第26話 英雄の誕生

「新たな英雄の誕生です」


そして、ハームレスは処刑用の剣を振り下ろし、アカシアを拘束していた手錠を破壊した。


「え? どうして?」


 どういうことかわからない。今の会話はアカシアが死ぬ流れだった。なのに、なぜ拘束が解かれたのか。アカシアは急展開すぎて呆けた顔をしていた。


「いや、そういう英雄になれないとかいう葛藤はもう前日に済ませたし。今更揺さぶられてもなぁ……。それに最初ここに立った時言ったよな? 真の英雄にふさわしいのは俺だって。英雄は罪のない奴が処刑されそうになっているのを見捨てない。理由はただそれだけだ」


そう。オトギリと話して、真の英雄を目指すと決めた時点でそういう葛藤はなくなっている。だからこそ、市民の前で真の英雄になると大言壮語を言い放てたのだ。

それにハームレス的にはすべてを諦めるつもりなど毛頭ないのだ。むしろすべてを手に入れようとしている。だからホオズキの言葉による精神攻撃は全くハームレスの心に刺さっていなかった。


「じゃあ、今までのやり取りは何だったのですか?」

「いやぁ、ノリノリで心理的に追い詰めようとしてきたからつい嘘ついちゃった。人の心に土足で踏み入れて、わかった気になってる奴に思い知らせてやりたかったんだよ。けど悪いとは思ってるよ。茶番に付き合わせてごめんね」


 その場の空気が凍った。あまりにも軽い謝罪とあからさまな挑発。さすがのホオズキでも激高するかと思ったが、そうはならなかった。


「やはりそれがあなたの選択なのですね」


英雄ホオズキは怒るでもなく、哀れみの表情を浮かべていた。


「あら意外。騙されて顔真っ赤にするかと思ったのに。残念」


やさしい英雄を目指すと言っていた人物が口にする言葉とは到底思えない。やはりクズなのでは、とアカシアは一瞬疑いの眼差しを向ける。

だが、ホオズキを怒らせて冷静な判断ができないようにさせようという作戦の一環である。さすがにこの状況でふざけられるほど、ハームレスも余裕ではない。


「それはともかく。なら二人仲良く死んでください」 

 

ハームレスはガスマスクを自分とアカシアにかぶせる。

「ハームレス様?」とアカシアは驚いていたが、「俺を信じろ。悪いようにはならない」と伝えると、とりあえずは納得してくれた。

 そして懐から出した銃を空に向けて放つ。

白い霧が処刑台の上に散布される。魔物の体液を利用して作られた生物兵器である。といっても冒険者に対しては一時的に無力化する程度の力しかない。

しかもここには英雄がいる。


「凍てつけ」


霧はあっという間に凍てつき、一つの氷の塊に圧縮されて砕け散る。

だが、少しの間でも効果はあった。何人かの対策をしていなかった冒険者たちは倒れているのみで、多くの冒険者は止められない。だが、市民を恐怖に陥れるには十分だった。


「全員動くな! 動いたら、今度はお前たち全員この毒の霧の餌食になるぞ。お前ら野次馬の中には俺の仲間たちが紛れ込んでいる。この広場全域に今の毒をまき散らすことは簡単だ。なぁ、英雄様。あんたなら、俺の言っていることが本当か嘘かなんてわかるよな?」


さっきアカシアを擁護したサクラたちには二つの物を持たせている。一つは手錠だ。英雄に心を読まれないようにするためである。二つ目はさっきハームレスが使った散布銃である。以前、花火をした時の銃を改造して作ったものだ。

実際民衆の中に心の読めない者がそれなりの人数だということにホオズキは気づくはず。なにせ、この大衆の中で不自然に心が読めない空白地帯があるのだ。だからこそ、ハームレスの言葉がただの脅しではないということがホオズキにだけはわかる。

ただ持っている銃が、無害な霧を発生させるものだというところまでは気づけないはずだ。


「残念です。本当に君には英雄になってもらいたかったのですが」

「心にもないことを」

「ですが、過小評価されたものですね。この民衆の中で仲間の居場所を教えたのは逆効果です。位置がわかるのなら私だけでも対処は容易ですからね」

「余裕ぶりやがって! そんなの言われなくてもわかってんだよ!」


 きっと仲間たちの居場所がバレたら、ホオズキは一瞬のうちに対処するだろうことは容易に想像できた。

だからこそ、市民に毒の恐ろしさを演出したら、すぐに散布銃を放つように指示していた。ホオズキが対処するより早く、サクラたちは散布銃を撃ち放つ。たちまち広場は霧に包まれ、視界は閉ざされた。

効果抜群で、ハームレスの狙い通り市民たちは阿鼻叫喚の混乱状態となる。

これで一時的に冒険者やホオズキは民衆への対応に手を取られるだろう。時間稼ぎとしては十分だ。


「そろそろ時間だ」


 足元から声がした。すると足元の木の床が斬り割かれる。そこから出てきたのはオトギリだった。


「いいタイミングだな」

「    」


オトギリは何かを話しているようだが、聞こえない。聞いていた通りの力のようだ。オトギリはナイフを取り出してハームレスの体を斬った。



「ハームレス様!」


ハームレスは心配するアカシアを手で制した。

斬られたはずのハームレスは五体満足で血の一滴すら出ていない。


「     !」


アカシアも同様に斬られる。アカシアは声を出そうとしても声が出ないことに驚いていた。

声だけではない。体から発せられる音がすべて消えているのだ。

ハームレスは持っていたメモ帳に文字を書いて伝える。もちろん、文字を書いている音も見事に消えていた。


『これはオトギリのスキル「音斬り」だ。これで物音を立てずに逃げられる』


斬った対象の音をなくす。呼吸音や心音、さらには足音なども完全に消し去ってしまう。姿を隠す時には破格の能力だ。


『時間がない。英雄がこの霧を消す前に逃げるぞ』


オトギリの案内のもと、処刑台の床下へと潜って三人は逃走を果たした。



 ※※※※



「待ってください」


しばらく逃走し、オトギリのスキル『音斬り』の効力もなくなった頃。

商店街を超えて、貧民街に到着した時だった。

アカシアが足を止めた。


「どうした?」

「このまま逃げては貧民街の皆様が危ないです。それはどうするおつもりですか?」

「ああ、それか」


ハームレスが一番頭を悩ましたことだ。

アカシアを救えば、貧民街は狙われることになる。貧民街はいくつもある。そのうちの一つを消そうが英雄にとっては痛くもかゆくもない。だからこそ、シド達貧民街の人間を救うためにアカシアは自分の命を引き換えにして手を出さないように交渉したのだ。


「だから、私が貧民街の人々を下層に逃がします。第二層なら、あるいは可能かもしれません」

「第二層奴隷行楽都市、か」


S級冒険者である女王の管理下の元、すべての市民が例外なく奴隷である都市だ。それぞれの層は治外法権であり、独立した国のようなものだ。そして、奴隷行楽都市は誰でも入れることで有名だ。

ただし奴隷となることと引き換えに、だが。


「そうです。命は助かる。それにあそこの奴隷たちは全員が幸福という噂です。この完全平和都市で命を脅かされて暮らすよりきっといいはずです」

「それもたしかにいいかもしれない。だけど、胡散臭ぇよ」

「それにそんな多くの人々を英雄や冒険者から守りつつ、逃がすなんて現実的じゃないわ」


 オトギリの言う通りだ。自分たちの命すら危ない状況で他人の心配をする余裕はない。


「それに層ごとの移動方法は都市の中心に聳え立つバベルの塔で移動するか、最難関ダンジョン『アビス』を突破する他方法はない」

「でもそれ以外に方法が……」

「だから英雄と交渉するんだ」

「交渉? そんなことが可能なの? それに今は英雄から逃げてるのよ? 追いつかれたら殺されるわ。今はかろうじて身を隠せているけど、冒険者を総動員されたら見つかるのも時間の問題よ」

「いや。もう見つかってるはずだ。ほら、来た」


青銀の光がハームレスたちの目の前に着地した。目の前に広がっているゴミの山や住民の粗雑な住処とはあまりにも場違いな優雅さ。

凍てつく銀色の風が、貧民街に吹き荒れる。

その中心には穏やかな笑みを浮かべる英雄の姿があった。

こんな状況でさえ、眼鏡の奥から見える瞳と青の長髪の美しさに三人は目を奪われていた。


「どうしてここがわかったの? 途中からは手錠をしてあなたの異能力からは逃れていたはずなのに」


 オトギリは驚愕で目を見開いていた。


「どうしてもなにも、ハームレス君に誘われたから来たのですが」


 ホオズキは不思議そうに首を傾げた。


「え?」


 アカシアとオトギリが戸惑いながらハームレスを見つめる。

 

「あ、ごめん。言ってなかった。俺、途中から手錠外してたんだ。英雄をおびき出すために」

「はぁ? なにしてんのよ! せっかく組織の仲間が冒険者たちを足止めしてるのに、意味ないじゃない!」


 オトギリが所属している組織が全面的に協力してくれている。正直、得体のしれない謎の組織だ。オトギリがいなかったら信用していなかっただろう。


「いや、意味はあるって。もとから英雄が一人の状況作るって言ってただろ?」

「でも、まだアカシアを逃がしてないのよ?」

「いや、アカシアとオトギリ二人の力が必要だ。なにせ、これから英雄と対峙するんだからな」


小太刀を抜いて、英雄ホオズキに宣戦布告する。

その様子にオトギリは唖然として、顔を青くしていた。


「呆れた度胸だ。私を倒す? 第五層守護者を随分舐めてくれたものだ」


いつもホオズキは魔物と戦っている時でさえ、微笑んでいる。一見、市民を安心させる完全無欠の英雄に見えるだろう。しかし、いつも同じ表情なのだ。話す時も魔物と戦う時も。まるで自分の心を隠すための仮面のように。


それが今、はがれた。

凍てつく絶対零度の瞳。


英雄はまだ何も力を発揮していない。にもかかわらず、周囲の温度が急激に冷えた。そんな錯覚する覚える。


「けど、それでは何の解決にもなりません。貧民街を救うことはできませんから」


 アカシアは英雄の威を受ける中、平然と言ってのけた。

たとえ英雄を倒したとしても第二第三の英雄が出てくる。今回の件で反乱とも取れる犯罪行為をした貧民街の住民たちがどんな目に遭うかは明白だ。


「だから、英雄に証明するんだよ。もう、わかってますよね? 心を読めるあなたなら」

「はい。私にハームレス君が魔王を倒せる人間であると証明する。それが貧民街とそこの偽りの聖女を救うために出したあなたの答えなのでしょう?」


当然のようにこちらの考えていることがバレている。

説明の手間が省けて楽ではあるのだが。


「どういうこと? どうしてハムが魔王を倒せる人間であると証明することが、アカシアと貧民街の住民を救うことにつながるの?」

「偽りの聖女を処刑しないといけないのは、魔王討伐に影響が出るからだ。今勇者パーティにいる本物の聖女も偽物と疑われかねない。場合によっては、人間同士で潰しあうことにもなる。だから偽物の聖女を野放しにしてはいけない」

「ええ。それはわかるわ」

「根本の原因は魔王だ。魔王さえいなければすべてが収まる。だから俺が魔王を倒せると英雄に認めさせれば、聖女のことなど問題なくなる。だって俺が魔王を倒すんだから、本物の聖女にどんな影響が出ようが関係ないからな」

「ええ。偽りの聖女がいることで一番の問題は魔王討伐の障害となることですから。だからハームレス君が魔王を倒せるというのなら、私がそこの偽りの聖女を処刑する理由はなくなります」


要は勇者と聖女なんて不確定要素に頼らずとも自分が魔王を倒して全部解決してやるということである。

あまりの大言壮語にアカシアとオトギリはぽかんと口を開いていた。


「おいおい、他人事じゃないぞ。お前ら二人も一緒に戦うんだからな」

「本気で言ってるの?」


 オトギリが顔を真っ青にして聞く。

アカシアもブンブンと勢いよく顔を左右に振っている。


「だって聞いたら止められるだろ。それに最初無理だって言ったのに煽ったのはオトギリだ。責任取れよ」

「ああ、もう! 仕方ないわね! けど帰ったら覚えておきなさい。一生かけて償わせてやるわ」


これでも逃げないのだから、いい女である。

つくずく別れたのが惜しいものだ。今更そんな感慨に耽った。


「アカシア、お前の力が頼みだ」

「だからさっき私の力のことを聞いたんですね。わかりました。私も覚悟を決めます。あなたにならどこまでもついていきます」


これで勝算は得た。

規格外の二人の異能力を当てにした他人頼みの戦略。オトギリに他の人に頼ってもいいと聞かされた時に思いついた最低の戦略だ。

だが、どんな手を使ってでも英雄となると決めた。

だからもうハームレスは立ち止まらない。打算塗れのクズでも優しい英雄となれると証明するために。


「素晴らしい!」


英雄が三人に対して惜しみない拍手を送る。


「何が、ですか?」


今まで黙って話を聞いていたホオズキが突然ハームレスたちを称賛した。

 

「健気に夢を追う若人の姿に心を打たれたのですよ。とてもじゃないが今の私にはできない。どうせできもしないとわかっていながら無駄に足掻く。いやぁ、若者の特権だ。私のような年寄りには無理ですね」

「ええ。だから年寄りはそのまま油断していてください。その方が楽ですから」


売り言葉に買い言葉。


「そういう意味で言ったのではないのですが。まぁいいでしょう。どちらにしろ、世界は何も変わらない。所詮は盤上のこと。すべてはゲームでしかないのですから」


今度は本当にホオズキから凍てつくような冷気が漂いだす。


「来るぞ!」

「甘い考え方ですね。どうして私が君の茶番に付き合わないといけないんですか?」

「なっ」


気づけば周囲には英雄が放つ冷気によって形作られた花が何輪も咲いていた。氷花がが砕け、中から出てきたのは冒険者だった。

どの冒険者の表情にも生気はない。のんびりとした動作で瓶に入った赤い液体を口にする。すると痙攣をおこし、「あああああ」と叫び声をあげる。次の瞬間には、冒険者の体の一部が人ではない異形と化していた。

体の一部だけが魔物の肉体に置き換わったのだ。


「あらら。全員失敗ですか。残念。けど君たちを殺しきるには十分な戦力です」

「これは一体……。俺たちが魔王を倒せるか、あなた自身が戦って確かめてくれるんじゃないんですか?」

「そんな義理はないですよ。面倒くさい。それに結果はどうせ変わらない。ならせいぜい実験に付き合ってもらって君たちの命を有効活用した方がいいじゃないですか」


残酷な面は見せていた。

しかし、それは悪というわけではない。

少数を殺して多数を救う。そこには確かにホオズキの英雄としての一面が見られた。ただ犠牲にするだけの残忍な英雄に人はついてかない。市民に寄り添っているからこそ、これだけの人望を得られているのだ。

その英雄としての面をハームレスは認めていた。信じていた。だが、そうではなかった。怪しい薬を自分の部下に飲ませ、実験体とする。ただの残忍で卑劣な悪人だったのだ。決して英雄などではなかった。


「あんたは英雄じゃなかったのか? この都市を守るために必死に戦ってきたんじゃないのか?」

「勝手に自分の英雄像を私に押し付けないでもらえます? 心底苛つくんですよ。そういうの。うんざりなんです。最初から言ってるでしょう? 私はあなたと同じ自分第一優先のクズなんです。そんな私が英雄なわけないじゃないですか。私は外道。朽ちた英雄。世界を回す歯車にすぎない。君のヒーローごっこに付き合うなんて御免です」

「くそっ」


 これはハームレスの失態だ。勝手に英雄に対して理想を押し付け、挑戦を受けてくれるだろうという幻想を抱いていた。ホオズキの言う通りだ。つくづく考えの甘さに嫌気がさす。


「おや? あなたはもしかして。そうですか。組織は随分うまくやったようですね。これは興味深い」


意味深にホオズキはオトギリの方を見ている。

 オトギリも異形と化した冒険者が飲んだ物と同じ赤い液体が入った瓶を取り出した。


「おい、それって……!」

「今大切なのは、英雄を倒すことでしょ! なら、他のことは放っておいて敵に集中しなさい! 梅雨払いは私がやるから!」

「けど、その薬ってさっきあの方たちが飲んでいたものと同じものですよね? 危険です!」


アカシアの言う通りだ。

何の薬かは知らないが、禄でもない物であることは確実だ。


「私は適合している。だから大丈夫。私を信じて」


 オトギリは一気に謎の赤い液体を呷る。


「くそっ! これでバーでのツケはちゃらだからな!」


オトギリの瞳が血走り、肌は薄く赤みを帯びていた。

そして、なぜか異形の冒険者たちはオトギリを見てよだれを垂らしていた。まるで目の前に極上の御馳走があるかのごとく。


「さぁ、こっちに来なさい! 劣化品のあなたたちとは格が違うってことを教えてあげる!」


そのままオトギリは異形の冒険者を引き連れて走り去ってしまった。

目の前にいるのはホオズキのみ。面倒くさそうにため息をついて、肩を鳴らす。


「仕方ないですね。私が相手をしましょう」

「来るぞ! アカシア、サポートは頼む」

「はい!」


アカシアの体から神々しい光が放たれ、ハームレスへと照射される。


「自象掌握・二十パーセント解放・左腕氷剣化」


英雄の左腕が氷の剣と化す。


「さぁ、始めようか」


 こうして英雄との殺し合いの火蓋が切って落とされた。

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