あたたかな村の平和
フィセラはベッドの上で体を起こす。
最近は、疲れがなくとも夜に目をつむって無理やり寝ることにも慣れてきた。
疲労が残ることも無いのだから、朝はとてもすっきりと目覚めることが出来る。
「朝か」
現実世界では昼夜逆転していたフィセラに、この本物の朝日(しかも2つも)だけはまだ慣れない。
フィセラがラガート村での生活を始めてもうすぐ1か月になる。
現在は村の端にある一軒家で一人暮らし。
盗賊討伐の依頼を受けたときにした約束通り、村長が家を用意してくれたのだ。
元の住人は盗賊に殺された、とははっきり言っていなかったが、そのぐらいの察しはつく。生活用品はほぼすべて揃っていたのだから。しかし、生活感も一緒に残されているのは少し気が引けた。
それでも、すぐに生活できるという面では助かった。
だが、いくら充実していようと文化レベルの違いには苦戦したものだ。
台所で一人文句を垂れる。
「お風呂入りたい。テレビ見たい、ゲームしたい……いや、今の状態はゲームみたいなもん?」
電気などあるわけがない。風呂は工夫すれば作れそうではあるが面倒だ。
フィセラは台所で水を一杯飲む。
井戸の水をろ過するアイテムがあるようで、きれいな水はいくらでも飲める。
村の飲料事情は知らないが、あるのはミルクやビールばかりできれいな水は無いなんて思っていたけど、このような生活用のマジックアイテムはどこの村にもあるらしい。
一応一安心だが、他にも不満はある。
とてつもなく暇なのだ。
当然ながらこんな小さな村に娯楽があるわけない。
さらに言えば、娯楽などに費やす時間は村人にはない。
畑仕事に家畜の世話、街に売る小物を作るために朝から晩まで働いている。
暇があるなら寝るか子を残すかしている。
村人の全会一致で仕事を免除されているくせに、何もせず暇だと嘆くフィセラは優雅に朝食の用意をしていた。
「この時間だけが楽しみになっちゃったよ」
村人が時折、食糧をまとめて持ってきてくれる。だがパンや干し肉、畑でとれた野菜を繰り返し食べるだけ。香辛料や調味料などないため、味もない。
これには三日もしないうちに飽きてしまった。
どうにかできないかと考えて、あることを思い出したのだ。
自分が「放浪者」であることを。
もちろんそのままの意味ではなく、ジョブとしての「放浪者」だ。
このジョブは放浪者特有のスキルや能力を持つことはない。代わりに持つ複数の職業への転職こそが最大の能力なのだ。
戦士・盗賊・弓兵・探索者・魔導士・召喚士など定番の職業にはほとんど転職できる。
さらには、副次職である支援・生産・特殊職にだってなれる。
もちろん、制約や制限はある。
いわゆる器用貧乏だ。明らかに戦闘向けではない。
そんな職業が、この世界では真価を発揮していた。
フィセラは自身が転職できる職業の中から、<料理人>を選んだ。
少し前に、この職を持っていることを思い出してからは食事の色どりは何倍にもなっている。
「久しぶりに和食とか食べたいな。焼き魚?鮭とか?」
そう言いながら魚の切り身を調理台の上に、生み出した。
そう、料理人には食材の生産スキルがあったのだ。
続けて、米やみそも生み出していく。
当然、これらの食材は現実にあるようなものではない。
スパイクヘッドサーモン・温米・和道みそ。アンフルにしかない食材だ。
通常の料理人にこのようなスキルはない。
それもそのはずだ。
このスキルは料理人を最高レベルまで鍛えることで手に入れることが出来る最上位スキルだからだ。
アンフルプレイヤーで生産職を選択するものはいても、料理人で120レベルはなかなかいない。
それ以外の生産職も同様であるため、この世界ならばあるゆる分野でかぐやの名を残せるだろう。
そんな野心があるはずもなく、フィセラは食材を見事な技術で調理していく。
料理などしたことがなかったフィセラとしては、無意識で包丁を巧みに操る自分の手を見ると、「転生」の言葉を実感する。
二人分の焼き鮭に味噌汁とお米。
これだけ揃えば、壮観だ。
「お!来たな」
フィセラはこの家に近づく足音をとらえた。聞いたことがある足音だ。
というかここ1週間は毎日聞いている。
コンコンと扉がノックされる。
誰が来たのかは分かっていた。
「空いてるよ」
少女が扉を開けて、家の中に入る。
「おはよう。フィセラおねえちゃん」
「おはよ、ソフィー」
ソフィー。赤毛の村娘。以前村長宅で出会った異世界住人ナンバー3だ。
少し前にハンバーグ(スキルで生み出したもの)を食べているところを見つかり、黙ってもらう代わりにハンバーグをあげたらかなり気に入ったようで、毎日家へ来るようになってしまった。
フィセラ自身もソフィーを追い出す気は無く妹のようにかわいがっている。
それに、独りでの食事より、かわいい女の子との食事の方がおいしいのは当然のことだ。
「今日の朝ごはんは何?」
「和食だよ」
「うぉー!おいしそう!」
――和食知ってんのか?こいつ。
最近は妹よりも、ご飯目当ての野良犬か野良猫の世話の感覚が強い。
「私の……故郷のごはんなんだ」
「フィセラおねえちゃんの故郷のごはん?それならおいしさは保証されてるね」
ソフィーはなぜか得意げに親指を立てる。
――餌付けしすぎたな。最近はきっちりごはんの時間に家へ来て食べられるだけ食べて帰っていくしな。今度変なの食べさせようかな。
待ちきれないというソフィーをなだめるようにフィセラが声をかける。
フィセラの右手には濡れた布が握られていた。
「ごはんの前には?」
「あ!手を洗う!」
そう言ってフィセラから濡れた布を受け取り手を拭く。
これを教えた最初はどこか貴族の令嬢なのかと疑われていたが、今では素直に聞くようになった。
「さあ、食べようか」
「うん!」
二人で椅子に座り食事を始める。
フィセラは最初に鮭を食べやすいようにほぐしてから、みそ汁を一口飲む。
だが、ソフィーはまだ何にも手を付けていない。
「これは麦?でも真っ白。食べるのがもったいないぐらいきれい」
「それは米。いいから食べなさい」
「このちょっと泥みたいなスープは」
「それは……」
――味噌って言ってもわからないよね。
「いいから食べなさい」
「きれいな色の魚だね」
ソフィーは美しいピンク色の身に見とれている。
「魚食べたことあるの?」
――この辺りに海はないって聞いたけど。
「川とか湖の魚だよ。時々お父さんがとってきてくれるの」
――普通の魚は知ってるんだ。スパイクヘッドサーモンの実物は見せない方がいいかな。びっくりしちゃう。
「骨はないから、そのまま食べていいよ」
アンフル産の食材は特別製だ。
「うわぁ、何から食べれば良いのか迷う」
いちいち感動している彼女には言いにくいが、これはほかの村人には秘密の食事会である。
なるべく早く食べてほしいものだ。
「……早く食え」
アンフルの料理はすべて魔法的効果があるバフアイテム程度の扱いだった。本格的に料理を極めるプレイヤーも少なかった。
それはアンフルに味覚の機能がなかったことが大きな理由である。
プレイヤーは、視覚だけでは料理を楽しめなかった。
第六感までの再現、という宣伝文句があったがあれは嘘だ。だが、五感までの再現は真実だ。電脳の中でなら現実と見まがう世界をつくることが出来たのだ。
だが、それが問題となった。現実と仮想の区別を付けられない人々が現れてしまったのだ。
そうして、区別のためにも娯楽用フルダイブシステムには味覚や嗅覚は搭載しないことが決められた。
フィセラが作った料理にはかすかに能力値を上げる効果が掛かっているが、その効果を倍増させる料理人スキルを使っていないためレベルの低いソフィーでは気づかないだろう。
元から効果は気にしていない。見た目も重要ではない。この世界では、需要なのは味だ。
知らなかった味、匂いがそこにあった。
フィセラは一口を味わうように食べていたが、ソフィーを食べ始めると料理をどんどん口に放り込んでいく。
まるで兎とカメのように食事を始め、二人がちょうど同時に食事を終えたところで、ソフィーが話を切り出した。
「フィセラおねえちゃん。明日は何か用事ある?」
「うーん、どうかな~」
暇だと言いながら、何かを行うのも面倒なのだ。
「いや、無いよね」
――こいつ!私に懐いてくれてると思ってたけど、もしかして結構なめられてる?
「はいはい。ないですよ~。明日なんかあるの?」
フィセラは机に頬杖をついて気だるそうにする。
対してソフィーはにこやかな笑みを崩さない。
「お父さんに、狩りに行かないか誘えって言われたの」
ソフィーの父親はケガをして寝込んでいたが、最近は体力が戻ってきている。
村長が町で買ってきた薬が効いたようだ。
そのおかげで元気になったが、フィセラを何度も狩りに誘ってくるのだ。
――とうとう娘まで使ってきたか。
「明日は私も行くの。やっと、一緒に行ってもいいって言われたんだ」
「へー……え!ソフィーもいくの?」
「うん」
「危なくない?」
最近知ったばかりではあるが、ソフィーの歳は14。森の散策ならまだしも、狩りを行うには少し早いのではないだろうか。
「うーん、フィセラおねえちゃんも一緒なら大丈夫!」
フィセラはがっくりと首を落とす。
逃げ場はないようだ。
――これも私を誘うためだとしたら、あの父親には一度きつく言わなきゃね。
少しだけ怖い顔を作るフィセラと彼女の分まで皿を片付けるソフィー。
フィセラは片付けと皿洗いのスキルだけは、残念ながら持っていなかった。
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