第3話 スカートは何処へ消えた?

「嘘っ? どうして……っ」


「いいから、まだ寝てなさい」


 慌てて起き上がろうとした私を、低い声が制止する。パニックを起こしながら、優しいけれど有無を言わさぬその声に従った。


 え、ええと、私、黛部長からサンプルを受け取って、そして―――


 確か、彼から紙袋を受け取った瞬間『声』が聞こえたのだ。

 この人から―――


【顔色は悪くないな】


 知り得た事実に驚いていると、再び黛部長の『声』が聞こえてくる。それは無表情の本人が実際発する声より数段優しげで、私は思わず彼を凝視してしまった。


 やっぱり聞こえる。

 意識の声が。

 黛部長から。


 だけどここまで、鮮明だなんて……。


 正直、こうまではっきりと『わかる』のは初めてだった。


 本来ならささやき程度にしか聞こえないはずの意識の声が、こんな風に当人の声と混ざってしまうほどには。


 けれどこれが聞こえるってことは―――黛部長はあの条件に当てはまっている事になる。


 『猫が好き』な『四十歳over』の『男性』。


 そんな、よくわからない条件に。


「ま、黛部長って、猫お好きなんですかっ!?」


 気がついたら、思わずそう聞いてしまっていた。


 私の唐突な質問に、部長が若干驚いた表情を浮かべた。

 三白眼が不思議そうに揺らいで、誰もが恐れる強面の顔がほんの少し柔らかさを纏う。

 しかし次の瞬間には何かに納得したように、ふと後ろを振り返った。


 部長が顔を向けた先―――小さなテーブルの上には、一枚の写真が飾られていた。


 中にいるのは美しい縞模様が特徴的な、一匹の猫。細身の身体がしなやかな、赤い首輪の美人さんだ。

 アメリカンショートヘアという短毛種で知られていて、性格は人懐っこく悪戯好き。

 お気に入りなのか、ネズミ型のおもちゃで遊んでいる姿がとても可愛らしい写真だ。


【ああ、あれを見たのか】


「そう、だな。昔飼っていた」


 写真から私に視線を戻した黛部長は、それがどうかしたかと言う風に首を傾げる。


 全体的に無骨な印象なのに、そうしているとちょっとだけ可愛く見えて、私は思わず目を見開いた。

 同時に、また彼の『声』が頭に流れ込んでくる。


【妙な事を聞くな。……ああ、四十路にもなる男が、猫の写真を飾っているなんて、気持ち悪いと思ったのかもしれないな】


「ち、違いますっ!」


「……何がだ?」


 あああっ! ミスった!!


 聞こえてきた彼の声に、つい反応を返してしまった。


 だけど彼の意識の声を否定したかったのだ。

 ただの確認だったし、意外ではあっても悪い印象なんて全く無いのだから。

 むしろ好ましいくらいなのに。


 だからといって、黛部長の意識の声に返事をしたところで、伝わるわけもないのだけど……。


 ああ、部長の顔が普段より一割増しで怖くなった……っ!


 ただでさえ強面なんだから怪訝な顔したら凄んでるようにしか見えないんですってばーっ!

 いやでもどうしたらいいのこれ!


 意識の声がはっきり聞こえ過ぎてどっちがどっちだか混乱するってば!


 白目多めの瞳が、じっとこちらを見つめる様は、正直言って恐怖である。


 絶対おかしなやつだって思われたし……!


「な、何でもありませんっ。あ、あの、私どうしたんでしょうか? 空港から記憶が無いんですが……」


 部長の『声』に驚いて、状況確認を忘れていたことを思い出す。ある意味無理矢理な話題変換だったとは思うが、この際致し方ない。


 しかし、冷静に考えて黛部長の猫ちゃんの写真がある部屋にいるって、どう考えても恐ろしい事実が待っている気がする。大体予想はついているものの、聞くしか無いので訪ねてみた。


「君は俺の目の前で倒れたんだ。救急車を呼ぼうとしたら君が絶対に呼ぶなと言い張るし……かといって自宅もわからないので仕方なくここへ連れてきた」


 簡潔な説明に再び意識を手放したくなったのをなんとか耐える。覚えは全く無いけれど、一応ちゃんと救急車NGの返答だけは出来ていたらしい。それだけは自分を褒めたい。


 だって『声』にびっくりして倒れただけだものね。


「えー……っと、じゃあ、ここってもしかして……」


「俺の家だ」


 ですよねーっ……!


 ああもう本当にすいません迷惑かけて。


 ただでさえサンプル届けてくれたのに、その上余計な手間と迷惑までかけてしまった。

 当の部長は今日オフの筈なのに。

 申し訳ないったらない。


 というか、なら今寝てるのってもしかしなくとも部長のベッドか。


「ひ! ベッド占領してすみませんっ!!」


 考えるまでも無い事実に気付いて慌ててベッドから飛び出ると、なんだか足がすーすーした。


 あれ? と思い恐る恐る下を見ると、なぜか、下半身には下着が一枚しか存在していなかった。

 どがつくほど地味な白のショーツ。

 シンプルイズベストなデザインの。


 ……は?


 ゆっくり自分の胸元を見てみる。うむ。上のシャツは着ている。ジャケットは無いが。

 だがしかし、スカートは何処だ。


 ああ。そうだ。

 今日は会社だった。

 その帰りに空港で黛部長を待ってたんだから当たり前だ。当たり前〇のクラッカーだ。


 ならば。


 私の。


 スカートはどこへ消えた??


 ……じゃ、なくてえええええ!!!


「っきゃあああああああっっっ!!!」


 私の絶叫が、部屋に木霊した。 


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