10
サイの気配がなくなってから、ワッツはそのまま浮上して、ラーティアと一緒に反対側の崖へと降り立った。
(これで
これがワッツが描いたシナリオだ。ただ単に、力任せにサイを倒すこともできたかもしれない。それは実際にラーティアを戦っていた様子から、今の油断しているサイなら、《霊波翼》を駆使すれば何とかなると判断できたのである。
しかし、そうすれば新たな追っ手が放たれる危険性があった。だからここでワッツたちは死んだ。それが一番平和に過ごせる――ラーティアを守ることができるルートだと。
だからラーティアが傷つけられることも承知の上、サイに殺意は芽生えたが我慢して、この崖までやってきたのだ。ここならば死を偽装しやすいと判断したから。
そして、見事策は成った。
「無事、母上?」
とは尋ねるものの、ラーティアは唖然としたまま対岸の森の方へ視線を向けて固まっている。
「母上? 母上!」
「!? え、あ……ワッツ?」
「うん、ワッツだよ。アイツはもうここにいないから安心して」
「え、ええ……って違う! 違うわよワッツ! ど、どどどどどどういうこと!? さっきのあれは何!? どうして霊気が!? あなたがやったのよね!?」
両肩をグイッと掴まれながら、必死に説明を求めてくる。
「わ、分かった! 分かったから落ち着いて! とりあえず雨宿りできるところで説明するからぁぁ!」
そういうことで、近くにあった洞穴に身を寄せることにしたワッツたち。
そこでワッツは、転生やゲーム云々は抜きにして、ある程度の説明をすることにした。
「――つまり、四年前から霊気に目覚めて、ずっと修練をしてきたというのね?」
ワッツは素直に頷くが、ラーティアにしては疑問でしかないだろう。
「何故急に霊気に目覚めたのかしら? あれは《霊覚の儀式》を行って初めて霊気の認識ができるというのに……」
「あー覚えてる? あの時、俺が高熱を出して看病してくれたでしょ? その時に忘れていった洗面器」
「……! もしかしてそれを使って儀式をしたの? で、でも、儀式のことなんて誰に教えてもらったというのよ? 私は教えてないし……」
「えっと……ほら、侍従に聞いたんだよ!」
「侍従に?」
「うん。食事を運んできてくれる侍従に、ね。その人も、まだ子供の俺に同情したみたいで、俺にいろいろ外の世界のことをこっそり教えてくれたんだ。その中に《霊覚の儀式》があって、それで試してみたら……」
「霊気に目覚めたというわけね。……そう」
何だかそれでも腑に落ちていない様子だ。
(ごめん、母上。けどさすがにゲームの話はできないんだ)
心の中で謝っておく。
「けれど、確かにそうだとすれば納得できるものもあるわ。あなたがどうしてそんなに立派な身体つきに育ったのか。あんな粗末な食事を毎日していたのに……そう、潤沢な霊気のお蔭だったのね」
「そうだね。四年前は、虚弱で頼りない身体だった。そのせいで熱で寝込むことも多かったし。けど、『霊道士』は例外なく身体が丈夫だって聞いて、だから必死に修練したんだ。そうするとどんどん疲れにくくなってきてね」
「霊気を鍛えることは、肉体と精神を鍛えることだからね。そう……それは納得したわ。けれど、さっきのアレは……何?」
どうやらラーティアは、《霊波翼》のことを詳しく知らないようだ。無理もない。選ばれた者にしか行使できないし、実物を見るなんてそうそうないだろうから。
「アレは――《霊波翼》だよ」
「れ、れ、れ、《霊波翼》っ!? それってあの『霊道士』にとっての秘奥義って呼ばれてるあのっ!?」
「そうだよ。あ、でも使えるのは《霊波翼》だけだからね。他の《霊操術》とか《霊操術》は一切使えないから」
「嘘でしょ! 《霊波翼》って、技も術も極めた人が辿り着く境地のはずよ! それなのに基礎もできないのに、いきなり秘奥義を覚えたっていうの!?」
まあ驚くのも無理はない。魔法でいえば、初級呪文をすっ飛ばして最上級呪文を覚えたようなものだから。
「まあ、強くなりたかったから」
「強くって……あなたはまだ子供なのよ?」
ワッツとしては「あはは」と乾いた笑いしか返せない。
「……ふぅ。何だかいろんなことが一度に起こって混乱しているわ。でもこれだけは聞いておきたいのよ。ねえワッツ、霊気の修練は辛かったでしょう? しかも秘奥義の修練なんて、普通は大人でも耐えられないほど大変だって聞くわ。それに四年間も。たった一人で……。どうして……どうしてそこまでして強くなりたかったの?」
真剣な眼差しがワッツを射抜く。ここはさすがにお茶を濁すわけにはいかない。
「……母上を守りたかったんだ」
「! ワッツ……」
「確かにしんどかった。辛かった。寂しかった。毎日毎日、たった一人で、あんな牢獄みたいなところに閉じ込められて……母上にも会えなかった。でも……」
「……?」
「でも、きっと母上なら迎えにきてくれるって信じてた。そして、一緒にここから抜け出してくれるって。だからそうなった時に、母上を守れるように強くなりたかったんだ!」
それは偽らざる本心だ。彼女を守ることが、ワッツのハッピーエンドに繋がる第一歩だと思っているが、それ以上に、こんなふうにワッツを想ってくれる人を奪われたくなかった。
和村月弥にとっても、彼女は母親のような存在になっていたのだ。だから失いたくはなかった。
すると、ラーティアが感極まったように抱きしめてくる。
「あなたは本当に……もう」
涙が彼女の双眸から零れ落ちる。この温もりを感じ、守ることができて本当に良かったと思えた。
(お前も喜んでくれてるか、ワッツ。何とか、新しい物語にできたぞ)
これからしばらくは、原作の知識は役に立たないかもしれない。何せ、本来ならワッツは、ラスボスの庇護下に入り、そこでの暮らしに明け暮れるのだから。
これは過去のストーリー。本題は、主人公が十五歳になってから始まるのだ。それはワッツもまた十五歳になるまで、どんな過ごし方をしてきたのか断片的にしか分からないということである。
(先読みはしにくいけど、今後のためになるイベントとかは回収していかないとな)
幸い、それだけの力は備えたつもりだ。あとは、基礎修練もこなしていって、戦術の幅を広げていくだけ。追われることもないし、時間はたっぷりある。
今後は、できるだけ平和にスローライフを堪能するような生活を送っていきたいと思う。
「それにしてもあなたの霊気は、その髪と一緒で紅いのね」
「うん。やっぱり気持ち悪かったりするかな?」
「そんなわけがないでしょう。私にとって、まるですべてを照らす太陽のような色に見えるもの。とても綺麗だわ」
真っ直ぐ目を見つめられながら言われ、恋に落ちたかのように胸が跳ねた。
「そ、そういえば母上、これからどこへに向かうの?」
照れ隠しのつもりで、慌ててラーティアに尋ねた。
「それは……っ」
ラーティアが、右足を抑えながら顔を歪める。そうだ、彼女は怪我を負っていたことを忘れていた。
(まずい! 今の俺にはどうすることもできないぞ! 血も流し過ぎてるし、どうすれば……っ)
まさか、ここで出血多量で彼女が死ぬイベントなのだろうかと不安になってしまう。
「だ、大丈夫よ……ワッツ」
「大丈夫って! でも辛そうだよ!」
「本当に大丈夫よ。それに時間通りならそろそろ……」
そこへ、この洞穴に近づいてくる気配を感じ、ワッツは最大限の警戒をする。すでに背には《霊波翼》を出している。いつでも対応できるようにだ。
「――――おや、これはこれは、やはりお前の気配だったか、ラーティア」
突如姿を見せたのは、ワッツたちと同じようにローブを纏った人物だった。フードで顔は隠れているが、声は女性のものだ。
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