第18話 抗議デモ前夜
「どういうつもりだ?」
「何がですか?」
抗議デモ前夜。
ろうそく一本というか細い明かりの中、アカシアとハームレスは向かい合っていた。傍のベッドではすーすーと気持ちよさそうな寝息を立てるシドがいた。
「昼間の演説のことだよ。らしくねぇよ」
「どこがですか? 皆様、この苦しい現状を変えようと必死なのです。それに協力をしたいというのです。そのどこがいけなかったのですか?」
暗くてアカシアの表情はわからない。だが、声が震えている。そんな気がした。
「いけないとは言ってねぇよ」
ハームレス自身、言葉にできないからもどかしい。歯切れの悪い言葉しか言えない。すると、アカシアはふふと笑う。
「ハームレス様は私のことを心配してくださっているんですね」
「は? してない。勘違いするな」
「それが噂のツンデレというやつですか?」
「つんでれ? 異国の言葉を話すなよ。なんかわからないけど、馬鹿にされてるような気がする」
「馬鹿になんかしてませんよ。褒めてるんです。少しからかいましたが」
「おい!」
やっぱり馬鹿にしてるじゃないか。そう言おうとしたら、突然抱きしめられた。
「は? いや、お前なにして!」
「ごめんなさい。少しだけでいいんです……」
アカシアの小さな体は震えていた。
手は氷のように冷たく、顔は青ざめている。
「何をしようとしてる?」
「言えません。ですが、これでみんな幸せになります。私がして見せます。もう事態は動き出しています。今更戻れません。だから今だけは……。私に少しでいいんです。勇気をください」
明らかに何かをしようとしているようだ。今回の抗議デモのこともあらかじめ予見していたかのように。ハームレスの知らない裏で何かが起きようとしている。
「どうしても言えないのか?」
「言ったら止めるでしょう? ハームレス様はお優しいですから」
ここでどれだけ説得したところで話してはくれないだろう。話してくれるような手札をハームレスは持ち合わせていない。
「なぁ、どうしてあの裏路地で俺に声をかけたんだ? 俺たち面識なかっただろ? それなのに最初からやさしいやさしいって。正直、ムカついてるんだよな」
「ごめんなさい。いきなりでしたよね」
アカシアが笑う。ハームレスの胸の中で、アカシアの体の緊張が少しほぐれる。
「商店街で困っているおばあちゃんに声をかけていたでしょう? それで荷物を持ってあげていましたよね?」
「そういえば、そんなこともあったな」
ホオズキ・アルメリアに次期英雄だと言われた後のことだったか。
まだそんなに日が経っていないのに、もう昔のことのように思える。
「で?」
なかなか、続きを話さない。ハームレスはしびれを切らして、話を促した。
「それだけです」
「はぁ? 嘘だろ?」
思わず胸の中のアカシアを見た。すると悪戯をした子供のようにくすくすと笑っていた
あまりにも屈託のない笑顔でハームレスは少し照れてしまう。
「本当ですよ。だってこの都市で、そんなことをできる人は少ないですから。本当にやさしい人じゃないとしません」
「……そんなことないだろ? みんなポイント目当てでやるさ」
「いいえ。言い方は悪いですが困っているおばあちゃんの荷物持ちをしてもポイントは雀の涙ほどです。だから、商店街でたくさんの人がいたにも拘わらず誰も手を差し伸べませんでした。もちろん他の方々を悪く言うつもりはありません。様々な事情があったのでしょうし」
「ポイントじゃなくて、見返りを求めてやったんだよ。今度俺が困ったらあの婆さんが助けてくれるかもしれないだろ?」
「それでいいじゃないですか。やさしくを上げたらやさしさを返す。そうやって世界は回っているんです。助け合いです。けど自分から先にやさしさをあげられる人はなかなかいません。皆、ポイントありきの考え方をしてしまいがちです。だからハームレス様が自ら最初にやさしい行為をすることは本当に立派だと思います」
やっぱりハームレスにはよくわからない。
所詮は見返り目当ての卑しい行為だ。本当にやさしい人間は見返りを求めない。例えば、アカシアのように。
だが、少しわかった。最初に出会った時から妙な信頼感を寄せられていたが、まさか人助けを率先してやっていたからだとは思わなかった。
少しだけ、報われたような気がした。
「なぁ、もういいか?」
「何がですか?」
そろそろこの零距離がしんどくなってきた。抑えていた心臓の音が大きくなってくる。
相手は恋愛対象外の年下少女とはいえ、女だ。夜にこの距離は嫌でも意識せざるを得なくなる。
「あついんだけど」
「す、すいません!」
アカシアは慌てて距離を取った。互いに顔を背けて、少し気まずい空気が漂う。
「今日はもう失礼しますね。シドちゃんが気持ちよく寝てるのに邪魔しても悪いですから」
アカシアは部屋を出ようとする。
「おい!」
はぐらかされた気がするが、まだ明日何をやらかすかを聞けていない。
「大丈夫です。もう十分勇気をもらえましたから」
有無を言わせない覚悟を決めた顔。
もうさっきまでのか弱い一人の少女はいなかった。
瞳に宿った意志は固い。その一方でろうそくに照らされた笑顔は儚げな一輪の花のようだった。
その様子を見て、ハームレスはもう何も言葉を出せなかった。かける言葉がわからなかった。
「おやすみなさい」
「ああ」
アカシアが部屋を出ていった。
破滅の運命への歯車が回りだす。ハームレスには破滅の音の予兆が確かに聞こえていたはずだった。だけど、止められなかった。後悔してもすでに後の祭り。
ただ今は破滅を承知で歩き出した少女の後姿を見ていることしか、ハームレスにはできなかった。
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