朝日が昇り、しばらくして侍従が朝食のパンとスープを持ってくる。


 相変わらずお粗末な食事だ。よくもまあ、こんな食事で何年間も生きて来られたものだ。




 そう思いながら、ワッツはテーブルに置かれた鏡を見る。


 そこには四年前とは違い、幾らか精悍になった顔つきが映っていた。


 ワッツも、今や十歳。『霊道士』となり、毎日霊気操作をしてきたことで、普通の子供よりも逞しさが増している。




 ワッツは、パンをかじりながら、格子が嵌められた窓の外を見る。


 空は曇天模様で、今にも雨が降りそうだ。


 嫌な感じだ。胸がざわつくというか、落ち着かない。




(時期的にそろそろだしな……)




 危惧するのは、マリスによるラーティア殺害だ。


 ただその前に、ラーティアが、ここへ訪ねてくるといったイベントがあったはず。


 もし今日、それが起きたのだとしたら……。




(いつその時が来てもいいように、万全な状態にしとかねえとな)




 ゲームでは、それが起こったのはワッツの誕生日から数日後。そして一昨日、ワッツは十歳を迎えた。そろそろ事件のフラグが立ってもおかしくはない。


 だから下手に修練をして消耗することはできず、ワッツは、誕生日から今日まで、基本的な霊気操作だけをするだけに止め、来るべき時を待ち構えていたのだ。




 そして今日、その日ではないかという直感があった。 


 何故なら、ゲームでラーティアが、十歳になったワッツと一緒に屋敷を抜け出して、雨降りしきる夜、森の中を駆けている描写があったからだ。


 空模様を見て、もしかしたらと思ってしまうのも無理からぬ話だろう。




(……何だか緊張してきたな)




 目を閉じ瞑想する。この静寂の中、胸の鼓動が喧しく脈動しているのが分かる。


 今日まで、ラーティアを守るために頑張ってきた。前世から合わせても、これほどまでにのめり込んだのは『霊剣伝説』くらいだ。いや、年数だけでいえば今回が一番だろう。本当に濃い四年間だった。




 ゲーム以外、飽き性の自分が、よくもまあ四年も毎日続けてこられたと思う。それもぶっ倒れるほどしんどいことを、だ。


 ワッツに……いや、和村月弥にとって、それだけワッツに想い入れがあるということ。彼には幸せになってほしい。いや、自分が幸せにしたい。そういう物語を作りたいと願ったのだ。故に、ここまで頑張って来られた。




 だから――。




「――ワッツ」




 不意に声がして、視線を向けると、そこには待ち望んでいた母の姿があった。




(だから――――絶対にあなたを助けるよ、母上)




 彼女無しにワッツの幸せは有り得ないのだから。


 静かに扉を開けて入ってきたラーティアを見て、ワッツは驚くフリをする。




「は、母上!? どうしてここへ?」




 その表情を見ると、何かを覚悟している凄みを備えていた。そのまま駆け寄ってきて、ワッツを強く抱きしめてくる。




「ワッツ、ああ……ワッツ。ごめんね、今まで待たせてしまって……!」




 久しぶりの母の温もりと、優しい声音に心臓がキュッとなり、目頭が熱くなってくる。


 実はこの四年、何度か手紙をやり取りはしたことがあった。それも本当にラーティアが書いたものかどうか定かではなかったが。




「あ、あの母上……何度か手紙をもらったけど、あれは母上が?」


「ええ、そうよ。従者に金品を支払ってね」




 なるほど。つまり買収したというわけだ。それでもバレると大事になりかねないので、数えるほどしか利用できなかったらしい。




「それにしても……ワッツ? 何か……立派になってない?」




 ワッツの顔や身体を見つめながら、ラーティアは不思議そうに小首を傾げている。


 四年前はどう見ても貧弱で、栄養不足からすぐに熱を出すような子供だったのだから、今の健康良好なワッツを見て驚くのも無理はない。




「あー……それについては今度話すよ。それよりも、何か切羽詰まったことがあるから来たんでしょ?」


「! ……ああ、ワッツ……何だか身体だけでなく賢くもなって。さすがは私の息子ね!」




 嬉しそうにギュッと抱きしめ、ワッツの顔に頬ずりしてくる。




「は、母上……ちょっと痛い……! それよりも話を……」


「あ、ごめんね! そうね、時間もないから一回しか言わないからよく聞いて」




 真剣な表情をする彼女を見て、ワッツも聞き逃さないように居住まいを正す。




「いい? 今日の夜、もう一度ここへ来るわ。その時――――ここから逃げるからね」


「!? ……そんなことして大丈夫なの?」


「もちろん屋敷の者たちにバレたらダメよ。だからできるだけ静かに抜け出すの」


「そ、それで……抜け出してどこに行くの?」


「安心しなさい。すべてお母さんに任せればいいわ。あなたは絶対に私が守るから」




 そう言いながら、静かに再度ワッツを抱きしめてくる。




(……あったかいな。やっぱいいな……この温もりは) 


 


 とても心が安らぐ。魂が穏やかに震えているような気がする。これはもしかしたらワッツというもう一つの魂が喜んでいるのかもしれない。




「名残惜しいけれど、もう行かなくちゃ。じゃあまた夜に来るわ。愛しているわ、ワッツ」


「ん、俺もだよ母上」




 ワッツの返事に、嬉しそうに微笑んだラーティアは、後ろ髪を引かれつつ、部屋から出て行った。


 恐らく、買収して手紙を渡してもらった従者の手引きでここまで来たのだろう。ほんの数分程度だったが、こうして久しぶりに母の温かさに触れることができた。その従者には感謝しておこう。




 そうして、予感通り本日がワッツにとっての転換日だということを確信し、実行の時間まで、もう一度これから起こるであろうことを整理していく。




(屋敷から抜け出すまでは問題ねえ。原作も俺自身のこと以外はブレイクしてねえしな)




 外の状況に手を出さなければ、原作を忠実に再現してくれるだろう。


 そして逃げる最中で、森の中に入ることになる。そこで追っ手に襲撃され、結果的にワッツは生き残るが、ラーティアは死んでしまう。




(確か追っ手は、マリスの手の者だよな)




 マリスは自分の手駒となるような『霊道士』を傍に置いている。護衛役といえば聞こえはいいが、その実、気に食わない者の排除などを行わせていた。


 何故今まで、ワッツやラーティアを暗殺しないのか、それはやはり公爵の目があるからだろう。この屋敷には、マリスのことをよく思わない者や、公爵だけに忠誠を誓っている従者もいる。




 何の理由もなくワッツやラーティアが死ねば、普段の態度からマリスが身勝手な理由で暗殺したと公爵に知られてしまう。ワッツはともかくとして、溺愛しているラーティアを私情で殺したことがバレれば、さすがに正妻でもただでは済まされない。 




 だからマリスは機を待っている。殺す大儀ができるチャンスを。


 それが今日。公爵を裏切って屋敷を抜け出す。加えて、悪魔の子であるワッツをも外に解き放つ。




 それらは公爵の地位や名誉を激しく傷つけてしまう。故に、マリスは彼の名を守るために手を汚す。それが大義名分となる。




(俺にとっても、マリスにとっても最初で最後のチャンスってわけだ)




 ここでたとえワッツが助かっても、ラーティアが死ねば、それはもうワッツの敗北となる。逆に二人が逃げ切れれば絶対的な勝利となる。




(不安なのは、たとえ逃げ延びたとしても、その先の知識がねえってことだな)




 原作には、ラーティアが救われるルートはない。ということは、助けたその先の未来は未知だ。




(……怖いけど、もう決めたんだ。あの人を助けるって!)




 たとえ原作を壊して、この先、全く知識が役に立たなくなったとしても後悔はしない。今、自分がしたいことを貫く。それがワッツにとっての信念だ。


 改めて覚悟を決めたワッツは、どんな些細なことでも対応できるように、様々な可能性を考慮して策を詰めていった。




 そして、いよいよ分岐点である〝夜〟がやってくる――。








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