プロローグ(3)

 闇はすぐに晴れた。それは瞬きほどの明滅だった。


 フィセラの視界に光が戻る。

 さっきよりも拠点内が暗いように感じるが、その程度を気にしている余裕はない。


 何が、起きたのか?

 何か、起きたのか?


 フィセラが<王都の浮上>を使うのは初めてだ。動揺も仕方ないだろう。

 戦闘音は聞こえない。

 静寂、かと思うと、背後で何かが崩れる音がした。

 驚いて振り返るフィセラの目には、館の石壁とそこに突き刺さる槍が映る。

 槍によって壊された壁の石片が地面を転がっている。

 キリスに放たれたグングニルが本館に刺さり壁を壊したのだ。

 投擲武器は基本、命中しようと外れようと、所有者に帰属するアイテムなのだが(弓矢などの消耗品であれば、ただ消滅するのみ)、まだそこにあることに違和感を覚えた。


 槍に近づこうとして、ある光景が脳裏に浮かぶ。

 眼前まで迫った槍の矛先を思い出したのだ。

「あれで当たらなかったの?ほんとに?」

 フィセラは自分の顔をペタペタと触り、傷がないか確かめる。

 途中からはゆっくりと自分の頬をさすりだした。

 いつもと感触が違うように思ったのだ。

 アンフルは最新のフルダイブ型ゲーム。当然、触感覚は再現されている。

 だが、いつもよりも何か……。

 ――まあ、いいか。緊張かな?


 体調によってフルダイブ機能に変化が起こるのは研究によって明らかにされている。

 戦闘後、感覚が敏感になることはよくあることだ。


「それよりも!」

 残された槍や感触よりも気にすべきことがある。

 フィセラは柵から身を乗り出して城門前を注視する。

 門前広場には、一人の兵士のみ。戦闘が終わり自動生成された兵士は消滅したようだ。

 先ほどまでいた、天使たちは見当たらない。


 ようやく、体から力が抜ける。

 自分自身が戦っていたわけではなくとも、やはり緊張してようだ。

「間に合った~。ぎりぎりだったね、今のは」

 手元のアイテム<王都の浮上>の効果が無事に起動されたことを喜びながら、貴重なアイテムをアイテムボックスに戻そうと考えると、目の前の空間に急にボックスが開かれる。

「あれ?今わたし何も押してないよね。なんで勝手に開いたの?……あ~そういえば、コンソール使えないのか」


 ゲームシステムを破壊する100レベルアイテム。それを使用すると、一時的にだが ゲームコンソールの出現しないバグがある。

 もちろんこれはバグではなく、使用ペナルティとしてゲーム運営が設定した仕様である。

 ルールを覆すほどの効果を発揮すると、自分にも影響が出てしまう。

 改善のされない、冗談半分の仕様だ。 


 ――でも、勝手に開くっけ?動作で反応するのかな。

 コンソールが使えないとかなりゲーム内での動きを制限されるため、このバグもとい仕様は不評であったのだが、改善されたようだ。

 フィセラは素早くアイテムをボックスにしまう。


 そして再度、広場の方へ眼を向けた。

 よし、と言うと柵から数歩下がり姿勢を作る。

 助走をしっかりつけてから、柵に足をかけて大ジャンプ。

 そして広場に華麗に着地。

 だが、またも違和感を覚えた。

 普段なら、ショートカットだと言って飛び降りてもダメージを受けることはない。

 今回も当然ダメージはない。

 だが、鈍い衝撃が体の「内側」にあるようだ。

 ――高低差のダメージ判定細かくしたのかな。変な感じ。

 フィセラはそれでも気にせず、門の方向へと走り出す。

 広場というだけに門までは距離がある。

 そのおかげで、走りながら、落ち着いて考える時間が出来た。


 目の前にまで来た槍が当たらなかったのは、直前で<王都の浮上>の効果がしっかりと発動してくれたからだろう。

 転移という回避により生きたまま、拠点と共にこの場所に来ることができた。

 もしフィセラが死亡していれば、転移に置いて行かれたフィセラとギルドメンバーはこの拠点を探さなければいけないところだっただろう。


 フィセラが、今こうして門まで走っているのは、ランダムで選ばれたここがどこなのかを確認するためだ。

 王都の浮上を使ったことがある者に話を聞くと、転移先には制限がなく危険エリアにも転移してしまう可能性があるらしい。

 だからこそ、確認が最優先なのだ。


 フィセラはいつの間にか、門の近くにぽつんと立っているNPCのもとまで来ていた。

 見事な鎧をまとう大柄な戦士だ。

 本来頭がある位置にはライオンの頭が乗っている。

 ――被り物……じゃないよね。たしかライオンの獣人?だったっけ。

 鎧もライオンをイメージして作られたのだろう。胸の部分にも大口をあけたライオンの顔があり迫力がある。

 まさに獅子を彷彿とさせる戦士である。


 本来彼は、2重門となっている塀の中に作られた部屋で待機している。敵が来れば一番に戦闘を開始する門番なのだが、ここまで後退させられたのだ。

 NPCの中では最高レベルに位置する彼だからこそ、生き残ることが出来のだろう。

 おそらくHPはほとんど残っていないはずだ。回復してあげる暇はないが、働きを褒めておくべきだと思った。

「頑張ったね」

 あまり関りがないNPCのため、こんなに顔をまじまじと見たことがなかった。

 ――なんかリアルだなー。見られているみたいでちょっと恥ずかしいや。

 フィセラはつい目を逸らしてしまう。

 このままにしておくのは忍びないが、今はゆっくりしている時間はない。

 あたりを見渡しながら、やるべきことをリストアップしておく。

「まずは門の修繕、広場も直さなくちゃだね。皆が戻るまでは扉は閉めておかなきゃ。蘇生できる子は蘇生したいな…………すぐ戻るからね」

 獅子頭の戦士に別れを告げて、もう一度門へと走り出す。


 門のすぐ近くに来てようやく気付いたが、門の上それに左右の塀も何かが覆いかぶさっていた。

 フィセラは上を見上げ、目を細める。

 つい先ほどまでの時間と暗さから、これを夜空だと勘違いしていた。

「空じゃない、何かの天井?いや、向こうはむきだしの岩壁ね。どこかの地下に転移したの?」

 地下に閉じ込められる想像をしたが、すぐ目の前の壊された門の先は、外に繋がっているようだ。

 門の隙間から侵入してくる冷たい風がそれを教えてくれている。


 フィセラは恐る恐る、歩いて門をくぐる。

 外も暗い。夜なのは変わらないようだ。

 普通の人間であれば目が慣れたとしても自分の近くも分からない程の暗闇だ。

 だが、フィセラは視力がいい。すぐに門の外に広がる風景を見ることが出来た。


 そこには広大な森が広がっていた。

 森の終わりがすぐには分からないほど広大だ。

 高度があるのか、かなり遠くまで見通せる。

 今は大きな山の中腹にいるようだ。

 ――山の中に転移したの?もともと洞窟だった?何かをくり抜くなんてことはないと思うんだけど。都合がいいわ、これなら人に見つかりにくい。


 フィセラは周りに何かないかと観察しはじめる。

 近くに村か町があれば、エリアの把握はできるのだが。この景色だけでは、何も分からない。

 困り顔で見る範囲を広げる。もっと先まで、森の果てまで。

 フィセラの能力値は人間を凌駕するものだ。その視力が森を越えた遥か彼方に何かをとらえる。

 消え入りそうな小さな光。それがいくつか集まっている。

「光、自然光じゃないよね。……人だ。きっとあそこに集落があるんだ」

 フィセラの希望的観測ではあったが、事実、村を発見することが出来た。


 コンソールが出現しないか手を動かすがまだ反応はない。

 情報を得たいのであれば行動するべきだ。拠点も安全な場所にある。フィセラがこの場を離れる余裕はあるだろう。

 そう思ったフィセラは、1歩前へと踏み出した。

 

 まだ、フィセラの足はまだ城門の石畳の上にあった。

 その先には境界がある。

 まだ異世界と混ざっていない拠点と異世界を分けている境界だ。


 彼女は自分の足をようやく外の世界の地面へと置く。この一歩から、彼女の新世界での人生が始まった。


 この瞬間、真に「フィセラ」という一人が誕生したのだ。


 新たな魔王の出現がこの世界に何をもたらすのか。

 人の歩みを阻むために降り立った彼女を世界は歓迎するのか。


 ただ一つ分かるのは、彼女の生き方を決められるのは彼女だけだということだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る