマの中では地味なキャラ設定なんです~って奴は」
「ああ。だがそうじゃないんだ。私が求めているのは、漫画を下手に実写化して、ヲタクたちから反感を買ってしまうような作品ではない。イケメンを採用しては、俳優が作品に忠実になってガチで全裸素振りでもしない限り、大成功は望めない。どうか気を悪くしないで欲しいのだが、君は設定にある通り、顔は至って普通だ」
「……まぁ、一応褒め言葉として受け取っておきます」
このキャラの場合、イケメンよりフツメンの方が適してるのは事実だろうし。
「もちろんだ。精一杯の褒め言葉だよ。それに君の素の性格は素晴らしくキャラに合ってるし、運動に関してもシリウスから聞いて、ある程度把握している。十分大金を支払う価値が、君にはあるということさ」
「………ちなみに、慰謝料を抜いた分だけだといくらですか?」
「50万くらいだね。実際に出る予定だった俳優に支払う額だよ」
「相場の五倍も慰謝料を出してくれる、と?」
物によるが、慰謝料の相場は多くて大体50万だ。
今回の件に関しても、数十万単位が妥当なところだ。なのに江月さんは250万円もの慰謝料を支払うという。
「そこまでして、俺に出て欲しいんですか?」
「ああ。私は本気だよ。オリオンちゃんが言っていた通り、君は今回やる予定だった俳優よりかなり適している。私が今作りたいと思っている作品の半分は君に出演して欲しいくらいだ」
真剣な表情で語る江月さん。彼女の本気が伝わってくる。
「桐ヶ谷君。私は妥協点として君をスカウトしてるんじゃない。君の才能を、心の底から見込んでいるんだ。少なくとも、そこらの顔だけ役者より光る物が君にはある。頼む。私の作品に出てくれないだろうか」
江月さんは頭を下げて、そう言った。
鹿野さんだけでなく、スタッフさんたちも驚いている様子だった。
監督自らが頭を下げてまで、ドラマに出てくれと懇願する。それが一体どんな意味を持つのか、俺にはわからない。
だけどきっと、恥を忍んで頼んでいるのだろう。それくらいの覚悟と誠意が、彼女から伝わってきたのだ。
「俺、演技なんて小学校の劇でしかしたことないし、何の取柄も無いごく普通の一般人なんですけど」
「だからこそだ。演技力なんて気にしなくて良い。このキャラは、君そのものなんだ。ありのままの君を演じて欲しい」
「……………」
隣の鹿野さんを見る。彼女は不安そうな表情で、俺と江月さんを見ていた。
……………………………………。
俺は考えた。その間も江月さんは、ずっと頭を下げていた。
スタッフさんたち、さらには店のお客や店員までもが、固唾を飲んで見守っていた。
……江月さんは、それほどまでに凄い監督ということなんだろうか…。
「……………はぁー…」
長考の末、溜息を一つ吐き椅子に座り直す。
「隆二!」
「へ!?は、はい!」
店の手伝いをしながら、同じく見守っていた隆二を呼ぶ。
とりあえず、まずはコイツの口を封じることにした。
「この事は誰にも漏らすなよ?周りのお客とおじさん達にも、そう言っておいてくれ」
「あ、ああ…。わかったけど、とりあえずその表情やめろよ……怖いぞ?」
「あぁん?」
「俺に当たらないで!?」
「……ココア」
「はい!ただいま!」
隆二はカウンターまで下がって、ココアを作り始める。
別に怒ってた訳じゃない。ただ考えてる時に眉間にしわが寄るだけだ。
眉間を揉んで、隆二の言う怖い表情を直す。
「……顔を上げてください…。一つ、条件を出してもいいですか?」
「!? あ、ああ!なんだろうか?私に出来る事なら、なんでもする!」
『ん?今なんでもって言った?』という幻聴がした。
貴女結構お綺麗なんだから、そんなこと言っちゃダメでしょう…。
「今回だけ。本当に今回だけの出演にさせてください。無いと思いますけど、仮に人気が出て、視聴者からの要望が多かったとしても、二度と俺は出ません」
「じゃ、じゃあ…」
江月さんの表情が喜色で固められる。
「はい。出させてください。貴女のドラマに」
「もちろんだ!むしろ頼んだのはこちらの方なんだ!喜んで歓迎しよう!」
「やったー!桐ヶ谷君と一緒に撮影だー!」
「君は後でまた説教な?反省の意も見られないし、追加のお仕置きもしておくべきかもな。ねぇ?」
「ふえぇぇ……許してぇ~…。シュークリーム奢るから~…」
こうして俺は、江月監督作のドラマに出演することになった。
なんで出演する気になったのか……まぁ鹿野さんの言葉を思い出してみたのだ。
『将来の夢の選択肢』
もしやってみて、演じるのが楽しいと感じた時は、そこに俳優を入れてみても良いかなって。そう思ったんだ。
……いきなり大き過ぎる夢な気がするが…。
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