あたたかな村の平和(3)

 フィセラは村に滞在しているこの1か月の間にギルド拠点ゲナの決戦砦へは戻っていない。

 その時間はたっぷりあったが、戻る気が起きなかった。


 村長が言うにはアゾク大森林に人間が入ることはめったになく、実際に亜人を見たこともないらしい。

 それならば砦の中を荒らされることがないだろうと思っていたのだ。

 拠点が無事であるなら急いで帰る必要はないと思い、足を向けられなかった。

 いつか異世界旅行にでも出るときに砦の宝物庫にあるアイテムを取り行けばいい、そのぐらいに考えていた。

 そのため、このアゾク大森林に入るのは転移したあの時から1か月ぶりだ。

 

 彼女にとっては転移してきた夜に駆けた森へ戻ってきたことになるが、あの日から状況は変わっていた。

 大山に降り立った白銀竜の気配に怯えた奥地の魔獣たちが浅層まで来ている。

 それを知らぬフィセラ一行は森の中を進んでいく。


 フィセラはソフィー、フランクと共に森の中でフランクの先導のもと罠の確認を行っていた。

 フランクが以前から仕掛けている罠をいくつかまわったが何もかかってはいなかった。

 命の危険もなしに狩りをしているのだから、不猟は常なのだそうだ。

 そうして、次の場所、次の場所と罠場を巡る。その繰り返しだ。


 フィセラはふと、大山がある方向へ目をやる。

 ――この森まで来たら数時間で砦まで戻れるんだけど……いつ帰ろうかな~。


 フィセラははるか遠くにある砦の方角を見ながらフランクの後をついて歩いていた。

 森の中は歩きにくいということはないが、整備された道があるわけでもない。

 フランクはそんな道なき道を迷うことなく進んでいる。


 ただ黙々と黙って歩く後姿からは、普段も仲間など連れず一人で狩りをしている姿が想像できた。

 先ほどまで軽口をたたいていたことも相まって、黙って進むフランクの後ろ姿に寂しさを感じてしまった。


「ねえ。村長がこの村には狩人が一人だけって言ってたけど、あんまり儲からないんじゃないの?普通に畑とか耕してる方が安全でしょ」

「儲かるどうかと聞かれると厳しいですが、これは村に必要な仕事なんです」

「そうなんだろうけどさ~」

 フランクはフィセラ達を振り返らずに小さくつぶやく。

「特に、今年は」

「今年は?なんで?」

 フランクは驚いた顔で振り返った。


 今の言葉は彼女たちに聞かせるつもりで発した言葉ではないようだ。

 そんな違いをフィセラの聴覚が分かる訳もなく無自覚の聞き返してきたことに、フランクは不意を突かれて驚いてしまった。


 フランクはソフィーを一瞥して、わざとらしくため息を吐いて話し始める。

「もともと狩人の役割は森から村に出てくる獣を相手にすることでしたが、そんなことはめったに起こらないので、今では罠にかかった獲物を持って帰るだけです」

 フランクはソフィーも話を聞いていることに気づき、すこし付け加える。

「もちろん、森の歩き方や道具や罠の使い方は狩人しか知らない特別な技術だぞ」

「わかってるわよ。それで?」

 ソフィーが話の続きを催促した。

「ああ。……ほとんどの狩った獣は、俺たちはすぐに食いません。長く持つように加工してから冬の貯えとして保管するんです。街に毛皮や牙を売ることがありますが、それも冬を超えるための村の資金にしています」

「それが狩人の役割ってことね」

「そうです。畑や家畜の世話とは違う、冬を越すためのたくわえを作ることがこの村での狩人の仕事なんです」


 そこでソフィーがあることを思い出す。

「貯蔵庫の中って、あいつらが全部……」

「あいつら?……あ~盗賊か」

 ここでフィセラも大方の事情を察した。

 この狩りの重要性と現実の厳しさも。

「冬ってそんなに大変なの?」


 現実では2084年、フィセラは冬の寒さを知らなかった。


「いや、大変というほどでは、準備さえしていれば少しの辛抱で冬はすぐに過ぎていきます。まあ、今回は村の何人かを街に送るかもしれませんが」

 ――送る?


 フィセラが知ることはないが、この送るとは街に人を売りに行くという意味だった。

 つまり奴隷だ。

 街で出稼ぎや奉公として働けるのは、街の住人だけだ。

 何のスキルも持たない村人では奴隷という選択肢しかない。


 ソフィーはその意味を知っていたし、売りに出すならだれが一番価値があるかも分かっていた。

「お父さん。食料とお金はどのぐらい必要なの?」

「……お前は気にするな」

 現実的なところ、それらを揃えることが出来ないのだから、フランクの言葉に効果はない。

 フランクにはソフィーを無駄に心配させるつもりはなかった。


 当然、娘を手放すつもりもない。


 そんな覚悟を持っていても、時間は止まってはくれない。

 そんな焦りが疲労として現れる。

「あ、ああ、予定になかったが少し休憩しようか。ソフィーはもう疲れただろう?」

「休憩?まあいいけど、それよりお腹すいたよ」

「まだそんな時間じゃないが、スープを作ろう。森の中は日の光が木々に遮られて気づかない程度に気温が下がっていることがあるからな。体を温めるのは大切なんだ。フィセラ様もどうぞ」

 そう言いながら、フランクは慣れた手つきで背負っていた荷物からいくつかの道具を取り出している。


 フィセラとソフィーを木の根に腰を下ろした。

 体を休められるタイミングだが、フィセラは今の話について考えていた。

 ――冬のための狩りね。今日の感じだと他の罠も期待薄だけど大丈夫なのかな。私には全然問題ないんだけど、無視するわけにはいかないよね。……食材の生産スキルは使える。私のごはんがちょっと減るけど、村人の分も生み出せる魔力はある。


 フランクの付けた小さな火種が枯れ木に移り、水の入った鉄製の器を温める。

 焚火がフィセラの思考を落ち着かせた。


 ――私なら助けられる。……でも、私が村ひとつを助けてあげる理由は?すでに村長からは色々話を聞けた。ま、あんまり良い情報はなかったけど。元々村に滞在する理由自体が、この世界へ来た時にテンパってたせいで曖昧だし、重要な何かがある訳でもない。何より、めんどくさい。……面倒と言えば。フランクからの狩りの誘いを面倒だからって断って来たけど、もしかして結構前から助けを求めてた?


 フランクは沸騰しているお湯の中に何かの葉や実を入れている。

 スープというよりお茶に近いものかもしれない。


 ――う~~ん。動物何匹か倒せばいいか。食材生産スキルは気味悪がられるかもしれないからやめておこう。寒くなる前に砦へ帰って、村を出て街にでも……。


 人数分のコップにスープを入れ終わったフランクが、フィセラへ一番に渡す。

 どうぞ、その言葉を発しようとして突然に顔を引きつらせる。

 まるで信じられないようなものを見るような顔だ。


 フィセラの後ろ、振り返って手を伸ばせば触れてしまいそうな距離にそいつはいた。

 前に出た鼻、太く長い胴体から伸びる短い4本の脚、そして敵を突き刺そうという殺意さえ感じる大きな牙。

 彼女たちのすぐ近くまで迫ったいた巨大な猪が白い息を吐きだす。


 ――あ~、やばっ。

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