第6話 強面部長の優しい気遣い

「何から何まで、(逆痴漢も含めて)本当にすみませんでした」


 カップから立ち上る湯気越しに、改めて黛部長に頭を下げた。

 その動きに合わせて、ベッドがきし、と軽い音を立てる。

 面目ない事に私は未だ彼のベッドに腰掛けたままだ。


 だって立ち上がろうとしたら止められるんだよ……。


「いや、気にしなくていい。それよりも体調は大丈夫か?【心配だ】」


 ことり、とベッド脇にあるサイドテーブルの上にカップを置きながら、眉間に少し皺を寄せた黛部長が言った。

 ちなみに、今はもう彼の顔色は通常に戻っている。

 

 耳の上部分が赤い気がしないでもないけど。


 黛部長はベッドからやや間を開けた場所に椅子を持ってきて座っていた。

 木製のしっかりした造りは恐らくダイニングチェアか何かだろうか。


 黛部長の身体が大きいせいか、普通サイズだろう椅子がすごく小さく見えてしまう。

 そんなアンバランスさもなんだか可愛いらしく見えてしまって、自然と口元が緩んだ。


 たぶん、私に近づき過ぎないようにしてくれてるんだろうな。

 なにしろ場所が場所だし。


 けれど部長の表情が先程とは違って「上司」のものになっているのが、ちょっとだけ残念に思えた。


「……大丈夫です。たぶん貧血ですから。介抱してくださって、本当にありがとうございました」


 顔を上げて返事をすると、黛部長の眉間の皺がふっと消えた。

 そのせいか、厳しめの顔が若干柔らかく見える。


 どうもこの人は心配したり感情が揺れると、眉間にそれが出てしまうらしい。


「そうか。目の前で倒れた時は何事かと思ったが。しかし念のため、後で病院には行っておくように【結果の報告までは……やり過ぎか?】」


「はい。また結果の報告をさせていただきますね」


 頷きながら微笑むと、黛部長が少しだけ驚いた顔をした。

 きつめの三白眼が僅かに見開いている。口に出さなかった問いへの返事に驚いたのだろう。

 その表情がおかしくて、ついクスッと笑ってしまう。


 彼の意識の声は、まるで柔らかな甘いバリトンのようで、聞いていてとても心地が良い。声が優しいのだ。伝わる感情も心遣いに溢れていて、癒やされる。


「確か商品開発部は今は繁忙期だったと思うが、そのせいか?【倒れるほどキツイなら、人事に補充を依頼せねば】」


「い、いえっ。確かに忙しいですが、今回はたまたまです。私の体調管理が甘かっただけですので……!」


 というより、全ては失恋野郎小此木のせいなのだが。

 もう一つは私の特殊な体質のせいでもある。


 私が所属する商品開発部は、新商品の企画に始まり、サンプルの製造手配から営業までと役割が多い。そのため社内では最も忙しい部署として知られている。


 他社では開発部と営業部を分ける所もあるけれど、自分が作った物なら自分で売り込んだ方がより詳しく魅力を伝えられる筈、という現社長の考えによりこうなっている。


 ちなみに、黛部長は総務部の長なので、人事や労務関連は彼の所に話がいくことになる。

 なので私が倒れるイコール、人員不足で過労なら考察の余地あり、となるのだ。


 忙しいのは確かだが、ついこの間も補充人員を入れてもらったばかりだ。

 これ以上の増員は逆に混乱を招きかねない。

 

 どころか、お前こんな時に手間増やしやがって、と周囲から総スカン食らう可能性の方が高い。それは非常に困る。


 私は首を横にぶんぶん振りながら弁解した。

 そのため両手の中にあったカップの紅茶が激しく揺れた。慌てて零れないように持ち直すと、じっと真偽を計るように見つめる三白眼と目が合う。


「……なら、いいが……谷村、君の事は俺も知ってる。商品開発部の中でも最近特に成果を上げていると聞いている。だが、あまり無理はするな【よく玄関ロビーを元気に走っているな。忙しそうだとは思っていたが】」


「は、はいっ」


 続けて言われた予想外の台詞に私は目を丸くした。


 え、ちょっと待って。

 黛部長って、私の事知ってたの?


 しかも玄関ロビーって……あああそれ慌てて取引先に向かってる時だわ。

 年末の挨拶回りで最近慌ただしかったからなぁ。

 「谷村走るな!」って何度梶原部長に注意されたか。

 でもそれを黛部長にも見られてたなんて……恥ずかし過ぎる……っ!

 あ、でもだから空港でもまっすぐこっちに向かって歩いてきたのか。そういえば納得。


 てっきり自分が一方的に知ってるだけだと思っていたのに、彼にもちゃんと認識されていたのかと驚きやら恥ずかしいやらで顔に熱が上がった。


 何しろ彼の人相の悪さは本人には申し訳ないが有名なのだ。

 どう見てもスーツ姿が一般人じゃ無いとか、新卒の女の子は大抵怖がって近付かないとか。 総務の強面部長が、まさかこんなに人が良いなんて思わなかったけど。


 しかし、私が成果を上げているという話は一体誰が出所なんだろう?


 確かに最近は自分でもちょっと調子が良いなとは思っていたけど。

 今回部長に届けてもらったサンプルだって、先方から試作品にOKが出て、今回が本採用になるかどうかのものだし、感触は良いから、たぶん本決まりになるとは思うけど。


 自分の評判が他部署に届く程だとは思わないので、ちょっと不思議だった。

 そんな内心の疑問が顔に出てしまっていたのか、黛部長がふっと口元を和らげた。


 わ、笑った……!

 目の錯覚じゃないよね? 今笑ったよね部長……!


「君の所の梶原と、俺は年齢も同じで同期なんだ。時々呑んだりしているから……その時にな」


 控えめな笑顔を浮かべた部長はそう私に説明してくれた。


 梶原部長とは私の直属の上司、つまりは商品開発部のボスである。

 

 あの梶原部長と同期……え、同期?

 って事は黛部長って梶原部長と同じ四十歳?


 いやもっと上に見え……ってこれは失礼か。

 

 私の【猫好き40over】に該当するんだから四十歳以上だとは思ってたけど、そうか、梶原部長と同期なんだ。


 これもまたびっくりである。世の中意外性に溢れているなぁと少し感心した。


 まあ、一番驚いたのは今の笑顔にだけど。


 少し微笑むだけで、厳つい表情が一気に柔和になるのは見ていて結構な衝撃だった。

 というか、なんだかドキドキしてしまった。

 強面部長と有名なのに、まさかときめいてしまうなんて。


 自分に驚きながらよくよく黛部長の顔を見てみると、確かに白目多めの三白眼は恐ろしげで、太めの眉もへの字の口元も愛想はないものの、造りは整っていることに気がついた。

 もしかすると、この仏頂面をやめたらかなり素敵になるんではなかろうか。

 

 しかも中身は突然ぶっ倒れた女の言うことを聞いて介抱までしてくれるような人だ。

 大抵は救急車に放り込んではいおしまい、だろうに。


「……どうした【俺の顔に何かついてるか?】」


「い、いえっ。ええと、その、そろそろ私お暇しますっ」


「そうか」


 訝しむ部長の声に、思わず我に返った。

 まずい。ついまじまじと顔を眺めてしまった。

 

 慌てて言いながら私は手にしていたカップをサイドボードに乗せた。もちろん、ごちそうさまでしたと言葉を添えて。

 立ち上がると、部長も続いて立ち上がりさっとドアを開けてくれる。

 ドアの向こうは恐らくリビングだろうか。大きな液晶テレビとソファ、それに観葉植物が見える。流石は部長職、かなり広い間取りのようだ。

 

 私が「ありがとうございます」と頭を下げながら部屋を出ると、後に続いた部長がソファに掛けてあったジャケットを手に取っていた。


 ん? なぜにジャケット? と首を傾げる私に、部長はなぜかちょっと困ったような顔をした。


「送っていこう。流石に一人で帰すのは忍びない。もう時間も遅いからな【途中また倒れたりしたら大変だ】」


 言われて、これ、と手渡されたのは私の荷物だった。

 スーツのジャケットと、バッグ、それとサンプルの入った紙袋だ。

 そこからバッグの中のスマホを取ってみると、時刻は夜十一時過ぎをを指していた。


 黛部長と待ち合わせしたのは八時半だったからーーー私は結構の間寝こけていたようだ。

 申し分けなさすぎて穴掘って埋まりたい気分である。

 この上送ってもらうだなんて。私もそこまで面の顔は厚くない。


「い、いえっ! これ以上ご迷惑をおかけするわけにはっ……!」


「小腹も空いたから食べに出るついでだ。気にするな【こう言えば少しは気が楽だろうか】」


 固辞しようとしたのに、淡々とフォローを入れられ言葉に詰まった。

 正確には言葉の次に聞こえた意識の声のせいだ。


 この人……どれだけ面倒見よいというか、お人好しなのっ!!


 ここまでくるとちょっと呆れるレベルである。有り難いというか、なんだか心配になるというか。これで四十歳とは、もしかすると女性で痛い目を見たことがあるんじゃないかとか勘ぐってしまう。(お人好し過ぎて)


 そんなわけで、この後も二、三回断りを入れたものの、断固として「送る」と主張された私は、有り難くもやや呆れながら強面部長の優しい気遣いを受け入れたのだった。

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猫好き40 OVER 国樹田 樹 @kunikida_ituki

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