デッラ・サンデニ

 フィセラが討伐隊を連れてきた場所はアゾク大森林の奥地にある大山、その麓だ。

 カル王国でも、白銀竜が今までに三度出現した際もこの大山に降り立っていることが伝承に残っていた。

「ここが伝承にあった竜の巣か。調査をした限りでは毒霧があるはずだが、影も形も、ただの霧さえないじゃないか」

 そう言ったのはアッシュだ。

 冒険者として白銀竜討伐依頼を受けた日にこの森について調べていた。

 アッシュは調査に参加しないが、情報は共有している。

 聞いた話と全く違う目の前の環境について、部下をにらむ。

「組合に保管されている書物に載っていた情報ですよ。怒らないでくださいよ、ボス」

 睨まれた男が言い訳をしている。

 すると、助け舟が思わぬところから出てきた。

「王国にある古い地図にもそう書いてあるよ。山を囲うように毒の霧があると」

 デッラは、組合の情報は正しいと思う、と言った。

 当然デッラたちもアゾク大森林の地形は調べている。毒霧は白銀竜の元までの難所の1つだった。

「何かご存じですか?フィセラ様」

 デッラはフィセラに最初から様を付けるが、それは恩人だからというより、戦闘を見て自分より格上だと認識したからだろう。

「あ~霧ね。あれね~白銀竜と戦ってたら吹っ飛んだよ」

「なんと!環境を変えるほどの戦いですか。すごいですね。…………剣で?」

 フィセラもちょっと無理があるかもと思っていたところだ。

 追及しようとするデッラをマクシムが止めた。

「無いなら無いでいいじゃねえか。これで高いポーションが節約できる」

 ポーションを王都に帰るまでの街で売ろう、と誘うマクシムを、軍の倉庫に戻すんだ、厳格なデッラが叱っている。

「分かったよ。売らないって!……それより、これは入ってもいいのか?」

 

 マクシムの目の前に現れたのは、木だ。

 森の中を進んでいたのだから木など何千本も見てきている。だというのにただの気にマクシムが足を止める訳がない。一行の前にあるのは、木の壁だ。

 所狭しと大木が敷き詰められており、人ひとりがようやく通れる幅しか木々の間は空いていない。


「見える限りはずっと続いているな。俺は装備を外した方がいいか?」

 一番体の大きいマクシムが木の幅を確認している。たしかに、そのままでは装備の出っ張りが引っかかりそうだが。

「大丈夫だよ。全員通れる」

 妙に自信のある声でフィセラが言った。

 マクシムの疑念の目を背中に受けながら、木の壁へ向かって行く。

 そこにアッシュが声を上げる。

「おい!待て!こういう木の密集地は大抵迷路になっちまっている。二人以上が視界へ入るようにしながら、互いの距離を取って移動する。……おい。聞いているのか?」

 へ~二人以上、とフィセラはアッシュの情報に感心しながらも、彼女の言葉を無視して中に入って行ってしまう。

 ついに中に消えてしまったフィセラに、討伐隊は動けないでいる。

 だが、ヒョイとすぐにフィセラが顔を出した。

「すぐに抜けられるから、早くきて」

 そしてまた木の陰に消えていった。

 仕方ないと言って、ぞろぞろと皆入って行く。


「中は意外と広いみたいだな。装備がかすりもしないぞ」

「どこが広いんだ。ぎりぎりだぞ」

「レーア迷子になるな!」

「すごい。この木々は外の木と違って一本一本に魔力が通っている。竜の影響か?モンスターの一種?」

 

 各々自由にしゃべっている中で、ある言葉にフィセラは反応した。

 この時、フィセラに緊張が走ったのだ。

 だが、木々を縫って歩く彼らは互いの顔も見えていない。当然フィセラの顔もだ。

 フィセラの緊張が気づかれなかったのは幸運だった。


 一足先に出たフィセラが隊に声をかけた。

「さあ。私の仲間が待ってるよ」

 予期していなかった言葉に討伐隊の全員が動揺する。

 先行していたデッラとマクシムが歩を早めて木々の終わりまで進み、出口が見えたところで、木の陰に隠れて様子を見る。


 中にいるのは誰だ?

 男が一人。老人だ。

 周囲には何もない。最後に用意していた罠ってわけではなさそうだな。

 どうする?

 今更帰れるか!


 もはや声も出さない秘密の会議はすぐに終わった。

「大丈夫だ。全員出てこい」

 マクシムが一番に木々の間から姿を現して、後ろの仲間に声をかけた。

 すぐにデッラ、遅れてアッシュ、灰の獣槍の全員が出てきた。

 

「全員いるか~?」

 アッシュが仲間の点呼をしているようだ。

「アーレがいません、ボス」

「いますよ!」

 すぐ後ろにいたアーレが顔を赤くしてツッコんだ。

 ドッとメンバーが笑っている。


「緊張感がねえな、やつらは」

 マクシムは冷ややかなめで灰の獣槍のメンバーを見ていた。

「彼女たちの仕事は白銀竜の討伐だ。それがいないとなれば、戦闘する気はもう無いのだろう。ここまでついて来てくれているだけ優しい方さ」

 三極の二人はフィセラが白銀竜を討伐したということは、ほぼ確実だと考えていた。

 だとすれば、その時点で依頼が終了している。途中で帰ると言われても止められないのだ。

「まだいるのは、奴らだけで森を抜けられないからだろ」

「そこまで弱くないさ。経験は俺達よりもある」

 二人は灰の獣槍から視線を戻して前を見る。

 先にいるのは、さらに奥へと歩いていくフィセラ。そして、倒木に静かに座る老人。

 三極の任務はここからだ。


「わしの名はヘイゲン・へスタ・ユルゲンバルム。ヘイゲンでよいぞ」

 

 ヘイゲンと名乗った老人は想像していたより背が高かった。身に着けているのは、灰色の薄汚れたローブ。外側だけ見れば家無しの物乞いのようだが、その顔は端正のもので高貴さを感じる。

 

「ヘイゲン様。私はデッラ・サンデニ。こちらはマクシム・ミドゥ。後ろにいるは私たちが雇っている冒険者です。彼女たちの紹介はいりませんね」

 ヘイゲンは肯定としてゆっくり頷いた。

 さて、と話し始めようとしたデッラをヘイゲンが止める。

「彼女から聞いておる。つまりは白銀竜討伐の証拠が欲しいのだな?だが、竜自体を見せることは出来ないのだ。残念ながら、かの竜は森のさらに奥へと飛んで行ってしまった。すまないの」

 デッラはフィセラを一目見て、矛盾を突いた。

「討伐したと聞いているのですが、飛んで行った、とは?まさか、上空で仕留めたがあらぬ方向へ落ちてしまったと言わないですよね」

 ヘイゲンはわざとらしく驚いた顔を作った。

「さすがじゃ。おおむね、その通りなのだよ。上空で、ではないが、確実に致命傷をいくつか与えたのだ。だが、逃げられてしまってね。少し後を追ったが、山の反対側へ落ちていったのだよ。そして、もう一度飛び上がることは無かった。見ていたかぎりではの」

 デッラは困っていた。

 明確な証拠がなければ、手ぶらで帰ってしまうことになるからだ。それは出来ない。

 そんな心情を読み取ったのかヘイゲンが続けた。

「死体はないが、戦闘があったことを示すものはある」

 ヘイゲンはそう言って両腕を広げた。周りを見ろとでも言う風だ。


 そこでようやく気付いた。今、デッラたちが立っているのは、半円にくり抜かれた木々の壁の中なのだ。

 山が見えていたから勘違いしていた。

 まるで爆心地だ。

 木々の切れ間で起こった衝撃が円状に広がったのだろう。

 よく見ると山の斜面もえぐれているように見える。


「ここで戦ったと?確かに大変な戦闘があったようですね。……失礼ながらヘイゲン様は、どのようなお力を」

「魔法の知識が少し、あるだけじゃ」

 デッラは、フィセラが森を爆破し霧を払ったとは思えなかったが、この老人には妙な力を感じていた。

 少し考えこもうとしていたデッラにヘイゲンは暇を与えなかった。

「これが最後じゃ。お主たちにやろう」

 ヘイゲンは足元に置いていた布袋に持ち上げた。

 ジャラッと音を立てながら持ち上げられたそれはかなり重そうだ。

 デッラはそっと受け取り、袋の口から覗き見た。

「銀貨?これは一体?」

 デッラはある貴族に賄賂として金貨を渡されそうになった記憶を思い出していた。

 中をよく見ろ、とヘイゲンが促す。

「これは……鱗?まさか!白銀竜の……少し時間をいただいても?」

「もちろんじゃ。それが本物かどうか、じっくりと確認するとよい」

 そう言うヘイゲンは、彼らの後ろにいる灰の獣槍を手で示した。

 デッラとマクシムが鱗の鑑定が出来ないことはお見通しなのだ。


「これが白銀竜の鱗。この小さな鱗一枚に驚くほどの魔力が入っています。本体から離れても、これほどとは……凄まじい」

 先ほど木々に魔力が通っていると言った男が鱗を鑑定していた。

 と言っても、鑑定魔法は持っておらず魔力を計るだけだが、それでも意味はある。

 男がデッラに鱗を返そうとするとマクシムが乱暴に奪いとった。

 そしてすぐに、両手でそれを割ってしまった。

「何してるんだ!貴重な証拠なんだぞ!」

「本気を出した。それでようやく割れた」

 マクシムは、それだけ言って鱗を雑に返した。

 デッラは割れた鱗を見ながらつぶやく。

「本物か……」


 ヘイゲンのもとへ戻ったのはデッラ一人だった。

「正直に言うと私たちは、これ等は白銀竜討伐を示す証拠足りえると考えます。ですが、最後にそれを信じるのは我が国王です。おそらく心配はないと思いますが……」

「聡明な王ならば、必ず真実を信じるはずじゃ」

 デッラはその通りだと頷いた。

「それでは、お二方も我々と一緒に王都へ。王国民があなた方を英雄として迎えるはずです」

 ヘイゲンはその言葉を聞いて自分のひげを撫でた。

「それには及ばない。それにこの事実は公表して欲しくないのだ。わしらは平穏を望んでいる。すでに聞いたと思うが、わしらは転生者じゃ。かつて持っていた使命がこの世界では、違うものになったのだ。デッラよ、わしらのことは王だけに、伝えてはくれぬか?嘘を伝えてもよいぞ。」

「そんなことできません!白銀竜の死が王国にとってどれほどのことか!……いや……平穏、使命か……分かりました。ですが、王だけに伝えることは出来ません。王の信頼も厚く人望のある貴族数人にだけ、報告をすることをお許しください」

 ヘイゲンは黙ってゆっくりと頷いた。


「フィセラ様。あなたは我々の恩人であり、英雄だ。もちろんヘイゲン様も。ぜひ、王都へ立ち寄った際は王城へ。王がなんでも望みを叶えてくださるでしょう」

「じゃあな、また会おう」

 すでに灰の獣槍は木々の中へ消えてしまっている。

 残ったデッラとマクシムが、フィセラ達に別れを告げていた。

 

「今なら快適に帰れると思うよ。なんだか森が……静かだから」

 フィセラがニヤッと笑って、討伐隊を見送った。

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