部屋内はカンテラのみの灯りに照らされ、窓の外からはうるさいほどの雨音が聞こえてくる。やはり雨は降ったかと、ゲームシナリオ通りの展開に得心が行く。


 これからここを抜け出して、この豪雨の中を突き進んでいかなければならない。ハッキリ言って、台風が直撃しているような暴風も重なっている。




 恐らく、この日だからこそラーティアは選んだのだろう。いつもより暗いお蔭で抜け出しやすく、かつ、この天気で足跡などが消される。雨音で多少の音も聞こえないので、逃げるにはうってつけだ。


 ワッツはベッドに腰かけながら、目を閉じて静かにその時を待つ。




 すると、この部屋に近づく何者かの気配を感じた。


 鍵が開けられ、ゆっくりと扉が開く。少し警戒しながらも、そこから現れたラーティアを見てホッと胸を撫で下ろす。


 もしかしたら彼女ではない可能性もあったので、どうやら問題なくシナリオが進んでいることを確信する。




「待たせたわね、ワッツ。さあ、これを身に着けてちょうだい。あ、髪も結んだ方が良いわね」




 渡されたのはフード付きのローブと靴だ。確かに、この囚人が着古したようなボロボロの服で外に出るのは目立つ。


 手早く着替え、髪ひもで髪をくくっている間に、ラーティアは窓の外を見て警戒していた。




「母上、見張りの者は大丈夫ですか?」


「ええ、少し眠っていてもらったわ」




 そう言いながら、ローブの中から木剣をチラリと見せた。つまりは、隙を突いて意識を奪ったのだろう。だが、当然ながらそいつが目を覚ましたらマズイ。急がないと。




「用意できたよ、母上」


「もう持っていくものはない?」


「はい。ここに……名残惜しいものは何もありません」




 長年世話になったベッドやテーブルなども、愛着なんて欠片ほどもない。むしろ傍に置けば、ここの生活を思い出すので、できれば焼却したいところだ。




「分かったわ。ワッツ、これから少しキツイ道のりになるかもしれないけれど、辛かったら私に――」


「大丈夫だよ、母上」


「え……ワッツ?」


「四年前ならともかく、今の俺なら、たとえ世界一周しようがついていけるよ!」


「ワッツ……ええ、今のあなたなら安心できるわね」




 原作では、栄養失調により寝たきりだったため、ラーティアがワッツを背負って逃げることになるのだが、そのせいもあってか追っ手に殺されてしまったのだ。




「じゃあ行くわよ、ワッツ」




 ラーティアが伸ばしてきた手をギュッと掴む。絶対に離さないという意思が伝わってくる。ワッツもまた同様に握る力を込めた。




(……ドキドキしてるな)




 それも当然だ。何せ、これまでワッツの世界は、あの六畳ほどの小さな牢獄だけだった。窓から見える景色に希望を寄せながらも、この四年間は、ただただ眺めることしかできなかったのである。




 それが今日、初めて大きな世界へと飛び込む。死ぬほどプレイした『霊剣伝説』で体験した景色を、この目で見ることになるのだ。


 心臓が高鳴り、無意識に頬が緩む。それと同時に、怖さもまた膨れていく。




 ワッツの物語は、ここから始まるといっても過言ではない。ここを一歩出ると、もう戻ることはない。原作知識はあるものの、これから自分が行うことは、その原作を崩すこと。




 そのせいでどんな歪みが生まれるかも分からない。どのようなルートを辿ろうと、ワッツには逃れられない悪役フラグと死亡ルートしかなかった。


 だからこそ本当に、自分の選択が正しいものなのか、生き続けられるルートなのか分からない。けれど……。




(……俺は、俺が望むワッツの物語を作る! 必ず幸せを掴んでみる! だから……どうか見ててくれ、ワッツ!)




 そうして、部屋の外を一歩踏み出した。


 自分が閉じ込められていた〝蔵〟の中を初めてジックリ見ることになって、少し感動している。




 物置として使われていて、古い文献や錆付いた武具などが置かれている。もしかしたら貴重なものも探せば見つかるかもしれないが、ここ中身に関してはまったく知識がない。




 ゲームでは、ルート次第で、ワッツがここに舞い戻り、屋敷もろとも焼却するシーンがある。そこに住んでいたマリスや公爵も焼死し、母の仇を討つのだ。それは描写のみであり、屋敷内や蔵の中については詳しく描かれていなかった。




(ファンとしては屋敷の中も、いろいろ見て回りたかったけどな)




 そんなことをしている時間がないことは分かるが、こればかりはファン精神なので勘弁してほしい。




「大人しく眠っているようね。ワッツ、急ぐわよ」




 ラーティアが一瞥したのは、気絶している男。間違いなく見張りをしていた奴だ。蔵の端でぐったりと横たわっている。身動きができないようにロープで拘束されていた。


 蔵の扉から顔を出し、周囲を窺うラーティア。




「誰もいないわね。ワッツ、手を離しちゃダメよ」




 その言葉に力強く頷いた。


 それにしてもやはり異常に暗い。この世界では、前世のような周囲を強く照らしてくれるような街灯が、当たり前のように設置されてはいない。特に屋敷の外は、前方が確認できないほどの闇が支配している。




 手を引かれながら、屋敷の周りを覆っている壁に近づき、そのまま壁に沿って歩いていく。すると、目の前に扉が確認できた。


 どうやら屋敷の裏口に設置された扉らしい。閂で閉じられてあり、ラーティアが閂を抜いて扉を静かに開く。外に誰もいないことを確かめると、二人は素早く外へ出て扉を閉めた。




 ここまでは誰にも見つかっていないようだ。やはり雨の日を決行日にしたのはベストだったのだろう。しかし、その雨のせいもあって闇が濃過ぎる。足元すら覚束ないので、走るのは危険だろう。




「仕方ないけれど、ここからはコレに頼るしかないわね」 




 ラーティアがローブから取り出したのは、ワッツの部屋にもあったようなカンテラだ。そこに火を灯すと、淡いながらも周囲を照らす光が生まれた。




「これで足元くらいは照らしてくれるわ」




 ワッツたちは、ゴロゴロと空から雷鳴が轟く中、転ばないように、それでいてできるだけ急ぎながら前へ進んでいった。




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