第三十一話 想いと温もり

 ◇


 夜が更ける頃、リウが鍋を差し出してきた。中には魚の切り身が入っており、レイは安堵の表情で鍋を覗き込んだ。


「蛇じゃない……ホッ」


「どんだけ嫌いなんだよ……痛っ!」


 不意に腹に激痛が走り、思わず服を捲り上げた。そこには仮面の男の斧と、レオンの剣の攻撃が重なってできた深い傷跡があった。


(少し無理したせいで……傷が開いたのか……)


「……レヴァンさん」


 レイがそっと耳元に顔を寄せてきた。彼女の息遣いを感じ心臓が一瞬大きく跳ねたが、何とか平静を装いながら応じた。


「ど、どうした?」


「その傷なんですが、実は妙でして……」


「妙?」


 レイはもう一度、俺の傷をじっくりと観察した。

 

「仮面の男……その人が付けた傷ですが、縦に斬られているんです」


「縦? それがどうかしたか?」


「考えてみて下さい。仮面の男はあなたの体を掴み、斧で腹を攻撃しました。しかし、彼はレオンさんのように普通に横には振らず、わざわざ振りづらい縦向きに変えて攻撃しているんです」


 俺は慌てて傷を確認した。レイが言っていた通り、仮面の男が俺に与えた傷は縦に入っており、その上からレオンの傷が重なっていた。


「……確かに、思い返せば斬り方が違っていたな……」


「深い意味は無いと思われますが……一応伝えておこうと思いまして」


「二人で何こそこそ話してるの?」


 その時、リウが深皿を持ってテーブルにやって来た。三人で鍋を囲み、手を合わせて食事を始めた。リウは鍋に入った魚の切り身を皿に取り分け、俺達に差し出した。


「はい、いっぱい食べてね」


「どうも」


 俺とレイは同時に切り身を口に運び、ホッと息を吐いた。中までしっかり火が通っており、かなり美味しかった。


「美味い……飯も作れて発明や家を建てるのが得意って、お前凄いな」


「そんなことないよ。ご飯は鍋以外苦手だし、発明は失敗ばかり、建物も最初は何回も屋根が崩れたんだよ」


「……私達の小屋はお願いしますよ……」


 しかし、こうしてテーブルを囲んで誰かと食事を楽しむのは久しぶりだった。叔父と叔母なら最近まで囲んではいたが、お互いに話すことが無く黙ってばかりで、家族との思い出はほとんど消えてしまっている。けれど、この瞬間だけは心が少しだけ満たされている気がした。


(……温かい……)


「そうだ! 二人ってここ出身なんだよね? 何か仕事とかしてるの?」


 俺は驚いてスプーンを落としそうになった。


「えっと……私は知り合いの方のお店をたまに手伝っています。でも、料理が苦手で、雑用ばかりです……」


「ふーん、レヴァンは?」


 俺は戸惑いながら、レイと視線を交わした。


「……冗談に聞こえるかもしれないけど、実は……」


 ◇


「えぇー!? じゃあ、レヴァンはその日本って所から来たってこと!?」


「ま、まぁ……」


 リウの反応は予想以上に素直で、むしろ呆れるほどだった。


「凄いね! どんな国なの!? 教えて!」


「えっと……ルナルス国と比べると、色々発展していたり、そうじゃなかったり……。近いように見えて、全然違う国……だと思う」


「曖昧だなー、知り合いとかどんな感じ?」


 リウに尋ねられ、俺は言葉に詰まった。あの世界の数少ない知り合いで幼馴染の友美。しかし、彼女とは……。


「……幼馴染が一人いた。でも、この世界に来る前に喧嘩したんだ……」


「……そうなんですか?」


 レイに尋ねられ、俺は無意識に拳を握り締めていた。思い出したくない過去だったが、逃げるわけにはいかない気がした。


「……あいつは、俺が同級生に遊ばれていたのを見て、あいつらがやっていることはやり過ぎって言ってきたんだ。それを聞いて、思わず手を出しちまったんだ……」


「えっ?」


「あの時の俺は、頭がおかしくなっていたみたいで……。やり過ぎってことは、やっていること自体は間違っていないのかって。善意で言ってくれたのに、それが悪意だと勘違いして……怒りをぶつけたんだ」


 俺が話すと、微妙な空気になってしまった。俺は慌ててスプーンを手に取り、魚を口に運んだ。


「わ、悪い。この話はやめよう」


 昔の俺なら、笑って誤魔化すことができたかもしれない。しかし、今は笑い方を忘れてしまっている。ただ重たい空気に耐えるしかなかった。


 ◇


 俺はレイとリウとは別々の部屋に入り、眠りについた。隣の部屋からレイとリウの静かな寝息が聞こえたが、俺はマットの上で体を何度も転がしていた。


「……友美……」


 ふと、頭の中に友美の顔が浮かんだ。何故友美を突き飛ばしてしまったのか、何故感謝の意を伝えられなかったのか、今思ってもあの時の自分の行動が理解できず、罪悪感に包まれていた。


 静かに部屋を抜け出し、階段を降りて倉庫の一階へ向かった。暗い部屋の片隅で椅子に腰掛け、テーブルに顔を伏せた。


「眠れないんですか?」


「!」


 その時、階段の上からレイの声が聞こえた。顔を起こすと、レイが心配そうな表情を浮かばせて、俺を見下ろしていた。


「悪い、起こしたか?」


「いえ、私も中々眠れなくて……」


 階段を降りてきたレイが、俺の隣に腰を下ろした。その存在は穏やかで温かいはずなのに、胸の奥に潜む罪悪感がその温もりを遮っているようだった。


「……友美さんのことですか?」


「……俺、何してるんだろうな……。助けてくれた幼馴染に手を出して、本当に馬鹿だ……」


 頭を抱える俺に、レイは静かに口を開いた。


「……レヴァンさん、それはあなたが悩む必要は無いことですよ」


「……どういうことだ?」


「あなたは、友美さんを助けようとしたんですよ」


 その言葉に、俺は思わず顔を上げた。驚きと戸惑いが入り混じる視線で彼女を見ると、レイは薄暗い中でも柔らかな表情を浮かべていた。彼女の青い髪が、夜の闇を切り裂くように揺れた。


「あなたは、友美さんを巻き込まないために、わざと手を出して遠ざけたんですよ」


「……そんなわけ……」


「本当に友美さんのことが嫌いだったなら、こんな眠れないほど考えたりしません。あなたの心のどこかで、友美さんのことを大切に思っていたんですよ」


 その静かな囁きが、まるで鎖のように絡みついていた心を解いていくようだった。俺は言葉を返すこともできず、しばらく黙り込んでいた。


(……俺は、本当に……)


 どこかで自分を許せるかもしれないという希望が微かに芽生えた。しかし、感激するどころか、心の奥底に別の感情が芽生えつつあった。それが何なのかはまだ分からなかった。

 

「さぁ、早く寝ましょう。明日も頑張らないと……」


 その時、レイは席から立ち上がって俺に背を向けた。無意識のうちに、彼女の後ろ姿に手を伸ばしていた。




 



 気が付くと、俺の腕はレイの背中を抱き締めていた。





 


「……えっ?」


 レイの驚いた声が耳に飛び込み、我に返った。


「あっ、ごめん!」


 俺は慌てて彼女から身を離した。胸に手を当てると、鼓動が尋常じゃないくらい高鳴っているのが分かった。額には冷や汗が滲み、慌ててそれを袖で拭った。


「本当にごめん! えっと……俺、寝ぼけてんのかな……」


「……兄さんと同じです」


 レイは自分の二の腕をそっと撫でるように触れ、目を伏せた。


「アルフさんに抱き締められた時と違う、温もりを感じます。あなたの手、とても温かいんですね」


「……レイ……」


 何かを言おうとしたが、レイはそのまま階段を上り、自分の部屋へと戻ってしまった。残された俺は、まだ彼女の肌の感触が残る右手を見つめ、そっと握り締めた。


(……何だ、この感じ……)


 レイを抱き締めた瞬間、記憶が曖昧になっている自分に気付いた。驚きと混乱のあまり、その感触すら飛び去ってしまったかのようだった。

 

(こんな……記憶が消えるほど驚くことなんてあるんだな……)


 俺は何とも言えない満足感に包まれ、心を落ち着かせるのが精一杯だった。この感情が何なのか分からないまま、俺は胸を押さえて、一人で突っ立っていた。


 ◇


 日が落ち、月の明かりで僅かな輝きを照らしている街で、二つの影が蠢いていた。一つは炎のように赤く輝く翼を広げ、もう一人は光のように白く輝く足で宙を歩き、ディザイアータワーのてっぺんに登った。


「いやー、良い景色だね」


「おいアルフ、いい加減前に言っていたエクリプス教えろよ」


 その正体は、ドラゴンとアルフだった。アルフは塔の淵に立ち気楽そうに笑みを浮かばせ、ドラゴンは苛立ちを隠せない様子で、アルフを問い詰めていた。


 アルフはちらりとドラゴンを振り返り、遠くに見える屋敷に指を差した。


「……あれがどうした?」


「ドラゴン、君は人間が最も絶望する瞬間は何だと思う?」


 アルフはディザイアータワーのてっぺんを歩き回り、息を大きく吸っていた。


「絶望? 命を狙われた時だろ?」


「ふーん、そう思うんだ」

 

 アルフは興味のないような声を出しながら、深く息を吸い込む。そして、ドラゴンを嘲るように笑った。


「ヒント、君じゃ絶対分からないことだよ。そうだなー、レイちゃんと一緒にいた男の子なら分かるかもねー」


 その言葉に、ドラゴンは目を細めた。アルフの回りくどい話し方には、何か隠された意図があると感じ取ったのだ。

 

「おいアルフ。いつも思っているが、なんでお前は毎回回りくどいことをするんだよ。レイとかっていうガキはとっとと息の根を止めておいた方が良いだろ」


「レイちゃんは駄目。あの子とはデートの約束があるし、彼女の正体を暴くまでは殺すわけにはいかないよ」


 アルフは軽い調子で言い放ったが、その瞳には微かな警戒が宿っていた。


「そう。前にレイちゃんに触れて記憶を探ったんだけど、あの子の過去にはね、妙な空白があったんだよ。兄弟を失う以前に、真っ黒に染まった記憶が存在していた」


「……記憶が消されてるのか?」


「うん、誰かが意図的にね……」


 アルフの声には珍しく緊張感が混じっていた。アルフは笑顔を崩し、鋭い視線でドラゴンを見据えた。


「……もしかしたら、僕達よりずっと恐ろしいものが潜んでいるかもね……」



 

 現在使えるルインクリスタル 一個(エタニティ)

 現在使えるネオクリスタル 二個(アクアマリン・ガーネット)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る