第23話 オトギリ
「くそ! クソ! ちくしょう!」
ハームレスはいつも通り、酒に逃げていた。ハームレス行きつけのガールズバー。今日は個室に通してもらっていた。女の子の同席もない。
豪華なソファーにふんぞり返り、テーブルにはいくつもの強い酒が無造作に並べられている。ボトルキープしていた数々の高価な酒を、このどうしようもない今から逃げるためだけに消費していく。
「また今日は随分と荒れてるわね」
いつものようにオトギリが個室に遠慮なく入ってくる。
本当にハームレスがこの店に来たら、どこから嗅ぎつけたのかいつも来る。今日ほど、そのことを疎ましく思った日はない。
「今日は気分が悪い。今の俺はお前にも何するかわからない。だから消えろ。俺は一人で飲むってオーナーにも言ったはずだぞ」
「別にハムになら何されてもいいわよ」
「おい、いつもの冗談だと思ってたらひどい目に遭うぞ?」
「ハムこそ、今のが冗談だと思ってるの?」
今のハームレスに他人を気にしている余裕はない。高レベル冒険者のみが持つ威圧を瞳に込めて追い返そうとする。
しかし予想外なことに、その威圧を正面から受けてもオトギリは全く動じない。
「勝手にしろ」
ハームレスはオトギリの存在を無視して、酒をあさる。アルコール度数の高い酒を一気にあおる。
そんなハームレスの横にオトギリが座ってくる。
何を話すでもなく、ただ静かに横で寄り添っているだけ。
本当に何をしたのかがわからない。
なんとも居心地が悪く、いたたまれない雰囲気になってしまう。
「なんだよ、何の用だよ?」
ハームレスが根負けしてオトギリに話しかける。
「別に用事はないわ。ただ苦しんでいるハムの力になりたい。けど、私にはどうすることもできないから。今の私にできることは傍に居ることだけだから」
いつになく健気なことを言う。
昔はそんな姿を何度も見せてくれたものだ、と昔のことが頭をよぎる。
「どうしてそんなに俺を気にかけるんだ? 俺とお前の関係はとっくの昔に終わってるだろ? いやお前が終わらせたんだ」
紫の豪奢なドレスを着て、ただでさえ美しい顔はメイクでさらに磨きがかかっている。そんなオトギリの美しい表情がつらそうに歪む。
「そう、ね。そうだった。けど、それは関係ない。昔、まだ付き合ってた時のことよ。私がつらかった時に傍で寄り添ってくれた。話を聞いてくれた。私にはそれが何よりうれしかった。だから、ハムがつらい時は、頼ってほしい。たとえ付き合ってなくても、どんな関係性でもいい。私はハムの力になりたい」
オトギリの表情はどこまでも真剣だった。
いつもの冗談や嘘をいう時の悪戯めいた笑みもない。
ここまで言われて、ハームレスの感情は限界に達してしまった。
「なんだっていうんだよ。本当にいつも妙なタイミングで来やがる。くそ、どうして俺は何もできない! どうして?」
「どうしようもなくつらくなる時は誰でもあることよ。わかるわ。どうしようもなく自分の無力さに打ちひしがれるのも」
「つらい? そんなわけないだろ。俺は英雄になれるんだ。この都市の頂点だぞ? むしろ最高の気分だね」
「もう強がらなくていいから。私の前でまで、気を張らなくてもいいわ」
オトギリがハームレスを抱きしめた。
「なにするんだよ! 接触禁止だろ?」
「大丈夫、大丈夫だから」
「なんだよ、なんだっていうんだよっ。やめろよ……」
訳が分からなかった。
わかるのは、オトギリに包まれてすごく暖かいということだ。肌から伝わる温もりがハームレスに安心感を与えてくれる。
安心したら、突然どうしようもなく涙腺が緩んできた。
つらいのはこれから処刑されるアカシアだ。ハームレスが泣いて良いはずがない。けど、自分の胸の内から湧き上がるどうしようもない感情が、ハームレスの瞳にまで伝ってくる。
「なんだよ、本当になんだってんだよぉ」
涙がとめどなくあふれてくる。
ハームレスは恥も外部もなく、オトギリの胸の中で大声を上げて泣いた。
※※※※
「落ち着いた?」
ひとしきり泣いて、冷静になったらとてつもなく恥ずかしくなってきた。ハームレスはオトギリのことを直視できず、目を合わせられずにいた。
「ああ」
「それでこれからどうするの? あの娘を助けるのか、助けないのか。英雄に脅されているんでしょ?」
なぜ知っているのかという驚きよりもやっぱりという感想が大きかった。確証があったわけではないけど。
「やっぱりあのくまさんパジャマ来た自称暗殺者はお前だったか」
「ど、どうして? あ、ちがう! 私はそんなミステリアスな暗殺者のことなんか知らないから!」
「この期に及んでまだ誤魔化すのかよ。さすがにあからさますぎる。昔からポンコツなところはあったけどさ。暗殺者やってるなら、もうちょっと気をつけろよ」
あのバーで話した時の反応を見ればさすがに誰でも正体に気づいてしまう。酒で酔わせて忘れさせようとしていた節もあるが、さすがに強烈すぎて記憶に残っていた。
「昔からハムの前だけではどうしても隠しきれないんだもん……」
何か口の中でぶつぶつ言っていて、ハームレスはよく聞き取れなかった。
「なにか言ったか?」
「なんでもない!」
さっきまでの抱擁感はどこへやら。
その見た目からは想像できない子供っぽい仕草だ。
「なんでもないけど。もう私たちは会わない方がいいわ」
突然、そんなことを言い出してきた。なぜか、オトギリから別れを切り出された時を思い出す。あの時もこんな雰囲気だった。まるで自分の感情を押し殺しているようにつらそうな表情をしている。
「どうして?」
「だって暗殺者となんて一緒にいたくないでしょ? 汚い私じゃ、あなたの傍にはいられない」
オトギリは震えていた。自分が暗殺者と知られるのが怖かったのだろう。
誰でもそうだ。自分の汚い部分を他人に知られるのは怖い。軽蔑されないか、悪意を持って広められないか。悪い方向にばかり考えてしまうだろう。
ハームレスも同じだからわかる。
「たしかに暗殺者は悪い人間だろう。なにせ、人殺しだからな。けど、それ以上に俺はオトギリのことをよく知っている。やさしく俺を励ましてくれたのを知ってる。傍で話を聞いてくれたのを知ってる。命を懸けて貧民街の奴らのために戦っていたのを知っている。オトギリのいろんな良いところを知ってるんだ」
「な、ななな何? 褒めても何もでないわよ?」
顔を真っ赤にして照れている。
「だから、暗殺者になった理由があるんだろ? それにやめろって言って、やめられるのか?」
オトギリは目を瞑って考え込んでいた。数秒の沈黙。そして、その顔には憎悪が宿っていた。同時に覚悟も宿っていた。
「やめない。私にはやるべきことが、殺さなければならない奴がいるから」
「それなら、俺はお前を信じる。それに俺は……」
オトギリは緊張した面持ちでハームレスの言葉を待っていた。
ハームレスは顔から火が出るような気分だったが、自分の気持ちを思い切って口にした。
「俺はお前がいないと困る。だから、お前のやるべきことが終わるか、理由を話す気になったら言えよ。どんなにやばいことでも受け入れてやる。一緒に前へ進むために考えることくらいならしてやれる、と思う」
自分で言っておいてなんてくさいセリフだ、とハームレスは頭を抱えた。耳まで真っ赤なハームレスを見て、オトギリは笑った。
「ふふ、あはははは」
「笑うなよ。結構、頑張ってかける言葉考えたんだぞ」
「だってそんなかわいいハム見たの初めてだから」
「かわいい言うな!」
「ありがとう。こんな汚い私を受け入れてくれて。受け入れようとしてくれて。けどまだ全部を話すには私の勇気が足りない。だからもうちょっと待って」
「ああ」
オトギリは真剣な表情に戻り、ハームレスの手を握ってきた。
「今度は私の番。ハムが苦しんでいることを教えて。私が力になるわ」
※※※※
「そんなことになっていたのね」
オトギリが組織に所属している以上、もう隠す必要はなくなった。今までの出来事をすべて話した。
この都市の真実。
多数を生かすために少数を犠牲にする英雄。
完全平和のために犠牲を強いられている貧民街。そしてその貧民街の人々を救うために自分を犠牲にしようとしているアカシア。
そのアカシアの処刑をハームレスが実行することになったこと。
次代の英雄として、完全平和都市を維持する歯車になれと強いられていること。
すべてを話してしまった。
「もうどうすればいいかわからないんだ。英雄が絶対悪ということもない。多数を救うために少数を犠牲にする。他に手段がないからそうしてるんだ。だからと言ってアカシアが犠牲になるのもちがう。そんなのあっちゃいけない」
オトギリがため息をつく。
「ハムにとっての英雄ってどんな人?」
「何をいきなり言ってるんだ?」
「いいから答えて」
ハームレスは少し考えてから口に出す。
「皆を笑顔で幸せにするやさしくてかっこいい奴。ピンチの時にさっそうと現れて誰にでも手を差し伸べる完全無欠の存在」
「なら、皆を笑顔で幸せにするにはどうすればいいと思う?」
「それができないから困ってるんだろ! ……いや? そうか。目の前の状況にとらわれていたから気付かなかった。根本の原因を解決すればいい?」
選択肢の幅を自ら狭めていた。自らと貧民街を犠牲にしてアカシアを救うか、見捨ててしまうか。自分の視野が狭かったことに気づかされた。人と話すと意外なところから答えを得られるものだ。
「何かわかったの?」
「でもできるのか? そんな偉業? できたら本物の英雄だ。俺には無理だ」
ハームレスがしゃべっている途中に、オトギリの人差し指で口に蓋をされる。
「私はハムなら英雄になれると思うけど」
「俺に英雄なんて無理だ。他人の命より自分の欲望を優先するクズだぞ? それこそアカシアみたいな本物の英雄がやることだ」
ハームレスはアカシアにどうしようもない劣等感を抱いていた。アカシアはハームレスができない他人のために命を使うという常人にはできないことを実行して見せた。
「けどなりたいんでしょう? 憧れてるんでしょう? 本当の英雄に」
「な、なんのことだよ?」
どうしようもなく英雄になりたい。けど欲汚い自分には無理だ、とずっと自分に言い聞かせてきた。
最近自覚したばかりなのに、オトギリには見抜かれた。気が動転して、ついとぼけてしまう。
「誤魔化してもダメ。演技しているあなたは完璧よ。けど、素を見せているハムはわかりやすいもの。表情にでやすい。アカシアやホオズキの話をしているあなたは苦しそうだったけど、同時にとてもうらやましそうな、誇らしいものを語る顔をしていたもの」
最近は例外だが、普段は自分の素を他人にさらすなどほとんどなかった。それこそ、オトギリとバーで話す時くらいだ。
そんな素を見せているオトギリだからこそ、見抜かれたのだろう。
英雄に憧れているなんて子供じみた夢で、ハームレスは気恥ずかしくて顔を背ける。
「ああ、降参だ。俺は英雄になりたい。けど、自分の欲も捨てられない。どうしようもなく中途半端な人間だよ。だから無理だ」
「いいじゃない。欲深い英雄で。むしろ自分を犠牲にするなんて、私は英雄じゃないと思う。自分も他人も全部ひっくるめて幸せにしてしまうのが本当の英雄だと思う」
「けど、それは夢物語だ。そんなこと現実には無理だ」
だからこそアカシアかこの都市の完全平和かを迫られている。ハームレスが考え付いた手段は現実的ではない。それこそ都合よく世界の事象を操れる神か勇者にしかできない偉業だ。
「失敗するのが怖いのね」
「そうだよ。失敗して全部失うのが怖い」
今まで色々な言い訳をしていたが、極論はオトギリの言う通りだった。
すべてを救う手段はたしかにある。だが、それはとてつもない夢物語だ。成功する確率も万に一つあればいい方だ。
「それに俺だけの問題じゃない失敗したら終わりだ。しかも俺だけじゃない。多くの人が犠牲になるかもしれない」
その答えを聞いて、オトギリは笑う。
「なにがおかしいんだよ?」
「だって自分でクズとか言ってる割には周りの人のことちゃんと考えてるじゃない。それに失敗しても意外になんとかなるものよ」
「普通の失敗じゃないんだぞ! 多くの人が死ぬんだ!」
「大丈夫。あなたは一人じゃないから」
「え?」
オトギリがやさしくハームレスの手を両手で包み込む。
「失敗したら、誰かがフォローしてくれるわ。あなたにやさしくされた人たちが助けてくれる。ハムは自分が思っている以上に味方が多いわ。もちろん私も。だから、気にせずやればいい。あなたの思い描く夢を、英雄を目指して」
他人が助けてくれるという発想はなかった。
すべて自分一人で背負いこもうとしていた。そうだ。責任は分散させてしまえばいい。やはりクズだ。責任を誰かに押し付ければいいとわかっただけですごく気が楽になったのだから。
「わかった。やってみる」
「で、何をするつもり? 私もこれだけハムを煽ったんだもの。協力するわ」
「ああ。とりあえずアカシアは救出する。それは決定事項だ」
「でもそれだと貧民街の人々は救えないのでしょう? どうするの?」
ハームレスは大きく息を吸って、吐く。
覚悟を決めたように意を決して、そのありえない構想を口に出す。
「最終目標は、魔王を倒すことだ」
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