はじめての村に到着(3)
俺は悪人じゃない。運が悪いだけだ。……それだけだ。
ロージ・シャンドルは一般家庭に生まれ、ごく普通の幼少期を過ごした。
両親は共働きで、兄が二人と妹が一人いる。
歳の離れた兄は兵役についており、あまり会うことはなかったが、ある日冒険者バッジを持って帰って来た時は見せてくれとせがんだことを覚えている。
それを両親がどう思っていたか分からないが、少なくとも、息子の顔を見る機会が増えて少しは喜んでいたはずだ。
ある日、父親が突然仕事を失い借金を背負ったときに、口減らしのため奴隷商へ売られそうになったことがある。
その時は奴隷が何かをよく知らなかったが、兄は知っていたのだろう。
父親のいない時を狙って、護衛の依頼を受けたことがあるという商隊に下男として預けられた。
まさか、それきり家族に会えないとは思っていなかったが、商隊での仕事の忙しさからか涙は出なかった。
まともな衣食住を与えられ、思いのほか充実していた少年期だ。
ある日、街で仕事を行った翌日の朝、商隊は俺を置いて行った。
ただ忘れたのか、口減らしか、それとも少年趣味の商隊長の眼鏡に適わなくなったのか。
どうしてかなど今更分かるはずもない。
そんな身寄りのない子供に向かって、まっとうに生きろ、なんて説教じみた言葉をかけてくれる大人はいなかった。
誰かの使い走り、汚れ仕事、裏世界で生きていくしか道はなかった。
故郷を探していたわけじゃないが、街をすぐに離れた。
悪さをすれば自然と街をはなれ、色々な街を渡り歩くことになる。
いくつか街を転々とし、この都市フラスクに行きついた。
もちろん故郷じゃない。だけど、たぶん故郷は近くにあると思う。感じたことのある「匂い」がするんだ。
この街の盗賊団に入団してからは色々やった。
少ししたらここも離れようと思っていたけど、抜けるタイミングを逃しちまった。
そして今、馬鹿な団員がへまをやらかして衛兵に追われるようにこの村まで逃げてきた。
それがこのラガートっていう村だ。
それからはここでこうして1か月も潜伏して、ほとぼりが冷めるのを待っている。
どこで道を見失ったのか。
逆にしっかり歩いているのかもしれない。
意味のないつまらねえ荒れた道を死ぬまで歩き続けるのかもしれない。
男がつい顔をしかめる。
日の光が窓の隙間から、彼の顔を照らしていた。
こんなに日が昇っていたのか。
ロージは日光の残像が残る目を細めながら、ゆっくりと寝床から立ち上がる。
寝床と言っても薄布が引かれているだけだが、いつも酒の力で倒れるようにして寝ているのだから、気にはしていない。
こことは違う部屋にもう少し整えた部屋があるのだが、そこは男どもが他のことに使っている。
この時間、ほとんどの仲間はまだ眠っていた。
ロージも普段ならもう少し寝ていたい時間だが、今日は街道を見張っているチームへの補給当番だった。
街道組はあんな森の中に何日もよくいられるな。
ほとんどがスラム出身だから虫やら獣の気配は気にならないのか?
育ちがいいってのは罪だぜ。
まぁおかげで、集会所でのんびりできるんだがな。
そんなことを考えながら、床に落ちていた古い布袋にいくらかの食料と酒を詰め込む。
何日分かなど数えていない。目についたものを適当に放り込んでいるだけだ。
そうして準備を終えて、この時間から届けに行けばどれぐらいで帰って来られるかを頭の中で計算していると、奥の部屋から人が出てくる。
こんな時間にあの馬鹿どもが起きてくるわけない。と言っても警戒するわけもなく、誰が出てきたのかを見ていると女が二人、体を小さくしながら暗がりから姿を現した。
急いで服を着たのか、元からなのか、はだけた服でこっそりと部屋から抜け出してきたようだ。
声をかけずに静かに立っていたからか、二人はロージに気づくのが遅れた。
驚いた二人が口を開く前にロージが外への扉までの道を開ける。
「早く帰りな」
目を合わせず低い声で促すと、一拍遅れて二人は動き出す。
ロージの前を通り過ぎて外へと駆けていく後姿を見ながら、ため息をつく。
正しい生き方なんて望まねぇ。
くだらない真似もしないと誓ってきたが、俺はもう遅いのかもしれねぇな。
「かっこつけやがって」
すぐ近くから声が聞こえた。
声に聞き覚えはあるが、その声の主の姿が見えない。
部屋を見渡していると、うめき声を上げながら机の下からぼろ布が這いずってくる。
ぼろ布を剥いだ下には女がいた。
「あたしの酒はどこだ~?」
女はそう言いながら、机の上に手を伸ばしすぐに酒瓶を見つけた。
衛兵に捕まらなかった現在の盗賊団では、唯一の女だ。
名前はネイマ。
女と言っても、知っていればそう言える程度の女らしさしかない。
酔っていなければ相手をしてくれるなんて噂があるが、ロージには興味がなかった。
村人から巻き上げた酒の半分はネイマが飲んだと言っていいほど、この1か月は酒浸りである。
「におうぞ。ネイマ」
長く体を洗っていないのはロージも同じだが、その上から漂ってくる酒の匂いにさすがに顔をしかめる。
「なんだって~?」
呂律の回らないしゃべり方でこちらを覗きこんでくる。
床で胡坐をかいているネイマがそうすると、必然的に見下ろす形になる。
「なんだその目は?生意気だぞ」
「……そうだな」
こんな奴は無視していくか。
「それと、酒はもらっていくぞ。道中の水代わりだ」
ロージが黙って酒を奪い取ると、ネイマが声を荒げる。
「おい!なにすんだ!……まったく、まだ機嫌が悪いのか」
決して機嫌は悪くない。
それでも、子ども扱いされているようで、少し、癪に障った。
「こんなことになったのはしょうがないってのに、まだ文句があるのか?」
「しょうがない?何がしょうがないんだ!」
ロージはつい声を荒げてしまった。
「奴らがへまをしなければこんなことにならなかったんだぞ」
そういいながら、奥の部屋を指さす。
ロージのいら立ちは収まらない。
「貴族の荷馬車に手を出しやがって、しかも荷物を自分で売ろうとしやがった。馬鹿どもが!」
「商人の馬車に偽装してたんだ。貴族のものだって知っていたら奴らも手を出さなかったさ」
「商人が麻薬なんて運ぶわけないだろ!」
「荷物の中身が先に分かるなら、占い師でもやってるよ」
ああ、確かにな。
そうやって毎日博打を打ちながら生きていくしかできないのが俺たちだ。
そうだとしても、他人の負けに付き合わされるのは気分がいいことじゃねぇよ。
一月前、盗賊団の仲間が街道で馬車を襲った。
それ自体は、いつものことだ。
だが、その日に標的とされた馬車が実は貴族のもので、しかも荷物は麻薬だったなんてことは想像もできなかった。
普段の仕事では殺しはしない。
奪うのが荷物だけなら、衛兵も犯人探しに本気にはならないからだ。
貴族の馬車を襲ったときも、馬鹿どもが御者を殺さずに帰ってきやがった。
そのせいで、犯人が俺たちだとバレた。
貴族が自分の犯罪を隠すためにも俺たちに懸賞金をかけて、都市の衛兵に命令を出して俺たちを追っている。
俺らみたいな犯罪者は、生き死に問わずが基本だが今回は生きて捕縛されても裁判もなしに死刑だ。
逃げるしかなかった。
こんな王国の端まで。
だってのに、こいつは何でこんなにお気楽なんだ。
ネイマは次の酒瓶をさっきまでかぶっていた布団の中から取り出し、飲み始める。
「まあ、貴族様は当分あきらめないだろうね。自分の首が懸かってんだからさ」
「そうだな。俺らはあとどのぐらいここに潜伏してればいいんだ?」
「さあね。半年もすれば、衛兵が適当な罪をでっちあげてそこらの市民を貴族に差し出して解決するさ」
半年なんて、持つわけがない。
村を1回りすれば気づくはずだ。
村人も限界だと。
すぐに殺し合いが始まるぞ。
今日までは恐怖で押さえつけていたが、数では圧倒的に不利だ。
殺される前に俺がこの馬鹿どもを殺して、村人に投降するか。
フッ、両足折られるぐらいで許してくれるかな。
「……もう行く。これを届けなきゃいけないんだ」
ロージはそう言って手に持っている袋を持ち上げた。
「おぉ、気をつけな~」
ネイマがにこやかに送り出す。
ロージが扉に手をかけたその時に、背後で大きな音がした。
ネイマではない。それより奥にある部屋からの音だ。
ネイマも何があったのかと、奥の部屋を見ている。
「また奴らが暴れてんのか?」
「暴れる?女はさっき帰っていっただろう。あいつらしかいないぞ」
「じゃあ喧嘩でもしてんのか?こんな早朝に?止めて来いよロージ」
ネイマはなぜかロージを仲裁に向かわせようする。
自分で行く気はないのだろう。
「放っておけ。怪我でもしていた方がおとなしくなる」
放置と決めて、ロージは改めて外に出ようとする。
すると今度は男の怒鳴り声と人の倒れるような音がしてまた手を止める。
さすがに様子を見に行った方がいいかと思ったところで、音が止んだ。
唐突に訪れた異様な静けさにロージは異変を感じ取る。
「おい、起きろ」
すぐ近くで寝ていた盗賊仲間を足で蹴りながら目を覚まさせる。
続いて周りで寝ていた他の仲間たちも、何事かと目を覚ます。
「どうしたんだ」「知らねえよ」「飯の時間か?」
ほとんどが寝起きで状況など分かるわけもない。
口々にしゃべりだしたため、先ほどまでの空気が緩む。
だが、ロージだけは奥の部屋(彼は扉の前に立っているため、奥の部屋自体は見えない。部屋に続く廊下が見えるだけだ)から視線を外さない。
喧嘩の雰囲気じゃない。
誰か死んだな。
衛兵が来たのか?それとも村人が暗殺者でも雇ったのか?
最悪だ。俺らはここで終わりだな。
俺だけでも……。
ロージは奥の廊下から視線を外さずにゆっくりと扉に近づき、いつでも外へ逃げられるよう陣取る。
そのとき、寝起きの男たちの声に紛れてドアのきしむ音がかすかに聞こえた。
ロージが立てた音じゃない。彼はまだ扉には触っていない。
ということは奥の部屋の扉が開かれたということだ。
ネイマもいつの間にか、立ち上がり瓶を片手に構えている。
周りの男たちはそれを不審に思っても、もう戦闘が始まっているということには気づいていない。
知らせた方がよかったのかもしれないが、今喋れば相手にもそれが聞こえてしまう。
盗賊たちは全員油断している、と思わせた方が有利だとロージとネイマは考えていた。
ようやく姿を見せた敵を見たとき、ロージは驚きのあまり何もできなかった。
絶世の美女が現れたのだ。
男たちも思わず感嘆の吐息を漏らしている。
金髪の女が弓矢を手に持ち、こちらを見ていた。
薄暗い部屋の中、輝く水晶のような青い瞳がこちらに向けられ、身動きが取れない。
かろうじて、敵を想定していたロージとネイマが平静を取り戻す。
弓矢。武器だ。そうだ、こいつは敵だ。しっかりしろ!俺!
女だからって動揺するな。
……武器は弓矢だけか?室内で?全員でかかれば押さえられる!
美女を見ても思考を奪われなかったネイマが大声で一喝する。
「あいつは敵だよ!あんたら立ちな!」
ネイマが床に亀裂をいれて踏み込み、突進しようかという体制をとった瞬間、すごい勢いで後ろへ飛んだ。
何をバカなことをしているのか。そのまま倒れこむネイマの顔をみて、皆が唖然とする。
額のど真ん中に矢が刺さっている。
飛んだのではなく、矢が刺さった衝撃で吹き飛ばされたのだ。
仲間の死を目の当たりにしてようやく男たちが意識を覚醒させた。
ロージを抜いた6人の男が一斉に女へと襲い掛かる。
そのうち半分は素手のままだが、ナイフや剣を素早くつかみとっていた者もいる。
そして、女の近くにいた先頭の3人が、同時に爆ぜた。
は?
なんだ、今のは!?
矢じゃない。魔法を使ったのか?くそ!
3人が同時に死んだ。
続いて女に向かっていた男たちも目の前で死んだ仲間を見て突進を後悔するが、もはや勢いは止められない。
女は、今3人を殺したように同じことをすればいいだけだ。
それで終わる。全員死ぬ。
ロージがそう気づいた瞬間、すぐ後ろにある扉へと体当たりする。
丁寧に扉を開けている余裕なんてなかったのだ。
思いのほか扉が軽く、ロージは外へと転がってしまう。
彼は素早く立ち上がり集会所を後にして逃げる。
なぜだか頭が冴えている。周りの風景や音がすべて把握できる。
集会場の隣を走りながら、残った仲間が倒れる音が聞こえた。
魔法で死んだのか、弓矢で撃たれたのかは分からないが、おそらく死んだ。
「あー!」
すぐに女の場違いな声が聞こえた。
俺が逃げたのに気づいたのだろうか。
とにかく全速力で逃げようとするが、後ろが気になる。
あいつは弓矢を持っていたんだぞ。
逃げていく相手なんて格好の的だ!
くそ!
どうすればいい?
少しだけ首を回し横目で後ろを確認する。
すでに女が外に出てきていた。
もう弓矢を構えようとしている。
1秒にも満たない一瞬の後、ロージは意を決して立ち止まり両手を挙げた。
振り返りながら、大声で叫ぶ。
「降参だ!撃たないでくれ!……頼む!」
その場で力なく膝をつき投降する。
女は驚いた様子だが、まだ弓に矢は番えられていなかった。
こんな全力で走ったのは久しぶりだからだろうか少し耳鳴りがする。
甲高い音に顔をしかめたくなるが、両手を下げずに投降の意思を示し続けなくてはいけない。
「俺はもう逃げないから!だから……」
女が困ったように、後頭部に手を当て何かしゃべっている。
ロージはかろうじて彼女の言葉を聞くことが出来た。彼の人生最後に聞いた言葉は。
「あちゃ~」
フィセラが空高くに放った矢は、風切り音を立てながら、ひざまずくロージの頭を正確に打ちぬいた。
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