第32話 エピローグ

英雄ホオズキが死んだあと、完全平和都市は荒れた。ホオズキは多くの市民の精神の支えとなっていた。それにエンカウントで現れる魔物がどれだけ強大だろうが倒してくれる。英雄がいるから犯罪者もいない。実際には隠蔽されていたのだが。

そんな英雄がいなくなっても都市はなくならない。協会と教会は英雄がいなくなった穴埋めに奔走していた。


そして、そんな英雄を殺した犯人を恨む人間は大勢いた。


もちろん、その犯人とはハームレスのことである。実際には殺していないが、市民にそんなことはわからない。真相は闇の中。実際、ホオズキの身を焼き尽くした青い炎のことはわからない。何かを知っているとしたら教会の上層部。もしくは他層の英雄たち。

それは今考えても仕方がない。


今アカシアとハームレスは都市中の人間から狙われているのだ。


公に知られていることは二つ。ハームレスは大罪人であるアカシアを逃がした。その後、不自然に英雄が姿を消したこと。

誰だってハームレスが殺したと判断するに決まっている。

ということでハームレスとアカシアは完全平和都市にはいられない。それにホオズキが残した言葉もある。


『魔王を倒して世界を解放したくば地下を目指しなさい』


死の間際、英雄ホオズキが残した言葉だ。ホオズキは許されないことをしていた。犯罪を隠蔽し、少数を犠牲にすることによる都市の運営。だが、その根底にあったのは都市の市民の生活を守るという善性。

悪いのは、そんな状況を強いる元凶だ。人類を地下に押し込めた魔王。そして英雄を操り絶望へと陥れる何者か。

だからハームレスはホオズキの言葉を信じることにした。

これから二人が目指す場所は第四層奴隷行楽都市。すべての人間が例外なく奴隷となり管理されている都市。

そのために今二人はダンジョン『アビス』の前にいるのだった。

 

「バベルの塔が使えたら、危険を侵さずに済んだのにな」


 全五層からなる人類の生活圏。その階層を移動する手段は二つある。都市の中心部に聳えるバベルの塔。そして都市外にあるダンジョン『アビス』である。


「仕方がありません。私たちは英雄を殺した大罪人扱いですから。ハームレス様の端末にある身分証を使えば捕まってしまいます」


情報端末を管理しているのは教会だ。犯罪者となってしまった以上、持っていては危険だから廃棄した。


「あぁ俺が冒険者で稼いでたポイントが全部消えちまったよ」


銀行を経営しているのも教会である。当然貯めているポイントは銀行が管理しているわけで。犯罪者の、それも英雄殺しのポイントを返してくれるはずもない。つまり今のハームレスは無一文である。


「一週間もたったことですし、そろそろ元気を出してください」

「いや、八千万だぞ! 八千万! 俺が冒険者稼業で命がけで貯めてきたポイントが全部消えちまったんだぞ!」

「まだチケットもありますし」


ポイントは情報端末で決済できる。

それとはべつに紙のチケットとしても現物化されている。ハームレスがいざという時のために隠し持っていたチケットでなんとかダンジョンに挑める装備や食料を調達できたのである。


「それも装備調達と食料調達でほとんど消えちまったけどな」

「ポイントはまた稼げばいいじゃないですか……」


 命がけで稼いだポイントをまた稼げばいいの一言で流されるのはものすごく不本意だ。絶対魔王を倒して英雄になったら、教会に請求してやろうと心に誓うハームレスであった。


「まぁ、その装備はいい買い物だったけどな」


ハームレスは改めてアカシアの格好を見た。

以前のアカシアとは別人となっていたのである。長く黒ずんだ金髪は芸術品のような輝きを放っている。そして煤だらけの顔は白く健康的な輝きを取り戻している。処刑前や貧民街に住んでいた時はまともなものを食べていなかったのだろう。ガリガリに痩せていた体はこの一週間まともな食事をとったことにより肉付きもよくなっていた。

さらにはワーウルフの素材により作られた白銀の鎧を着ていると良家の騎士様のような出で立ちになっていた。


「じろじろ見ないでください。恥ずかしいです」

「ま、いいんじゃないの? きれいになったな。本当に」

「ありがとう、ございます……」


バーで散々女の子を褒め慣れているからこういう言葉がスラスラと出てくるハームレス。

対して、ほめられ耐性がなく顔を真っ赤にして照れるアカシア。


「ねぇ、あなたたち自分がどういう身分かわかってる? いちゃいちゃしないでもらえるかしら?」


今、ダンジョンアビスの入り口にはハームレスとアカシア意外誰もいなかったはずである。それも当然でこのダンジョンに入って生きて帰ったものはいないとされているからだ。

それにここに来るまで誰にもつけられていないか最深の注意を払ってきている。

高レベル冒険者のハームレスに気付かれずにやってくるなんてどれだけの強者か。


「なんだ、オトギリか」


声をかけてきたのはオトギリだった。

黒い外套を羽織り仮面をかぶった暗殺者スタイルだ。

仮面を外し、表情が見える。その表情には明らかに苛立ちが現れていた。


「あの、お怪我は大丈夫なのですか?」

「あの程度大丈夫よ。だいたい治してくれたのあなたでしょう?」


ホオズキが呼び出した異形の冒険者たちを一人で倒しきってしまったのである。今回の脱出劇にオトギリがいなかったら、きっと今頃生きてはいなかっただろう。


「そうじゃねぇよ。変な薬飲んでただろ」


 あの時、怪しい薬を飲んで身体強化をしていた。しかも色と容器だけでしか判断できないが、冒険者が異形と化してしまった原因である薬と同じものを飲んでいたように思える。


「大丈夫よ。それにこれは組織の機密に当たるわ。あなたたちには教えられない」


この一週間ずっとこの調子だった。


「お前が良いなら、仕方ないな。どうせもう当分会えなくなるんだ。この件はまた会った時に問い詰めることにする」

「そうですね。私たちは最下層に行かなければなりませんから」

「ああ。やっぱりそういうことね。それなら私も一緒に行くわ」


一瞬、オトギリの言っている言葉が頭に入ってこなかった。


「はぁ? お前、どういうつもりだよ!」

「そうです。オトギリ様にはこの都市での生活と組織の活動があるじゃないですか。それに私たちは今から『アビス』に潜るんですよ!」

「危険だからお前は来るな!」

「なるほど。二人っきりの旅の方がいいから来るなってことね。さっきいちゃいちゃしてたのもそういうことなの」


 オトギリが今までにないくらい、冷たい視線でハームレスを睨みつけていた。


「してねぇよ! ていうかアカシアも何か言え!」


アカシアは茹蛸のように、真っ赤になって湯気を上げている。だめだ、こいつは役に立たない。こういう話に耐性がないのだろう。

まさか本当に惚れられているとうぬぼれる程、おめでたい思考はしていない。

なぜかは知らないが、夢の中で自分が女の子にモテるという幻想を破壊されたことだけは覚えているからだ。


「冗談はこれくらいにしとこうかしら。私があなたたちについていくのは組織の命令でもあるからよ」

「はぁ? なんで、組織がそんなことを命令するんだ?」

「知らないわよ。私はただ命令に従うだけ。でもあなたたちには有益な話よ。ほら、これを見なさい」


オトギリの手には二つの情報端末があった。


「それはまさか……!」

「ええ、そうよ。偽造端末。これがあれば、バベルの塔を使って第四層に降りることができるの。アビスを通るなんて無茶しなくてもよくなるわ」


アビスから帰還した冒険者はいない。

噂では英雄が鍛錬のために使っているとも言われている。そんな事前情報もない場所を通らなくてもよくなるのは、魅力的だ。


「でも、私たちは指名手配されてます。バベルの塔は使えないのではありませんか?」

「大丈夫よ。身分証もきっちり偽造してあるわ」


それでもリスクはある。


「顔は割れてるし、変装してもバレたら逃げ場はないぞ」

「リスクの話をするのなら、アビスを通る方がよっぽど危険よ。それにハムの口座の中身、こっちの偽装した端末の口座に移してあるわよ。本当にこの話蹴っていいの?」

「よし、バベルの塔から行こう!」


 即決であった。


「え? さすがにもう少し考えたが方がよろしいのでは? 決断が速すぎませんか?」

「よーく考えたから。魔王を倒すため、世界を解放するために必要なのはやっぱり、ね? 先立つものは必要かなって」


 さすがのアカシアもあきれ顔だ。


「で、本音は?」

「ポイントが戻ってくるぜぇ! ひゃっほー!」


人間の本質などそう変わりはしないのである。

むしろ英雄を目指してすべてを手に入れると決意した分、性質が悪くなってるまである。


「冗談は抜きにして、これからの活動にポイントは必要でしょう? 第四層に行くにしても身分証があった方が活動はしやすいわよ」

「確かに一理ありますね。わかりました。ハームレス様がよろしいのであれば。ただくれぐれも目の前の欲望に惑わされての安易な決断だけは、お気を付けください」

「大丈夫大丈夫♪」


世界一信用のできない大丈夫だ。

そうアカシアの表情は物語っていた。


「じゃあ、出発しましょうか」

「オトギリ、待て」

「何? まだ私がついてくることに言いたいことあるの?」

「ちがうって。先に渡しておくもの、あるだろ?」


ハームレスがにこりと笑う。過去一番の笑顔だ。


「まったく、まるで玩具を買ってもらった子供のようね。はい、偽装端末。これを受け取ってから『やっぱりついてくるな』はなしよ」

「そんなことしねぇから! はよ、はよ!」


ハームレスは偽装端末を受け取った瞬間に、嬉々として操作し始めた。目的は一目瞭然。口座の確認だ。

しかし、いやらしい欲汚い笑みが絶望に変わる。


「おい、なんだ、これ……?」

「さ、行くわよ。アカシア、あなたにも渡しておくわ」

「ありがとうございます。でも、どうしたんですか? ハームレス様?」


 オトギリは様子のおかしいハームレスのことを無視して歩み始める。

アカシアが何事かと、ハームレスの偽装端末を覗き込む。


「八千万、あったのに……。俺の八千万」


端末の画面には残高口座の文字と共に『0』という数字が映っていた。いっそ清々しいほどに画面がすっきりしている。


「なじぇえ? なじぇなんだ……?」


あまりの衝撃に言語能力が退化している。


「もしかしたら、なんですけど」

「なんだ心当たりがあるのか?」


ハームレスがアカシアの肩をつかんで揺さぶる。

英雄と戦った時より、よっぽど必死である。

 

「あのワーウルフの炎には他者のポイントを削る力がありました」

「……いやいや。それはステータスのポイントだろ? しかも敵のだ。貨幣としてのポイントはちがうよな?」

「そのポイントを使い切った心当たりはないんですよね?」

「八千万なんて家とか土地買わないと使い切れねぇよ!」

「だったら、英雄を倒す力が何の代償もなしに使えること自体がおかしくありませんか?」

「俺、喰われたぞ! むしゃむしゃ言ってすげぇ痛かったぞ!」

「それでも破格の力です。それ以外に考えられません……」


ハームレスは顔面蒼白になり、まるで死人のように生気がなかった。


「さぁ、ぐずぐずしないで行くわよ。目的地は第四階層奴隷行楽都市。油断はできないわ」

「オトギリ、なぁ嘘だろ。複雑な手続きしたからまだ中身が反映されてないだけだよな? そうだよな?」


 現実が受け止めきれず、ありもしない希望にすがる人間の図である。

 

「私は言ったはずよ。あなたの口座の中身を移したって。その中身がどうなってるかまでは言ってないわ」

「あ、あ、ああああ。ちくしょうぅぅぅぅ!」


ハームレスの悲鳴が響き渡る。

自分が追われていることなど気にせず、盛大に。



※※※※



ハームレスは完全平和都市で築いてきた物すべてを失った。

ここから先はすべてを取り戻し、すべてを手に入れるための英雄譚である。

そうハームレスは思っている。

だが彼は知らない。

この旅が何もかも仕組まれ、用意された偽りの英雄譚であることを。

そんな英雄とは程遠い旅になるなんて、まさか自分の手で世界を壊してしまうなど夢にも思っていない。

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